あなたは、配偶者と死別した後の自分を思い浮かべたことはありますか? 今回は、早くして夫との別れを経験した女性たちにお話をうかがいました。
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木村由美子さん(44歳・広島市在住) 会社員
夫 木村拓也さん1972–2010年(享年37歳)元プロ野球選手・コーチ
ある日、突然
いなくなってしまった夫へ。
「この子たちは、あなたが育てたかった
ように育っていますか?」
いなくなってしまった夫へ。
「この子たちは、あなたが育てたかった
ように育っていますか?」
’10年4月2日。子どもたちが帰宅し、夕食作りに追われるいつもと変わらない時間。一息ついた時、夫の携帯からかかってきた“いつもの電話”。しかし、電話から聞こえてきたのはいつもと違う聞きなれない声で、『木村コーチが練習中に倒れた』という言葉でした。
すぐに搬送先の病院に駆けつけると、ICUのベッドに横たわる拓也さんはまるで眠っているようだったそう。「お見舞いに来た子どもたちも傷などない夫の姿が、ただ寝ているように見えたようで、『パパ起きた?』と何度も聞かれました。首から上では時々変化が見られ、涙を流したり咳き込んだりつばを飲み込んだり。しかし、お医者様の見解では、それでも意識は全く戻っていないとのこと。それは反応ではなく『反射』ということでした」。
4月7日容態が急変。「夫はパッと目を開き、そのままゆっくりと閉じました。最後に夫が頑張った証しだと感じました。くも膜下出血で倒れてから5日間、一度も意識が戻ることなく37歳という若さで私たちの前から突然いなくなってしまったんです」。
前年の’09年限りで巨人軍を最後に、野球選手としての現役生活を引退。この年から巨人軍コーチとして第二の野球人生が始まったばかりでした。
「当時、家族は広島で、主人は東京をメインに生活していたので、私も子どもたちも父親が家にいないことに違和感がありませんでした」。しかし、1カ月経っても、2カ月経っても帰ってこない。やっぱりいないんだと、そう思う瞬間が2年位続いたそう。
「人望厚く、裏表のない人」。木村拓也さんとは? と質問すると、多くの人がこう答えます。その印象は家庭でも変わらなかったそう。「喧嘩もなく、笑顔しか思い出せない優しい夫であり父親でした。常に私の意見を尊重し決して自分の意見を押し付けない。必ず相手の意見を汲み、常に他人のことを考え思いやりのある人でした」。
亡くなってから13年が経過した今も、夫のことを考えない日はないという由美子さん。「子育てのことだけでなく、新しいメニューを作ったら、『何て言うだろう』って。主人が元気でいたら、どう言ったかな? どんな反応したかな? と、常に考えています。子どもたちも2人が成人し、当時3歳だった次男も16歳に。結婚後、すぐに子どもを授かった私たちの会話の中心は子どものこと。彼らが巣立ち始めた今、子どもの成長と共に変化する“夫婦の会話”ができないことで、寂しさは増していきます。過去に戻ることより、二人きりで年を重ねながら新たな楽しみを一緒に見つけていきたかった」。
喪失感を抱えながらも、子どもたちだけでなく由美子さんもまた前を向いて歩み続けています。「主人が亡くなってから経理の仕事を始めました。実はこの仕事が人生初。主人は私がチャレンジすることを常に後押ししてくれる人だったので、仕事をすることも賛成してくれたと思います。私が少し人見知りということも知っていたので、『そんな仕事、無理じゃない⁉』って言われるかも(笑)。資格取得も視野に入れて頑張ろうと思っています」。
日々の生活の中、夫の愚痴を言ったり、腹が立つこともありますよね。でも、ある日突然その日常がなくなってしまうことを、拓也さんを突然亡くして知った由美子さん。日々心がけるのは何気ない日常、この一日一日を大切に過ごしていくということ。
「何年経っても、悲しみは消えません。でも、主人が残してくれた3人の子どもという宝物を大切にしながら、主人がいつも実践してきた“一生懸命”を貫き、生きていこうと思います。『あなたが育てたかったように子どもたちは育っていますか?』って、主人に問いかけたい。いつもの笑顔でお疲れ様って言ってくれるかな? そうだといいな」。
撮影/前川政明 取材/上原亜希子 ※情報は2023年1月号掲載時のものです。