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Lifestyle40代にはまだLOVEもドラマもあっていい!

結婚25年目にして、はじめて生活費を入れてくれた夫。それまではすべて使ってしまっていて・・・

お見合い同然で結婚した相手。学歴、職業そして容姿、すべて揃った釣書なのにまさかそんなことが……今回ばかりは取材班も驚き、そして憤りました。

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目次 ★ 見栄っ張り夫との和解

見栄っ張り夫との和解

◯ 話してくれたのは...羽田実治子さん(仮名)

東京生まれ。教育熱心な両親の元、温かい家庭で育つ。17歳のとき1年間イタリアに留学。帰国後上智大学に入学し、卒業後は大手スポーツメーカーに勤務。感情的になるのが嫌いで常に明るく穏やかな性格。
夫 横浜生まれ。父親は元メガバンク重役。お坊ちゃま育ちで有名ブランド大学を卒業後アパレル会社に勤務。典型的な見栄っ張りで、いいカッコしい。ファッションやオシャレな場所が大好き。でも仕事人間で真面目に働いてはいる。

結婚25年にして、昨年春から、初めて、夫が生活費20万円を入れてくれるようになりました。今は気が晴れたように気持ちがラクに。それまでは、夫が使うカード代を私が補塡することが当たり前となり、何十年と頭の中は金策ばかり。3人の子供を育てながら身動きできないでいました。

大学卒業後は大手スポーツメーカーに勤め、アパレル勤務だった夫とはパーティで出会いました。ウォーターフロントのクラブでジョイントし、偶然にも私の上司が夫の姉の旦那さんであることが判明し、急接近。当時夫には恋人がいましたが、両親に反対されているようでした。私は高校時代にイタリアに留学した経験から海外で仕事をするのが夢で、長年ヨーロッパへの転勤願いを出していましたが、封建的な会社で希望は叶わないまま、諦めかけているときでした。

夫の姉の夫、つまり私の上司は自分の点数を上げるため、義父に私が育ちも良くいい子だとオーバーに勧め、付き合っていたわけじゃないのに、夫の実家に遊びに行くことに。そこで気に入られ、話はとんとん拍子に進み、出会って5カ月後に結納を交わしました。絶対この人と結婚したいというわけではないけれど、ほかの人を探す期間を考えるとご縁がここにあるように思えたんです。義父がマンションを買ってくれたことも大きかったかもしれません。結局、お互い相手のことをよく知らないまま結婚しました。

私の父は大学教授、母も公務員の共働き家庭で上手くやっていたので、迷いなく仕事も続けました。夫の給料が入る口座に私の収入も入れ、口座カードを持たされ、そこから光熱費やマンションの管理費など、生活費を使うようにしました。でも夫がクレジットカードを使って買物をするようになると、読めなくなり、収支が徐々に合わなくなっていきました。夫はいつも、「お前に全部お給料は渡しているのだから、収支が合わない分は、自分で何とかしろ」と私に責任を押し付けます。素直に何とかしないとと、生活費を最小限に抑え、自分の収入を全部補塡に回すようになっていました。

いいカッコしいの夫はファッション好きなんです。靴・かばんは特に好きで、10万円近くするものをカードでポンと買います。一人っ子だった私は比べる対象がなく、こんなもんかと黙認してしまっていたのです。

1年後に長男、2年後に次男を出産。当時は保育園も充実していなかったので、仕事を辞めざるをえなくなり、私は専業主婦になりました。ところが、私の収入がなくなった途端、生活費が立ち行かなくなりました。口座に入れる自分の給料を夫はすべて使ってしまうのです。その頃は顔を合わすとお金の話。夫は痛い処をつかれるとキレて、「手取りが30万なら、30万使っても自分は稼いだ範囲で使っているのだから足りない分はどうにかしろ」と怒鳴ります。どう考えても理不尽でおかしいのに、ぎゃんぎゃん言われるとそっちが正しいような錯覚に陥り、最初は仕方なく貯金を切り崩し、それもなくなると私の母にお金を借りるようになっていきました。

ある日シャワーを浴びていると、「保険のアフターフォローの求人が出てるから働けよ」と広告を渡されました。子供も幼稚園に入ったところで時間もあったのでパートに出ることに。そこで毎月8万円の稼ぎがあり、またもやそれを口座に補塡するようになったのです。

旅行も行ったことないし、美容院も最低限しか行きません。洋服はアパレル同士のお付き合いで夫が買わざるをえなくて年に数回買ってくるのですが、結局それもカードで買うので私が補塡し、自分で買ったのと同じ感覚。そのくせたまに家族で原宿などに出掛けるときは、子供にオシャレさせ、1時間かけて私が着る服を指定するんです。どうしようもない見栄っ張りです。

「結婚する相手を間違った」。心底後悔しました。でも長女も生まれ子供が3人になり、1人で育てるほどの自信がなかったんですね。まだこの状態の方がまし、いや、別れた方がまし、と常に葛藤を繰り返していました。

やがて追い討ちをかけるように浮気の気配も。レストランの領収書が落ちていたり、こそこそ携帯で話したりと怪しさ満点。でも浮気なんてどうでもいいと思いました。それよりお金に切羽詰まっていて、主人にも「どうせ浮気をするのなら、貢いでくれる女にして」と言い放ちましたが、絶対に浮気は認めませんでした。

こんな暮らしの中で常々自分に言い聞かせていたことは離婚を選択しない以上、楽天的でいようということ。気分が暗くなると生活すべてがうまくいかなくなる。周囲を見回しても前向きな人は成功しています。子供たちが健康でいるのだし、有難いな、そう思った方が得だと思って心だけは明るくいるようにしました。

一進一退が続いていた3年前、義父がパーキンソン病で、介護が必要に。車で1時間の場所に住んでいましたが、しばらく夫が実家に帰り、自然の流れで別居に。これが良かったんです。相変わらず補塡はしていましたが、別居することでお金に関する喧嘩が減り、ストレスが激減しました。

一方で風の噂で私たちがうまくいってないことを知った夫側の叔母が義父のお見舞いに来てくれたとき、私の肩を持って、夫を諭してくれました。しかし、途中から夫の機嫌が悪くなって、極めつけに「こんな女どこにでもいるから、今すぐ離婚してやる」と言い放ったのです。「そんなふうに思ってたんだ」。ショックというより、人間性を疑い、離婚の準備をしようと初めて真剣に決意しました。

弁護士さんに相談しますが、「こんな責任感のない人からは何も取れません。今は離婚は得策じゃない。ぎりぎりまで我慢しなさい」と言われました。もう八方ふさがりです。そのとき気付いたのです。私の態度が夫を優位に導き、今のような状態を引き起こしてしまっていたと。夫は私より上手で、私の性格を把握し、どうしたら私を操れるか、自分が優位にいられるよう仕向けていたのでしょう。

ばかばかしくなって、長年続けていた保険のパートを辞めました。もちろん補塡もできなくなりました。そのため突然噴火して鼻息荒く電話をしてくることもありましたが、別居しているので夫の発言から受けるストレスが減りました。

昨年3月に義父が亡くなったとき、「じゃあ、いくら生活費がいるんだ」と今まで言ったことのない、耳を疑うような言葉を発したのです。私は常々生活費と格闘していたので、すぐさま「30万」と答えました。マンションの管理費、光熱費、家族の携帯代、子供のお稽古費用に塾代、食費すべて込みの金額です。夫は「じゃあ20万渡す。その代わり、口座カードと貯金通帳を返して」と言いました。10万少ないけど、その方がいいと思いました。長年持たされたカードを喜んで渡し、翌月から20万現金でもらうようになったのです。ぎりぎりの生活ですがこれ程気持ちがすっきりしたことはありません。

同時期に子供が拾ってきた捨て犬を飼うことになると、その犬に会いたい一心で夫がちょくちょく家に帰ってくるようになりました。一切しなかった子育ても反省したかのように徐々に子供たちと向き合うようになってきたのです。父を介護したことで家族の大切さを身に染みてわかったようでした。お金の問題が減ると、喧嘩もなくなり、もめることがなくなってきました。なんと最近は二人でランチをすることもあったりして、私が一番驚いています。

今は夫は残された母と暮らし、子供と私がそこに引っ越すことを望んでいるのですが、姑と暮らすことに私は躊躇。初めて訪れた平安な暮らしをまだ満喫していたいのです。

撮影・取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2015年掲載時のものです。

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