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いろんなものが不穏に〝匂って〞くる 衝撃的な第165回芥川賞候補作|大久保佳代子のあけすけ書評

もし、自分の夫が 全く風呂に入らなくなったら?
夫婦の関係性や自分の社会性を見つめ直したくなる

夫が風呂に入っていない。シンプルだけどパンチのある一文で始まるこの一冊。「風呂に入っていない」という日常の一風景から不穏さがふんわりと漂ってきて、冒頭から心を摑まれてしまいました。風呂に入らないことは、2、3日ならありそうな話ですが、それがまさか1カ月が過ぎ、さらに3カ月が経過するにつれ、ホラー感さえ出てきます。

登場するのは結婚10年、都内に住む平凡な30代半ばの共働き夫婦。夫婦2人で平穏な生活のまま50歳を超え70歳を過ぎやがて死を迎えるんだろうなと漠然と考えていたのに、夫が「水が痛い」「風呂に入りたくない」と言いだしたことから一気に生活が崩れていきます。日常における通常の行為がひとつ欠落してしまうだけで、人も生活も社会との関わりもここまで変わる。

私もコロナ禍でリモート出演が増えた際、「頭を何日洗わずに過ごせるだろうか?」と試してみたことが。でも2日過ぎたあたりからそのままでいることが気持ち悪くギブアップ。その体験から、いつでも清潔な水や湯が出てくる環境のありがたさや髪を洗うことで一気に社会性を取り戻せる感覚などを嚙み締めました。そうやってふとやってみたくなったり、実際にやれてしまうのが「風呂に入らない」という行為。そんな日常と、細い溝はあるものの地続きで繫がった世界にうっかり潜む恐ろしさに脅かされながら、夫婦のあり方、愛すること、夫婦で居続けるということはどういうことなのか考えさせられます。

そして風呂に入らないことで感じるであろう脇や股や足の体臭、頭皮の脂の匂いとともに、夫が怖がる水が象徴していると思われる社会、その社会に生きることで繫がれた足かせから逃れられない辛さや息苦しさが腐った水のように臭ってきます。何をもって正常で何をもって異常なのか。生理的にもっとも嫌悪感を覚える尋常じゃない体臭を前にしても、無理矢理お風呂に入れたり、病院へ連れて行ったりしないのは、妻の愛情からなのか。それとも妻自身も狂っているのか。狂うということは、感情の爆発の先にあるのだろうか。難しくて分からないけど、分からないということがまた奥深くて考えさせられます。

人によって感じ方は異なるでしょうが、私的にはこのラストは、夫婦にとってハッピーエンドだとさえ感じました。妻は夫が狂っていようが狂っていなかろうが見捨てなかったんだと思います。ところで作中に「夫が人生の全てとは思わない。けれど、夫がいてくれたらそれでいい、と思っている。その二つのことは、似ているようで違う。夫にとって自分もそうであったら良かった」という文章があります。「夫がいてくれたらそれでいい」って、若干の距離を感じながらも究極の愛のように思えます。どんな状況になっても必要とする存在。こんな関係性の夫婦になれるのならぜひとも結婚してみたいと思いました。

STORY読者のみなさんは、夫が風呂に入らないのを何日我慢できますか?

『水たまりで息をする』 高瀬隼子著 集英社 ¥1,540 子供がいない30代半ばの夫婦2人だけの生活で突然夫が風呂に入らなくなったことから起こる日常の脆さ、すぐそこにある戦慄、生きることの息苦しさがあぶり出される静かで壮絶な物語。商品の詳細はこちら(amazon)


おおくぼかよこ/’71年、愛知県生まれ。千葉大学文学部文学科卒。’92年、幼なじみの光浦靖子と大学のお笑いサークルでコンビ「オアシズ」を結成。現在は「ゴゴスマ」(TBS系)をはじめ、数多くのバラエティ番組、情報番組などで活躍中。女性の本音や赤裸々トークで、女性たちから絶大な支持を得ている。

撮影/田頭拓人 取材/柏崎恵理 ※情報は2021年11月号掲載時のものです。

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