あの時ああだったら、こうだったら……結婚はタイミング、と言いますがあとになってからではないと分からないことだってあります。大事なのは、今が幸せかどうか。実体験をした読者の方に、お話を聞きます。
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共通の趣味はカリフォルニアワイン。再婚前にそれぞれが買ったもの、再婚後一緒に買ったものと合わせて100本がワインセラーに。週1で1本開けて夫婦で飲む時間が楽しみです。最初の結婚から14年を経て昨年再婚し、ほんとに出会えてよかった! 今も奇跡のような気がしています。
最初の結婚は29歳のとき。大学卒業後は日系航空会社にCAとして勤務し、26歳のとき合コンで出会って結婚しました。元夫は関西出身の商社マンで同い年。大学時代はアメフト部で体も大きいけれど性格もガハハと笑う大らかな人。社交的で面白くて、まさに理想のタイプでした。
結婚が決まったときは本当に幸せでしたね。婚約後結婚式の段取りを決めるのも楽しかったのですが、徐々に義母が口を出すようになってきたのです。義父は元政治家、義母はインテリアデザイナーという家柄で元夫は一人っ子。バリキャリの義母を最初は素敵な人だと憧れていたのですが、結婚式場のホテルから始まって、引き出物、案内状……すべて決められてしまい、一切好きなようにはできませんでした。
その上、嫁入り道具にも難癖を付けられ、用意していた食器にも「もっといいものを買いなさい」と九谷焼など和食器を送り付けらました。ありがたいと言えばありがたいのでしょうけど、あのときはものすごく窮屈に感じました。
私がフライトで海外にいてもお構いなしで国際電話で、希望や文句を言ってくるし、元夫も「ごめんごめん」と謝るばかりで義母には強く言えないんです。あの家は義母が本当に強い人で義父は何も言わず、野村監督と野村沙知代さんのよう。外見も似ていました。
これは大変な家に嫁ぐことになったと不安を感じながらも、「まあ何とかなるだろう」と楽観的な気持ちで結婚式の日を迎えました。式・披露宴ともに順調に進行したと主役の私たちは満足でしたが、義母からは夫が披露宴で酔っ払ったことが親に恥をかかせたから親戚を回って謝りなさいとか、更衣室がわかりにくく、新婦の仕切りが悪すぎると怒られました。
なれない結婚式に疲れているのに、そのことで何時間も電話でお説教。夫婦で疲労困憊してしまい、「新婚旅行から帰るまでは義母からの電話に出ないようにしよう」と夫婦で決心して、イギリスに旅立ちました。
そして私たちは楽しんで帰国したのですが、想像どおり義母は怒り狂っていて、夫と代わる代わる電話に出て謝り、その日は夫が会社に行く朝7時まで夜通し電話で怒られました。それが何日も続いたんです。
新生活がスタートしても、私は残業をしてはいけない、夫が帰るまでに夕飯の用意を整えて待っていなさいと指示。そもそも不規則な職業上無理ですが、頭から断言するんです。しょっちゅう関西から東京の私たちの家に来て、「こうあるべきだ」と言われました。夫婦間には何のトラブルもなかったんですが、ただ元夫も義母には逆らえなかったんですよね。
私が仕事を辞めれば違っていたかもしれませんが、すごく仕事が楽しい時期で、当時辞めるという選択肢はなかったんです。女友達も誰も結婚していなくて、私だけが大変な思いをしているように思え、何度も夫婦で話し合って、30歳で離婚しました。離婚の決断も、ややこしくなる義母抜きで両方の父親同士で相談してもらって、進めました。今でも義母は嫁のわがままで離婚に至ったと思っています。でも、私はやっと義母から離れられたという開放感でいっぱいで本当にうれしかったですね。
30代前半は思いどおり、仕事に邁進しました。徐々に役も付き、責任も増えていきました。その一方で、再婚したかったので、合コンにはできるだけ参加し、何人かとお付き合いもしました。
ところが37歳の頃会社が倒産し、再生に向かって動き出した半年間は休みもなくほとんど寝ずに仕事を続ける毎日で、心身ともにくたくたでした。3年ほどは未来と光の見えない忙しさが続き、正直多忙と言われる企業に勤務する男性社員より忙しかった。美容院に行く暇もなく、メークもひどい状態ながらもできるだけ合コンには無理しても参加していました。
あんなに仕事がしたいと思って離婚をしたのに、忙しさのあまり早く辞めたいという気持ちにいつも付きまとわれていました。でも元来負けず嫌いの私は、ここで辞めるのは悔しい、会社が再生するまでは頑張ろうと思ってしまうんです。やっと会社も落ち着き始め、ふっと気づいたら41歳になっていました。その頃、40代で結婚できる人は5%と聞き、何とかしなければと焦る気持ちと、絶対に再婚をあきらめないぞと心に誓いながら合コン活動は続けていたのです。あの日もワイン会に誘われ、特に合コンということでもなく、非常に疲れがたまっていたこともあって止めたい気持ちもあったのですが、「5%」を思い浮かべ、少しでも顔を出そうと寝不足の状態で参加しました。
そこで出会ったのが3歳年上の歯科医である夫でした。第一印象は難しい顔をした、真面目な面白くない人。堅物そうなイメージでこれまで付き合ってきた人にはいないタイプでした。でもお互いが好きなカリフォルニアワインの話になると盛り上がって、意外にも話が合いました。でもその日も会社に戻りたかったので、2時間そこそこで二次会にも行かずに帰ったのですが、メールアドレスを交換しました。すると夫から連絡が来て、1週間後にカリフォルニアワインが飲めるレストランに行きました。
2人で会ってもとにかく真面目。でもその真面目さに徐々に惹かれていくようになったんです。それでなんとなくお付き合いに発展していきました。恋人となっても夫は変わることなく朴訥な人。タイプは違ったけれど、好きになっていきました。私は結婚を視野に入れていたのですが、夫は踏み切れない様子でした。長く独身でいたので、完璧な人を探しているのかなと勝手に想像していました。
だからと言って、私から結婚の話題を振ったりすることはなかったですね。結婚する気はなさそうだし、別れたほうがいいかなと思うこともありました。でも当時、会社が完全に再生し、やり切った感を実感して私は退社し、夫は歯科クリニックを起業し、立て続けにそれぞれの人生が進んでいたんですね。付き合って2年くらいが経ったとき、私のマンションの更新時期になり、夫から「それなら一緒に住もう」と言ってきたのです。驚いて、思わず「どうしたの?」と聞いても「あー」くらいでのらりくらり。
それで一緒に住み始めたら、その頃私はフリーターだったのでクリニックを手伝ってと言ってきて、そのうち休日に「今日は指輪を買いに行こう」と自然な流れというか、人生の展開に沿いながら進んでいったのです。次第に子供の話をするようになり、夫はとても子供を望んでいました。それなら早く結婚したほうがいいということになり、43歳と46歳で結婚し、同時に不妊治療もはじめました。今も頑張っています。
夫の真面目さは変わらず、常に患者さんのことを考え、クリニックで遅くまで治療法の勉強を続け、帰宅はほぼ0時くらい。それから一緒にご飯を食べて、私は先に寝て、夫は2時頃まで勉強しているようです。そんな姿を見て、人間的にとても尊敬できる人で、結婚してからのほうが好きになっています。私はずっとできなかった仕事以外のこと、今は家事ですが一生懸命楽しんでこなしています。
今までの人生で今が一番幸せですね。年に2回、カリフォルニアワインがおいしく飲めるハワイにゴルフ旅行に行くのもご褒美。本当に再婚をあきらめなくてよかったなあとつくづく思います。
そうそう、夫の義母はとてもいい人。何も口出ししません。ありがたいです(笑)。
取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2017年掲載時のものです。