「Stay at home」。誰もが経験したことのない状況が続く中、林真理子さんから、連載『出好き、ネコ好き、私好き』の原稿が今月も届きました。一読して、担当編集者はもちろん、編集部一同、沸々と元気が湧いてきました。「いったいどういう気持ちで毎日を過ごせばいいの?」と、モヤモヤしていた胸の内がすっきりするような、一つの答えをもらえたような気もします。だからこそ、この言葉は今、できるだけ多くの人に届けたい。林さんにも承諾いただき、今回、STORYwebにて特別に全文公開することにします。
思いもかけない、つらい日々が長く続いている。
最初のうちは、読みたい本もいっぱいあるし、うちの片づけをと考えていたが、日々苛立ちはつのるばかりだ。
なにしろ私の人生の喜びの多くを占めていたものが、全てなくなってしまったのである。お芝居にコンサート、歌舞伎も中止。そして親しい友だちと、おいしいものを食べながらお喋りすることも。
お洋服のショップも臨時休業となった。ジムも閉鎖で、ぶくぶく太るばかり。
「うちでダイエットやるいい機会じゃないの。会食もなくなったんだし」
と言う人がいたが、そんなことが出来るような人間なら、とっくにスリムになっている。
私は外に出ることが多かったので、しょっちゅう美容室に行き、お洋服もいっぱい買っていた。が、もう二週間近くうちにいると、ババっちくなるばかり。
「そろそろお役ごめんかなー」というスカートに、これまた昔のニットやカットソーをひっぱり出して着ていたら、娘に、
「ママ、毎日、ずーっとその格好だよ」
と咎められた。そしてこんなことも。
「もしママが感染してて、このまま入院して亡くなったら、私が最後に憶えている母親の姿って、髪がバサバサで、ババシャツがはみ出して、へんな色のニットを着ているオバさんだよ」
私はおおいに反省した。
そんな時、近所の奥さんからこんなLINEが。
「近くの美容室、お客さんが皆無で、今月の光熱費も出せないんだって。私はさっき行って、シャンプー、ブローしてもらったわよ。あなたも行ってあげなさいよ」
うちから歩いて六分ほどの、一人でやっている美容室。カットやカラーリングは、青山のサロンでやってもらっていたが、ふだん出かける時のブローはその美容室で。朝早くからやっていたのでとても重宝していた。
「そうかぁ、用がなくても行かなくちゃ」
とさっきさっそく行ったら、こんな時にと、とても喜んでくれた。このところ、自分でシャンプーし、適当にドライヤーをかけていた。それにずっとスッピンである。
どこにも出かけない。マスクで顔が隠れている。この二つの要素が、私をどんどんだらしなくしていたのである。
私は昔、田舎に帰省していた時のことを思い出した。何日間も化粧もせず、どこにも出かけず、ボーっと暮らしていると、顔が弛緩していくのがはっきりとわかる。ひどい時には、目がひと重になり、しばらく戻らなくておおいに焦った。
うちにずーっといるということが、こんなにも人間の顔を変えてしまうとは。
別の近所の若い奥さんからLINEがあった。
「いらなくなった本や雑誌をもらえませんか」
喜んで、と私は言った。おこもりの慰めになったらうれしい。
紙袋に入れて駅前のカフェへ。ここはオープンになっているので、少しの時間なら大丈夫であろう。マスクごしに話して、たまにはずしてコーヒーをひと息に飲む。
編集者との打ち合わせも、このカフェを使っている。
紙袋を渡して、そのままスーパーへ。多くの人がそうだと思うが、この頃唯一の外出は、食料品を買いにスーパーに行くことだ。帰りはわざと遠まわりをする。今まで行かなかった住宅地を歩いて、若木になりかけている桜を見たりする。
スーパーでは、とても素敵な女性を何人か見た。やはりマスクをしているのであるが、ちゃんとメイクしているのは、眉や目のあたりではっきりとわかる。普段着のパンツとニットの取り合わせがなんともカッコいい。
長期戦になりそうなこのおこもり。私は大切ないくつかのことを自分に課した。
まず髪を何とかすること。どこに行く予定がなくても、一週間に一度はサロンへ行き、手入れをしてもらうこと。
うちにいるからこそ、新しい服を着てみよう。まだタグをとっていない、カナリアイエローのツインニットも、うちでデビューさせよう。
それから近所にいる友人たちと、たとえ会わなくてもちゃんとつながること。本をあげるのもそのひとつ。このあいだは大量の帆立貝をもらったので四人に分けた。スパイみたいに、道の真中でパッと渡して、パッと別れたけれど。
Mariko Hayashi ’54年生まれ。’86年『最終便に間に合えば』『京都まで』で第94回直木賞を受賞。’95年『白蓮れんれん』で第8回柴田錬三郎賞を受賞。2000年直木賞選考委員に就任し、そのほか数々の文学賞の選考委員を務める。2018年紫綬褒章受章。