「私たちのCHALLENGE STORY」を担当しているライターの孫 理奈です。4月号は東日本大震災企画として、「震災から9年、人々が再びそして新たに繋がるために」というテーマで、真の復興を目指し、被災地などで人が繋がる場所を作ろうと立ち上がった方々をご紹介しています。
私は今回2人の方を担当しましたが、驚いたのは被災地には縁もゆかりもない方々が足を踏み入れ、そこで熱い気持ちを持って生きる決心をしていること。2人とも震災時には東京におり、ひとりは3か月後にボランティアで初めて訪れ、もうひとりは「どちらかというとショックで震災の映像を観るのも避けていた」という方だったのです。
ボランティアで被災地を訪れたのは、東松島市の「KIBOTCHA」を作った三井紀代子さん。「KIBOTCHA」は、お子さんをお持ちの方には特にお勧めの、子どもが遊びながら体で防災知識を学べる施設です。この施設は津波の被害を受けた小学校をリノベーションして作られているので、伝承コーナーでは実際に使われていた黒板などが展示されています。
「ボランティアで訪れた際、私自身子どもがいるからか、子ども達のフラストレーションが溜まった動きが気になりました。何か母親目線でできることはないかと考えたのが、子ども達に身近に感じてもらいたい防災でした」と三井さんは言います。
当時幼稚園児だったお子さんと震災を経験した三井さんは元自衛官。そのときに学んだ防災知識を子どもに伝えていきたいと思いついたのが「KIBOTCHA」でした。「災害時は高台へ避難!」などがプレイルームで遊びながら学べ、隠れ家的な二段ベッドが楽しい泊まれる施設にもなっています。
取材時は、「この施設があるお陰で交流人口が増えたから有難い」という地元の人の声も聞けました。ちょうどこの日は「鳴瀬かき祭り」が開催されていて、地元の漁師さん達と共に牡蠣を振る舞う三井さんは大忙し! でも常に笑顔で、「自分の集大成でもあるんです」と、現在子どもと離れて暮らし、東松島で奮闘し続けています。この日も「KIBOTCHA」からは子ども達の元気な声が響いていました。多くの人に「KIBOTCHA」を体験してもらいたい!そう思いました。
もうひとりは、福島で「結のはじまり」という小料理屋の女将になった古谷かおりさん。古谷さんは建築士として人の暮らしの安心を守りたいと、選択肢のひとつだった被災地を訪れました。「困っていることは何か?」とスーパーから出て来る方々に聞き込み調査を行い、その結果、原発で働く方々の孤独を知ります。「地元の人との接点も持てる場所を作ろうと思い、作業員さんにもあるニーズを調べた結果、それがお酒と温かい料理と日常の会話でした」。古谷さんは小料理屋を開き、今はみんなが集うコミュニティの場となっています。
2人の取材を通して、被災地に入った当初は現地の方々に必ずしも歓迎されたわけではなく、地元に溶け込むのは大変だったと知り、それでも腹を括って飛び込んだ女性の強さを感じました。そして辛いことがあったとしても、人々が繋がり、また前向きに生きていけたらという思いの下に発揮できる女性の社交性は素晴らしいなと素直に感じました。
最後に「KIBOTCHA」の取材時の「鳴瀬かき祭り」では、振舞っていただいたこのような大きくておいしい牡蠣を3~4皿いただいてしまいました(笑)。ご馳走様でした!
撮影/BOCO