今「やれ」と言われたらできないだろうけど、
それでも子どもを通して〝青春〟させてもらったと思ってます
特に次男が野球でキャッチャーにハマり、高校生までずっと野球一本。自分中心で指令を出せるのが性に合っていたよう。芸能人扱いもなく、私は必死でお手伝いしてました。小・中でも「お茶当番」は必須、少年野球では父親たちによるグラウンド整備も基本。ヒロミさんは仕事で来られないこともあったので、そのぶんヒロミさんのお父さんが荷物を持ったり、手伝ってくれて感謝しています。
中学のリトルリーグ時代がいちばん大変で、とにかく遠征が多い。レギュラーの子たちはバスに乗れましたが、それ以外の子は親たちが分担して、「誰かクルマ出せる?」みたいな。私もできる限り、クルマに5人ぐらい乗せて遠征してました。
「監督、今日は何にします?」と、休憩場のところに中華料理店のメニューを持って行ったりしたこともありますが、私のところでは、監督に好きなお弁当を出さないと子どもが試合に出られない、というのはなかったです。
息子が高校球児だった時は、父母会の会長を務めていて、学校の先生や応援に来てくれた父兄・OGなどの方に〝おもてなし〟。うちわや凍らせたおしぼりを配りました。
今「やれ」と言われたらできないと思うんですが、子どもを通して、私自身が〝いい青春〟をさせてもらいました。
撮影/吉澤健太 ヘア・メーク/長島あずさ スタイリスト/森 早和子 衣装協力/Adonisis 取材/東 理恵 ※情報は2021年11月号掲載時のものです。