★ 「本に対し ては私が精神的に至らなかったことです。若いがゆえに誤った選択に気づけなかった。でも、自分で責任をとらなくてはなりません」
★ 「仕事がノリに乗っていた20代後半のOggi時代ですらも自己肯定感が全くなかった。でもマラソンは、唯一よく頑張りましたと自分に言ってあげたい」
★ 「悲しみを日常に持ち込まず、凪のように安定した心の状態を保つことが大切。人生で一番辛い死別を経験した、当時を振り返ってそう思います」
★ 「一線を退き子育てに没頭していた30代後半。幸せの絶頂のはずなのに涙が出る。口を開けば消えたいと──。そんな折に、橋本病が発覚しました」
30代で表舞台を退き、結婚、出産、移住、病───そして今
「私が経験してきたことが、読んでくださった方の人生の何かにシンクロして少しでも参考になることがあったら」と今回の取材に応じてくださった理恵さん。伝えたいことを忘れないようにと、持参してくださったメモの冒頭には「本に対しては私が精神的に至らなかったことです」とありました。Oggi カバーモデル、野菜ソムリエ日本第一号、華やかな恋愛……かつては、第一線に立って活動していたこともあり、30代中盤までがむしゃらに、何年もギア全開で走り続けた理恵さん。結婚・出産を機に表舞台を退き、過去の自分と向き合いながら反省し受け止めて……。アネフォーの今思うこと、未来の話とは。
Rie Hasegawa
大学在学中、雑誌 CanCam でモデルデビューを果たし、雑誌 Oggi では約4年間カバーを務めるなど同世代女性のリーダー的存在として支持される。その後2000 年にテレビ番組の企画でマラソンに挑戦、2003 年のホノルルマラソンでの自己ベストタイムはなんと 3 時間15分36秒。また野菜ソムリエ第一号、WabiYoga(侘びヨガ)インストラクター第一号の資格も所得。最近は彼女のコーチでもある友岡和彦氏とともに行う「リエトレ」が即日満席の人気ぶり。
「本に対し ては私が精神的に至らなかったことです。若いがゆえに誤った選択に気づけなかった。でも、自分で責任をとらなくてはなりません」
取材は6月4日、雨が降りしきる鎌倉で行われました。「伝えたいことを整理してきたの」とLINEでその場で送ってくださった文章の冒頭には2012年と2013年に出版した本に対する反省の思いが綴られていました。今までの半生を振り返って、ずっと心の中で引っかかっていたことは、結婚・出産前後に出した2冊の本のことです。若いがゆえの無責任な発言や、視野の狭さで、多くの方に不快な思いをたくさんさせてしまいました。渦中にいた時は気づかなかったことも、振り返っていく中で色んな方に迷惑をかけ、傷つけてしまったと。そんなつもりじゃなかったのにということも、誤った選択をすれば良くない結果を招くのだと自分の幼さを痛感しました。当時の私は、〝とにかく与えられた目の前の仕事に全力で向かう〟。ガチガチの鎧を背負って「いくぞーー!!」と毎日全力で戦っているような。それで周りが見えていなかったんです。今思えば、仕事やそれ以外のことも、当時のマネージャーに任せすぎていたなと思います。一番反省すべきところは、〝自己決定感〟がなかったことです。自分自身のことなのに、深く慎重に考えて決めるということをしていなかった。でも出版の話がきたことは知っていたし、私もオファーを受けてしまったし、最終的には自分の名前で世に出してしまったから誰のせいでもなく、自分で決めたこと。だからそれは最後まで責任をとりましょうって、恥ずかしながら後になって思えるようになりました。自己決定感がなかったことにすら気づいていなかった時は、正直、人のせいに思ってしまったこともありました。でも今は本当に自分が至らなかったことで申し訳なかったと思います。友達にも「なぜ出したの?」ってよく言われるんです。本当に未熟だったことに尽きます、言い訳のように聞こえるかもしれないけれど……。当時のことについて、今の気持ちをこうしてお話しさせてもらえる機会がくるなんて思ってもみなかったので、こういう場をいただけただけでもとてもありがたいことです。
「仕事がノリに乗っていた20代後半のOggi時代ですらも自己肯定感が全くなかった。でもマラソンは、唯一よく頑張りましたと自分に言ってあげたい」
雑誌Ogg i時代は、2000年からカバーを計43回と、今振り返ってもとても充実していました。でも、自分がこんなに恵まれた環境にいるのに、心の充実感はあまり感じられなかった……。当時めちゃくちゃ売れている雑誌のカバー、その責任と重圧感でとにかくしんどかったですね。自分を良い状態でキープすることの大変さがまずあって、努力するのが普通で、毎月、先月以上の自分を出せるように、誌面に対し妥協しないスタッフに応えたいあまり、自分自身に完璧を求めた。常に頑張っている自分じゃないと嫌で、自分を認められず、自己肯定感の低い、追い込み体質の自分を作り上げてしまっていました。ちょうどその頃マラソンに出合って、没頭していったのも、モデル長谷川理恵とは別の自分をみつけて熱中するものが欲しかったのだろうなと思います。目標に向かって練習し、そしてクリアできた時には達成感が味わえる。それが当時の私には新鮮でした。テレビの企画で声がかかったことなので、それが終わったら辞めてもよかったんだけど、それから約21年間辞めませんでしたね。頑張らないと認めてもらえないんじゃないかっていう不安を、マラソンのハードなトレーニングをして追い込むことで埋めようとしていたのかもしれません。今、実は1年間走っていないんです。一昨年の横浜マラソンで、3年ぶりのフルマラソンを走りました。体調がよかったというのもあったんだけど、3時間30分を切ろうと目標を定めて、新しいコーチのもと半年間無我夢中に練習しました。レース当日は、朝の天気から体調まで全て完璧で、何十回もマラソンを走ってきましたが、今までのレースの中でも、一番精神的に自分と向き合えたんです。マラソンって35キロからが辛くて精神力の戦いなのですが、アスリートでいう〝ゾーン〟というか、究極の状態になって、あまり苦しまず、さらに目標を切ってゴールできたんです。もちろん自分を支えてくれたチームのおかげでゴールがあるのですが、そこで何か悟ったというか満足できたというか、すっと自分を「本当によく頑張りました」ときちんと肯定できて、認めてあげることができたんです。
「悲しみを日常に持ち込まず、凪のように安定した心の状態を保つことが大切。人生で一番辛い死別を経験した、当時を振り返ってそう思います」
恋愛に関してですが、当時はCanCamや Oggiのモデルをやっているだけでチヤホヤされたけれど、周りの方々にご迷惑や心配もかけたし、反省することばかりです。その時その時で、悲しいことや辛いことはありましたが、どの恋愛も当時を振り返って今思うことは〝感謝〟の言葉しか残らなくて、良い経験で良いご縁だったなと思います。30代前半にお付き合いしていた彼との出会い、そして別れは…。人生の中で、一番心も体も辛かった時はいつですか? と聞かれたら、この時かもしれません。しばらくは彼の死をなかったことにして悲しみをあえて正面から受けとめないようにしていました。そうじゃないと、当時の私は体がもちませんでした。この話をすると、今でもどうしても涙が出てしまうのだけれど……。心も体もコントロールできなくなってしまって、痩せるどころか1ヵ月で5、6キロも急に太ってしまいました。寂しいと人って太るんですね。寂しさを埋めるかのように太ったんです。そんな中でも仕事は容赦なくやってきて……。でもどんなに頑張っても全く痩せることはできませんでした。心がボロボロの状態だから、体の栄養を逃がすものかと、ガードガードって何もかも溜め込んでいるような感じで。この経験を後から振り返って、気持ちの安定ってすごく大事なんだなと思うようになりました。生きていたら誰しも、悲しいことや、不安なこと、イライラすることってあると思いますし、この世の終わりみたいな日もあるかもしれないけれど、心がネガティブな状態ってそれだけで体の巡りを滞らせてしまう原因になって、体がよどんでしまう。だからなるべくフラットな状態に自分を持っていこうと。そう思ったら、小さな不満もたいしたことないんじゃない? って思えるんです。そしてまた大きな別れは必ず訪れる、考えると正直怖いけど……。でも、母になった私は、悲しみをなるべく日常に持ち込まずに、ニュートラルな気持ちで毎日を過ごせていけたらいいなって思います。
「一線を退き子育てに没頭していた30代後半。幸せの絶頂のはずなのに涙が出る。口を開けば消えたいと──。そんな折に、橋本病が発覚しました」
20代30代をギア全開で走るレーシングカーのように駆け抜けた理恵さん。結婚・出産を経て、以前の事務所を辞めた頃から、体への無理が祟ったのか、少しずつ体調を崩し始め―。
2016年にそれまで毎日欠かさず走っていたマラソンが突然走れなくなってしまったんです。起きた瞬間からすごく疲れていて、気づくとため息ばかり。気力が湧かず、何故かわからないけど悲しいし、イライラするし、頭はとにかく痛い……。そのような日々が続くようになって、理由がわからなかったから、そんな状態の自分を責めてしまうようになって。何ひとつ嫌なことなんてないはずなのに、起きた時から〝消えたい〟みたいな気持ちになり、毎日「消えたい、いなくなりたい」が口癖になっていきました。そんな時、主人の提案でいつも診てもらっている病院で一度体の検査を細かく受けてみようということになったんです。結果は、40代女性の10人に1人の割合でかかると言われている甲状腺の病気。甲状腺の炎症により、甲状腺ホルモンが少なくなる橋本病でした。薬を服用するようになってしばらくして数値は戻ったのですが、今でも薬は飲んでいて、定期的に検査も行っています。病気になったのが、まだ子供が幼稚園にあがる前の、一番手がかかる時期と重なったのも大変でしたね。子育てに奮闘していた反面、事務所を辞めて、ちょうど仕事ができない時期だったんです。だから自分には本当に何もない……、そんな気持ちになってしまって。でも周りのモデルたちは、変わらずどんどん活躍しているのを目の当たりにして。10代後半から競争社会にずっといた私は、急に置いてきぼりみたいな感覚になりました。今は自覚症状もなく、だいぶ元気になりましたが、当時は本当に辛かったですね。最近では、「鎌倉での生活とても楽しそうですね」って皆さんよく言ってくださいますけど、そんな辛い時期があったからこそ、今が楽しいと思えるようになったし、そして色々できるようになった今に日々感謝するようになりました。
撮影/鏑木 穣(SIGNO) モデル/長谷川理恵 ヘア・メーク/MAKI スタイリスト/竹村はま子 取材/澁谷真紀子 ※情報は2021年9月号掲載時のものです。