大久保佳代子さんの今月の書評をお届けします。
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『くるまの娘』
◇ 『推し、燃ゆ』の25歳の著者が 一貫して描く家族の歪み、逃れられない痛みに息苦しくなる
「血は水より濃い」。家族だからこそ愛し傷つけ合い、でも苦しさから逃げないことを選ぶ主人公の痛みと覚悟が想像を超えてくるこの作品は正直言って読むのがしんどいです。
その一方で、ギュッと濃密な文体、見たくないものを目の前に突き付けられる残酷すぎるほど研ぎ澄まされた描写は鋭利で、さすが芥川賞受賞第一作。堂々たる文学性で読みごたえ十分です。何より激しすぎる生々しい家族の会話が強烈。
宇佐見さんの作品は初めて読みましたが、最初はそのヘビーさ、ハードさゆえ距離を感じ、気を抜くと字面だけ追ってしまいそうに。でも徐々に「それ以上言わないで!」と思ってしまうようなヒリヒリした魂の叫びに圧倒されていき、気づくと物語に没入していました。
ストーリーはシンプルで、車中泊をしながら祖母の葬儀へ向かう家族のお話です。主人公は17歳の〝かんこ〟。彼女は1年ほど前から体が「突然ただの物に」なってしまう症状におかされ、学校を休みがちに。私立中学受験のためにつきっきりで勉強をみてくれた父は思い通りにいかないと娘に「手足が出」て、学校へ行かない時は怒鳴りちらします。脳梗塞の後遺症に悩む母は感情がむき出しで幼児返りしています。そんな状況に嫌けがさして兄弟は家を出ており、かんこだけがいびつな家族の真ん中でもがいている状態です。
家族だからこそ赤裸々な本音をぶつけてしまった経験は私にもあります。30代の頃、「早く結婚しなさい」とせかす母に向かって「お父さんとお母さんを見ていたら結婚なんかしたくなくなるよ!」と言ったことが。今となっては、なんて酷いことを言ってしまったんだと反省をしていますが、その時は、本気で傷つけてやろうと思っていました。だからと言って親との縁を切りたいと思ったことは一切ないし、切れないからこその苦しさを感じたりもしました。でもその一方で、絶対に切れないという安心感もあるような気がします。
かんこも当たり前のように両親の間に留まり続けます。「あの人たちは私の、親であり子どもなのだ」と考えるようになったのは第一志望の中学に合格したあたりから。大声で泣く父を見て「本気で親を守らなければならないと感じ」「抱きしめられると心強く感じるものだとばかり思っていた。だが、抱きしめられる力は、強いほど心もとない」と思った彼女は、自身も病みながらも親を見捨てないで守り抜く決心をするのです。とはいえ、自分だけ被害者ヅラするのは嫌だし自分だけ助かるのが嫌、みんな傷ついているから家族全員助かりたい、全員丸ごと救ってくれと思える17歳はすごすぎます。
多かれ少なかれ家族って色々な問題を抱えています。ひとつズレ出したら悪い方向へどんどん行くこともあります。でも親を見捨てないかんこを育てた両親は、子育てとしては間違ってはなかったのかなぁと思えたりも。家族との良い記憶がある車に居場所を求めたのは、かんこなりの落としどころだったのかなと思います。
ありえない状況が続く中、母がかんこへおにぎりを持っていき「しゃけ、わかめ」と聞く普通のほっこりする親子シーンなどもあって、家族なんていうのは、一部だけをピックアップしたら壮絶だったりするけど、それ以外の8割くらいは普通の食卓を囲み、普通の会話をする平凡な日常を過ごしているのではとも思ったり。
虐待の連鎖、ヤングケアラーなど様々なテーマが詰まっているし、コロナ禍の閉塞感や戦争で昨日まで当たり前に暮らしていた日常が突然崩れたりする不安定な毎日の中で、「生きているということは、死ななかった結果でしかない」というラストの部分は胸に響きます。
読んでいて「マジしんどいなぁ」と不快に感じることもありましたが、その刺激・衝撃含め自分の共感範囲外の作品に出合うのも読書の醍醐味だと思いました。
おおくぼかよこ/’71年、愛知県生まれ。千葉大学文学部文学科卒。’92年、幼なじみの光浦靖子と大学のお笑いサークルでコンビ「オアシズ」を結成。現在は「ゴゴスマ」(TBS系)をはじめ、数多くのバラエティ番組、情報番組などで活躍中。女性の本音や赤裸々トークで、女性たちから絶大な支持を得ている。
撮影/田頭拓人 取材/柏崎恵理 ※情報は2022年9月号掲載時のものです。