2017年02月20日(Mon) 中林直美
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【『たかが世界の終わり』――不器用な家族の、傷つきやすい愛。】

ルイ・ヴィトンのメンズ広告モデルに起用されるなど、映画界のみならずカルチャーシーンの"美しき天才"として注目を集めるグザヴィエ・ドラン。
彼の監督最新作『たかが世界の終わり』は、自分の死期が近いことを伝えるため12年ぶりに帰郷した作家ルイと、その家族の物語。

ドランの永遠のテーマといえば「母と息子」。
デビュー作『マイ・マザー』では「今日ぼくが死んだら?」と叫ぶ息子と、「あした私も死ぬわ」とつぶやく母。前作『マミー』では「僕たちにまだ愛はあるよね?」と訊く息子と、「私たちにはそれしかないじゃない」と答える母。
本作ではその関係性がさらに複雑に広がり、不器用で傷つきやすくて臆病な「親子」「兄弟」「家族」のすれ違う感情、葛藤と衝突が描かれます。  
 
愛されたい、愛し合いたい、でも愛し方が分からない。息苦しいほど濃厚でむきだしの感情に、目を逸らしたいくらいヒリヒリしつつ、圧倒されて瞬きもできない緊迫した密室劇。
家族であるがゆえの不寛容、ってあると思う。家族だというだけで理解し合えるわけじゃないのに、家族なんだから分かるはずと勝手に期待して、勝手に裏切られた気がしたり。「家族とはこうあるべき」という理想に苦しめられたり。近すぎてよく見えない、実は死角だらけの関係だったり。
それでも人は家族のなかに"自分の居場所"を求めるし、心のなかに"家族の居場所"を確保する。ルイの12年もの沈黙すらも、"不在という強烈な存在感"となるほどに。

一瞬も安らげなかった家族との時間。それでも絶望してしまえなかったのは、"希望"とまでは呼べなくても、どこかにある"救い"の気配を捨てきれなかったから。罵り傷つけ合いながらも、「愛してほしい」という心の叫びがかすかに聞こえるから。
すべての期待を諦めて、「居心地のいい不幸」から再び逃げ出して。それでも最期にルイの脳裏に浮かぶのは、やっぱりこの家族の思い出なのかもしれない。

マシンガントークでぶつかり合うセリフよりも、その行間や沈黙にこそあふれる感情。カメラワーク、光と影、絶妙な音楽の選曲と使い方によって表現されるドランの作品を観ていると、総合芸術としての映画そのものの魅力と威力に圧倒されます。

主人公ルイを演じるのは、以前ブログでご紹介した『サンローラン』のギャスパー・ウリエル。その家族にナタリー・バイ、ヴァンサン・カッセル、レア・セドゥ、そしてマリオン・コティヤールと、フランスのトップスターが勢ぞろい!どアップだらけのカット割りで、彼らの究極の演技と美しさを余すことなく堪能できます。

第69回カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作、いま最も目が離せない"時代の寵児"グザヴィエ・ドラン最新作を、ぜひ映画館で!
 

『たかが世界の終わり』公式サイト ↓
http://gaga.ne.jp/sekainoowari-xdolan/
 
 
 
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