LifestyleLOVE連載

ずっと引きずっていた「スーパー元彼」から”脱出婚”できた理由は

必死に看病する彼の姿を見て、圧迫面接級にあたりの強かった両親も認めてくれました 40代を超えてしがちなのは、あのときの出会いを続けていたら、もしくは、やめていたら…という回想。でも、私たちは今を生きているのです。今、まさに恋愛をして結婚に至った同世代の実話は、秋の夜の心の栄養剤になってくれます。


小沢眞寿さん(仮名)・43歳

’78年愛知県生まれ。大学卒業後、化粧品会社に就職し、勤務年数20年を超える。39歳でくも膜下出血を発症するも1年後に回復。41歳で結婚。小沢真珠さん似のとにかく美人。パン作りが趣味。

夫’68年広島県生まれ。大学卒業後IT企業に勤務し、39歳で独立起業。創業15年を迎えた自社も順調で徐々に業績を伸ばしている。チューブの前田亘輝似。

大学4年生の時からお付き合いしていた同級生の彼のことがずっと忘れられなくて、結婚できないままアラフォーに突入。しかし思いがけない夫との出会いから、2年前41歳でバースデー婚という幸せが待っていました。

大好きだった彼とは友人の紹介で出会い、私はひとめぼれ。背が高くて、超美形で、無口だけど男っぽい人。付き合うことになったときは本当に嬉しかったです。社会人になってからも交際は続いていたのですが、彼は土日曜日休み、私は美容業界に就職したため火水曜日休みとすれ違い、2年ほど付き合って別れを切り出されました。交際中も別れる時点でも、彼のことが大好きでしたが、私は自分の意志を強く通すより、相手の意思を尊重してしまう方で、本当は別れたくなかったけれど、上手くいっているとは言えない状況で、仕方がないと受け入れたのです。その数年後、彼が結婚したことを風の噂で聞いていました。

30代前半までは仕事も充実し、余裕もあってとても楽しく過ごしていました。何人か恋人もできて、どの人ともその方のことが好きになって交際をスタートしますが、付き合っているうちに、最高だった彼と比べてしまいます。プロポーズしてくれる人もいたのですが、「彼が忘れられない。結婚は絶対にないな」という気持ちになり、結婚からは遠ざかっていました。

ところが30歳過ぎた頃、彼が離婚し、再会したのです。「チャンスが巡ってきた!」と思いました。友人を介して8年ぶりに再会。全然変わっていなくて好きだった彼のまま。彼も再会をとても喜んでくれ、何度かデートもして、再び交際に発展しそうな状況でした。今回ばかりは私から連絡をしたり、話を交際の方向に持っていくなど頑張ったのですが、結局再び遠ざかってしまったのです。私に強引な意志があれば、事態は変わっていたかもしれないけれど、自分からははっきりと気持ちを伝えられないし、彼は私のことをそんなに好きじゃないことが漂ってくるし、私自身も彼といるときは緊張感が半端なくていいところを見せようと、自分を作ってしまうんですね。大好きなのに成就しない、本当にもどかしい関係でした。

気がつくと35歳を過ぎ、友達もほとんど結婚、両親からも結婚を催促され、それが原因でしょっちゅう喧嘩になりました。付き合った人もいたけれど彼を忘れられない気持ちはそれでも変わらず、なんて執念深いのかと自分を顧みつつも精神的に辛い日々でした。振り返るとその彼のことは私にとってアイドルのような存在で、一緒にいてもどこか自分を出せていないんですね。このまま引っかかったままだと私は一生結婚できないと気づき、携帯番号やLINEのIDなど変えられるものは全部変えて、連絡が取れない状態にし、彼の存在が見えそうなものを自分の中から消し去ったのです。これは効果的で、気持ちに区切りがついて、前を見られるようになった38歳のとき、10歳年上の今の夫と出会いました。友人が知人を連れて来て、4人でご飯を食べに行ったのです。お店が暗かったのが良かったのか(笑)、とてもステキな人だというのが第一印象。夫は40代で起業をした経営者で夢中で仕事をしてきたせいで、婚期を逃していたそうです。次は2人で会ったのですが、とにかく優しい人。背は高くないのですけどね(笑)。でも夫の前では自然に自分を出すことができました。夫も好意を持ってくれ、交際が始まり、同棲も始めました。
プロポーズの言葉は特になかったのですが、どちらからともなくお互いの両親に挨拶に行くことになり、40歳直前に私の実家に来てくれました。すると父が根掘り葉掘り彼の仕事のことを質問し、経営状態や収入まで、聞かれたくないような細かいことまで聞くのです。夫は1人っ子なのですが、母も娘に親の面倒を見させるつもりかなど、嫌味な質問をし、最後に「結婚が決まったわけじゃないから」と捨て台詞を吐きました。実は父は私が学生の頃に事業に失敗して苦労をし、娘には上級会社員、しかも三高男性と結婚してほしいと思っていました。あまりにひどい言い方をするので、「彼を傷つけた。結婚は難しい」と咄嗟に思いました。でも終始穏やかに聞いていた彼は2人になってから、「両親のおっしゃることも理解できるよ。君はどう思った?」と、逆に私の考えを聞いてくれたのです。親のことも私のことも責めずにいてくれる彼が本当にありがたくて、「絶対この人と結婚したい」と思ったし、自分たちの気持ちは変わらないから、時間をかけて両親を説得しようと話し合ったのです。

そんなある日、いつも2人で行くジムにその日は彼はゴルフで行けず、私1人で運動しているときに突然くも膜下出血で倒れました。そこから1週間意識がなく、記憶がないのですが、救急車で病院に運ばれ、緊急連絡先の夫の携帯に連絡があり、夫から両親に連絡し、即3人が病院に来たそうです。両親は隣県に住んでいたので、夫がホテルを用意するなど両親のケアまでしてくれました。私の病状は重症で、「寝たきりか下半身に後遺症が残る可能性がある」と告知され母がパニックに。手術は8時間かかるも予想以上に上手くいき、光が見えたそうです。彼は毎日病院に来てくれ、そのお陰か後遺症も一切なく2カ月後に退院。彼は毎日のように両親にも病状をL INEで送ってくれました。そのふれあいの中で、両親のわだかまりは溶解し、私のことを大切にしてくれる人だと確信してくれました。

でも退院後も頭痛が続き、体も以前のようには動かなくて、会社に復帰しても体力が続かないのです。私は日々落ち込むことの方が多くて、家でしょんぼりしていました。でも彼が「しょうがないよ」と受け止めてくれ、どれだけ助けられたことでしょう。私は昔から結婚して子供を持つことを当たり前のように自分の人生の中に描いてきたのに、ペットボトルすら持てなくなって、子供を抱っこするなんて絶対に無理、この体力では出産も難しいと思いました。子供を持てないであろうことは夫に対しても申し訳なくて、それを告げると、「僕はいてもいなくてもいい。自然に任せればいい」と言ってくれたのです。

退院後1年経ってようやく体調が戻ってきたとき、ちょうど平成から令和になる時期。「令和」がいいきっかけで籍を入れることになって、それならば私の41歳の誕生日に入籍しようと彼が提案してくれ、2年前に晴れて結婚しました。

結婚するとき、いまどきの夫婦には180度反していますし、私も働いてはいますが、家事は全部私がやって、夫には仕事に専念してもらい、「経済をよろしくね」と提案しました。夫の会社が順調なのもありますが、何よりも夫への感謝の気持ちと、長年1人で家のことをやってきた夫を家事から解放させてあげたかったのです。私の帰宅が仕事で遅くなる時は自分で簡単に作って、食べてくれていますが、この約束を守り続けています。

理想だった結婚の年齢よりは随分遅くなったし、子供も諦めたけれど、私、十分幸せです。経済力、子供などもちろん大切だけど、一生添い遂げるパートナーと巡り合い、その人を大切にしていくことが自分の幸せにつながることを実感しています。同級生の彼とはその後一度も会ってないし、会いたいとも思わなくなって、記憶の彼方にいる存在となりました。

夫婦円満のために気をつけていること

年に一度彼の故郷広島に帰省がてら、近郊を旅するのが楽しみです。月1でパン教室に通い、日々パン作りに夢中。先日食パンを焼いて、夫の好きなホットサンドに。日々2人で食卓を囲むのが何よりの楽しみ。

取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2021年12月号掲載時のものです。

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