レディファーストだし、子どももカワイイ、そして外国の文化に触れられるし……国際結婚に憧れた40代は決して少なくないはず。しかし育った文化の違いは結婚生活が長くなるにしたがって浮き彫りになってくるのが現実のよう。今回はお互いの溝を上手に修正したご夫婦に登場していただきます。
国際結婚20年目の真実
◯ 話してくれたのは...安藤ゆう子さん(仮名)
子供の頃から海外に憧れ、高校卒業後はシカゴに留学していました。帰国後英会話学校で働いていたときに、英語講師をしていたカナダ人の夫と出会いました。学校の廊下ですれ違いざまに手が触れて、びびっときたんです。私から電話番号を渡し、その日の夜にかかってきました。
当時日本はバブル。夫はいつの日か会社経営をしたい夢があり、「経済の勉強をしたいなら日本に行きなさい」と恩師から勧められ、リュック1個と15万円を抱え、来日しました。大きな夢を持ち、真面目で力強い人。今は何も持ってないけど、自分の意志でやっていける人だと魅力を感じました。
その直感はその後紆余曲折あるものの、今思うと当たっていたんですよね。そこから4年間お付き合いをし、私たちは同い年で、夫はまだまだ自由でいたい気持ちも強かったようですが、自然の成り行きで2人とも25歳のときに結婚。同時に夫はアメリカと日本を繋ぐ貿易会社を起業。夫が営業、私が裏方の二人三脚でスタートしましたが、時代も良かったのか、すぐに軌道に乗り、数年後には自宅マンションを買えるまでになっていました。
29歳で長女出産。裏方を続けながら、子育てにも忙しく、順調に時が経って行きました。でも最初は「見ざる、聞かざる、言わざる」で夫の嫌なところも見ないようにしていたのですが、徐々に目に付くように。夫は会社を立ち上げるだけあって、自分にも厳しいのですが、人にも厳しい。その上短気でやることが何でも早い。それに反して私は丁寧に物事に取り組みたくって時間がかかる方。ペースがずれることに夫は常にイライラして小競り合いは、しょっちゅう。
また結婚前から酒癖が悪く、お酒を飲むと悪酔いし、一緒にいる友人と喧嘩になったりすることもあり、一旦お酒を辞めてもらっていましたが、忙しくなるのと並行して再び飲むようになり、言葉の暴力に傷つけられることが増えて行きました。お互いに不満を抱えていましたが、娘にカナダの教育を受けさせたく、1才半のときに、思い切って夫の故郷カナダに移住することになりました。
カナダでは同じく貿易会社を立ち上げ、2人で孤軍奮闘。とにかく成功したい一心で、365日忙しく働き、大変だったんです。それとともに、夫の短気な性格はもっと酷くなり、夫婦の間に暗雲が立ち込めるようになっていました。
夫は仕事も家事も出来るし、何でもこなしてしまうタイプなんです。耐えられなかったのは厳しい上にキレイ好き過ぎること。拭き掃除をいくらしても、まだ埃があると言われるし、ダイニングテーブルの上に新聞やら書類を置いておくと機嫌が悪くなるんです。夫は何も置いていない状態であるべきだと思っていますが、私はそこまでしなければいけないのと思う。友達からはモデルルームみたいな家だと言われるくらい私から見ればこれ以上どうするの? と言うほど、家の中はキレイなのに、彼には端っこに溜まった埃が見えてしまう。常に責められていました。
仕事は忙しく、家では掃除に明け暮れ、休日に寝ていたら怠けものと言われてしまう。徐々に私は笑えなくなっていました。泣いたりわめいたりするようにもなり、何をするにも気力がなくなり、毎日が辛かったですね。会社でも、家の中でも車の中でも喧嘩。喧嘩が普通の毎日で、7歳になった娘から、「ママ、離婚した方が幸せになれるよ」と言われました。
正直夫のことは大嫌いでした。歯車も狂った状態。夜も眠れなくなって、朝の数時間寝ただけで会社に。寝れない辛さを悶々と味わっていました。ある日、夫から「病院に行った方がいい」と言われ、嫌だったけど行ってみたところ、軽いうつ病と診断されました。薬を処方されましたがなかなか良くはなりませんでしたね。
夫には甘えられず、会社で働いていた年下の男性に相談するようになっていました。当時は唯一の安心できる癒しの場所でした。とはいえ一線を越すことはなく、話すことでホッとできる存在でした。そんな頼れる存在が出来たこともあり、このままでは幸せになれるわけがなく、離婚を決意しました。
夫に離婚を伝えると同時に、これまで不満に思っていたこと、我慢していたことを全部ぶちまけました。夫は怖いもの知らずの強い人で、1人でも不自由なく生きていける人です。私が離婚を言い出したら、覆すことはなく、即効離婚に至ると思っていました。だから私も相当の覚悟で伝えたんです。ところがそのときはあやふやにされてしまったんです。
その数日後のことでした。夫に年下の男のコのことがばれてしまい、やりとりしていたメールのコピーが会社の私の机に置いてありました。さして大した内容ではなく、相談事のメールでした。少し前から勘付いていたようです。でもばれたところで私は離婚したいと思っていたので、怖くありません。
自宅に戻り、ただ夫は体の関係があるのかないのかをすごく気にしましたが何もなかったので、それを告げ、あとは野となれ山となれの気分でした。そうしたら私のクローゼットに入っている洋服やらジュエリーやらを全部裏庭に投げつけられたんです。私は怖くなって、走って逃げて、そのまま友達に電話して迎えに来てもらい、一晩泊めてもらいました。
翌日は終わる覚悟で家に戻ると、夫は謝りました。私がいない夜を過ごして、1人で夜通し泣いたと言うんです。「僕が変わる」「どん底まで行って気付いた」と言いました。そして「ずっと一緒にいたい。離婚はしたくない」と。そう言われても関係の悪い時期は長く、すでに3年以上続いていたのでそのときはピンとこなかったんです。
その日から夫はお酒を断ちました。細かく指摘されることもなくなり、私を尊重してくれるようになりました。その姿を見て、もう1度リセットできるなら私も変わろうと思えました。まず我慢せず、きちんと自分の意見を言うこと、小さなことで悩むのはやめ、主人を信頼して付いて行こう、と楽観的に考えるよう努力しました。
夫は料理にはうるさくないので料理よりも家の中の片付けに時間を割くように。それでも掃除に関して指摘されることがあれば、「あら、老眼で私には埃が見えないの~」と言い方を変えるようにすると、夫は笑うようになりました。こうやって少しずつ歩み寄って行きました。今も喧嘩をすることはありますが、夫は丸くなり、私は前向きになり、うつ病も良くなって行きました。
そして国際結婚ならではの悩みかもしれませんが、喧嘩の原因の1つだった性生活についても年齢を経るに従ってお互い努力するように。夫は毎日でも持ちたい人、私は滅多にしたくないというスタンスでしたが、週1か2週に1度のペースで応じるように。そのため夫が喜ぶセクシーな下着をオーダーするなど努力もしています。
夫婦は相手が何をしたら嬉しいのかを見つけて、それをしてあげることだと思います。要望に応えてあげたら些細なことで喧嘩しなくなります。うちの夫は家をキレイにすることやセクシーな下着も鍵! 女らしくいることなど小さなことで喜ぶんです。それを見つけるためには話さないとわからない。たぶんこれが好きだろうでは的外れなこともあり、真正面から何をしてほしいのか希望を聞くことが大事だと実感しています。
あれから5年以上が経ち、会社も軌道に乗り、昨年家を建てました。あんなに夫のことが大嫌いだったのに今はこんな素晴らしい夫はいないと心から思えるように変わり、今があるのが信じられない。酷いこと言われても許せないことされても、そして自分がした方でも、夫婦はリセットできます。100%完璧な相性はないし、80%幸せだったらあとの20%は笑って誤魔化せばいいんです。
取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2016年掲載時のものです。