〝持続可能な社会を!〟と叫ばれる一方で、後継者不足に悩み、廃業になる企業が後を絶ちません。そんななかで、誇りを持って家業を受け継いだ〝跡取り娘〟を取材してきました。
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石坂典子さん(50歳・埼玉県在住) 石坂産業㈱代表取締役
テレビ報道がきっかけで
激しいバッシングの日々
残された道は“地域に愛される会社”に
することでした
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夢はネイルサロン開業。資金が貯まるまでの期間と思い、お父様が創業した産業廃棄物処理会社「石坂産業」に20歳で入社した石坂典子さん。社会に役立つ素晴らしい仕事をしている会社で働けることを、誇らしく思う気持ちが強まっていた矢先に事件は起きました。
’99年あるニュース番組で組まれた「汚染地の苦悩 農作物は安全か?」という特集。「所沢市の野菜から高濃度のダイオキシンが検出された」と報道されると、ダイオキシンの発生源とされた焼却炉を持つ産廃会社に、地元住民の怒りの矛先が向かいました。後に誤報だったことがわかりますがバッシングは収まらず、とうとう廃業を求める行政訴訟を起こされ会社は大ピンチ。典子さんはお父様を助けたい一心で社長を志願しました。
「昔は、受け取った情報が正しいかどうかなんて疑わなかった時代。集中的に責められ、父の事業への想いや社員の努力の歴史が、なくなってしまうと思った瞬間“私にできることをやる”と。勢いだったと思います(笑)」。
石坂産業が生き残るためには、地域に愛される会社にならなければいけません。売上の7割を占めていた焼却事業をやめて、廃棄物の減量化とリサイクルに注力することを決め、さらに粉塵が飛ばないようにすべての設備を建物内に収めるプラントを40億円かけて建設しました。すると今度は「隠すなんてますます怪しい」と言われ、それならば「見てほしい」と工場見学をスタート。産廃業者の実態と真実を知ってもらうため、マイナスイメージを払拭しようと社員教育や会社裏にある荒廃していた里山の再生にも乗り出しました。
大変だったのは仕事だけではありません。社長就任時3歳と2歳の年子の育児の真っ只中で、布おむつ指定の保育園だったために夜中に大量のおむつを洗濯する日々。「10年間は記憶がないくらい働いた」と典子さんは当時を振り返ります。
現在は、年間5万人以上の人が工場見学や、里山とは何かを体験できる環境教育施設「三富今昔村」を訪れ、名実ともに地元に愛され必要とされる会社になりました。
「父に会社をどうしていきたいか聞いたとき、時間をおいて、ひと言『続けたい』と。女性の2代目なんて誰も期待していないし、次へ繫げばいいんだと少し楽に構えられたのがよかったのかもしれません。石坂産業は、ある企業の廃棄物を、私たちの手によって、別の企業の資源となる環境と経済の両方へ利益をもたらす構造で、1967年以来、循環型社会へ挑み続けてきました。これからはさらに、リジェネレーション(再生)へ突入しています」。家業はサステナブルに、事業はもうその一歩先を行っています。
撮影/BOCO 取材/篠原亜由美 ※情報は2022年9月号掲載時のものです。