人と人である限り相性があるのは当たり前。当たり障りのない関係はやり過ごせても深い関係はムリ。とりわけ夫婦は、一緒に暮らしてから相性の悪さが露呈してしまうと最悪の結果になります。
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◯ 話してくれたのは...平井理江さん(仮名)
再婚して8年、尊敬する夫と2人の娘に恵まれ、まさかの幸せを手に入れました。高齢出産で産んだ長女の障害も、常に「なんとかなるよ」と前向きで楽観的な夫に支えられ、一緒に乗り越えてきました。結婚なんて誰としても一緒と言う人もいますが、結婚前にパーソナリティを見極めることが大事だと実感。人は早々変わらないし、自分がどんなに努力をしても、報われない結婚もあるのです。離婚後は辛い時期もありましたが、幸せになるためにはリセットすることも必要です。
最初の結婚は30歳のとき。私は大学卒業後証券会社に8年間勤務後、大手総合商社勤務の3歳年上の夫と結婚。元夫は有名国立大卒業後自分が世界を変えることをしたいと仕事に燃えていました。見るからに知的でオシャレ。会話の全てがインテリジェンスで、出会って半年後に熱に浮かされて結婚しました。
結婚と同時に夫の勧めで専業主婦に。新婚生活が始まると、初日から「家でご飯は食べないから作らないで」と冷たいひと言、せめても朝ご飯を用意すると、「作ってあると気疲れする。家庭くさいことはやめてくれ」と拒否されました。シャツにアイロンをかけると女臭いことはやめろと鬱陶しがられます。
その癖、人を家に呼んでパーティをしたがり、私が精一杯のおもてなしをしても、お客様がドアを閉めた途端、反省会。「この後予定のあるお客さんになぜニンニク料理を出したのだ」とか「サーブが遅かった」と責められるのが常。私も黙っていないほうで、当然自分の意見を言うと、何倍にもなって返ってきます。口では勝てないので、つい彼をトンと軽く押したりすると、「暴力とはなんだ。いちばん愚かなことで、最低の人間がすることだ」と100倍返しに。
ある日、私が実家に帰っていたときに夜中の2時に夫からの電話で起こされ、「鍋で夫を殴り殺した妻のニュースを見た。僕もそうなるんじゃないかと思った」とわざわざ言ってきたこともありました。子供も欲しかったのですが、「僕の期待通りの妻になるまではお預け」と、一事が万事全てにおいて、男尊女卑でした。
家事に関する努力はできず、夫を支えようと言われるまま行動してもストレスが溜まるだけで、幸せからは遠い結婚生活。それでも5年我慢したんです。
ところが決定打は、彼の両親が家に遊びに来たときに喧嘩になり、その様子を見た義父が「うちの息子に口答えする嫁はけしからん」と怒鳴り、私の実家に義父母揃って「ひどい嫁だ」と訴えに行ったのです。
それまで夫の不平不満を私から聞いていた両親は、「もう帰って来なさい」と言ってくれ、まずは別居することを夫に提案しました。体裁を気にする夫は大反対でしたが強行に実家に戻ったのです。
別居すると足繁く実家にやってきて、毎回、幸せな頃の夫婦の写真を自分で編集したアルバムを持ってくるんです。女の子のようにコメントをちりばめ、「僕がどれだけ愛していたかわかるだろう」と言われ、背筋が寒くなりました。夫に対して愛情も未練もなくなった私は離婚を決意。夫も仕方なく応じてくれ別居1年後に離婚しました。
当時の日記を見ると「2本の足があってよかった。逃げられた」とホッとしていたのがよくわかります。でも独身になってからは人生の中で本当に辛く寂しく、精神的にヘビーな時期でした。ただ救いは、離婚を考え始めた頃から税理士資格を取ろうと勉強を始めていたこと。私はしがみ付くように、ご飯・トイレ・お風呂以外の時間は全て勉強に費やし、お蔭さまで1年後に運よく合格。少しずつ自信を取り戻し、「資格がある以上働いて生活ができる。一所懸命働いて一生1人で生きていこう」と前向きに考えられるようになっていました。
再出発して3年後、38歳のとき高校の同窓会で今の夫と再会しました。昔から私に好意を持っていてくれ、「頭がよく、さっぱりして女々しくないところが変わってなくて、好きだ」と言ってくれました。その日は金曜日でしたが話し足らず、翌日も会うことに。そして1週間後も会うことになり、とんとん拍子にお付き合いが始まりました。
前の夫とは正反対で、常に気持ちが安定し、穏やかな人ですが当時仕事も面白く、バツイチという負い目もあり、結婚までは考えていませんでした。しかし彼と付き合ううちに、「1人より、2人のほうがリラックスできる。1人で頑張らなくてもいいんだ」と自然に思えるようになっていきました。
付き合って1年後に彼からプロポーズ。再婚で40歳直前の私にとっては本当に有難いことでした。しかし予想通り彼の両親に反対されました。でも彼は2人で両親に会いに行く前に、先に1人で、私の特殊な事情を説明しに行ってくれました。案の定、「子供が産めるの?」と言われたとき、「僕は彼女と一緒にいたいから結婚する。昔から僕の憧れで、初婚だったら僕を相手にはしてくれないよ。いい女がここまで独身でいるわけがないだろう」と守ってくれたと、後になって義母に聞きました。
結果両親も折れ、39歳で再婚。2度目の結婚は最初からこれまで8年間、ずっと幸せを感じていられます。何でも話し合い、お互いを尊重し合える関係であることが嬉しい。感情の起伏が激しい私の性格を、「またやってる」と否定せずに面白がってくれる。年齢的に、すぐに子作りを始めましたが、なかなか授からず、40歳過ぎてから不妊治療をしたときも、夫と一緒だったから乗り越えられた。長女に障害があることがわかったときも、私1人ならとても受け入れることができなかったけれど、絶望している私に対して「僕はそんなふうに思わない。きっと大丈夫だから」と言う言葉に励まされてきました。
振り返ると、最初の結婚は元夫がとてもカッコよく見えて自分は合わせられると思い込んだのですね。でも自分をそう簡単には消せないです。披露宴に来てくれた尊敬するカトリックのシスターに離婚を報告したとき、「わかってたわよ。あの人とうまくいくわけないじゃない。離婚できておめでとう」と言ってくれました。
なぜ周囲はわかっていたのに自分は気付けなかったのか、きっと半信半疑で気付いていてもその思いに蓋をしてしまっていたんですね。もう失敗したくない、今の夫を本当に大事にしたいという想いは今も変わりません。
夫も忙しい人で、夜中に帰ってくることもしょっちゅう。家で食べたいと思って帰るコールしてくれるんだから、たとえ夜中の2時でもご飯は作る。すると「温かいものを温かく、冷たいものを冷たく出してくれる奥さんて他にはいないね」と言ってくれる。仕事の悩みもよく私にしてくれます。私にしか相談できないから相談してくるんだから、しっかり答えると「主婦にしておくのはもったいないよ」と褒めてくれる。
結婚を許可してくれた夫の両親のことも、当たり前ですが大切にし、夫の実家によく訪れます。前回の結婚で反省していることは親に相談しすぎたこと。2人だけならスムーズに解決できることも親が絡むと余計ややこしくなるんですよね。年老いた両親は安心させることがいちばん。夫婦の揉め事に、決して巻き込んではいけないとつくづく感じています。気が付けば、私自身も変わっていました。成長したのかな?
誕生日や結婚記念日以外にも夫はよく2人だけの食事に誘ってくれます。そのとき夫は落ち着かないからと、ベビーシッターさんを雇ってくれます。何気ない話をしながら夫婦だけで楽しむディナーはリラックスできる大切な時間。結婚はいろいろなことが起こるのが当たり前。でも夫婦という核がしっかりしていれば、乗り越えられるんですよね。尊敬できる伴侶を得た私は本当に幸せです。
取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2015年掲載時のものです。