突然ですが、あなたは結婚相手を何で選びましたか。顔? 肩書? 性格? 様々な条件があれど一番ふさわしい相手だったかどうかは誰もわかりません。大切なのは今この瞬間が幸せかどうか。今回のお話も私たちに希望を与えてくれます。
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40代の初婚活物語
◯ 話してくれたのは...篠原温子さん(仮名)
20代から結婚を夢見ていたのに、40代目前になっても結婚できなかった私が41歳で結婚した夫は10歳年上のバツイチ。以前の私なら見向きもしなかったでしょうが、今は本当に幸せ。人生が180度変わり……というよりも私自身が大きく変われたから。
大学卒業後は堅い企業に就職。取柄もなく淡々と仕事をこなす一方で、頭の中は常に交際中の彼のことと、結婚への妄想でいっぱいでした。いつも恋人はいて、退社後は銀座でナンパ待ちという日々。そうやって出会った一流企業の会社員の彼と6年間交際しましたが、結婚話になるとお付き合い消滅。同じようにしてすぐに次の彼はできるんです。その人とも長く付き合ったけれど、人柄が信頼できず、結局結婚に至りませんでした。
30代に入ってからは、単発期間の彼が次々にできるものの、毎回結婚したいと彼に告げるとフラれる、という繰り返しで、気づけば適齢期を過ぎていました。その頃の私は条件のいい、例えば一流企業に勤務する男性と結婚さえすれば幸せになれると思い込んでいたんです。今思えば、中身がなく、浅はかで、空っぽだったなあと思います。
そんなに結婚を望んでいるのにできない。毎日苦しくて苦しくて、朝目が覚めると汗びっしょり。結婚ができない自分はきっと価値がない、何のために生きているのかと死にたいとまで思うときがありました。ありとあらゆる占いにも行きましたし、催眠術によって自分の欠点を取り除こうという睡眠療法まで通いました。何にでもすがりたい気分だったんですよね。ひいては、資格を取ることが自分磨きだと勘違いをして、男性にモテそうな、お茶・お花・アロマ……などの資格も取りまくりました。
一方で3カ所の結婚相談所に入会。常に頭の中はいかに素敵な人と結婚するかのみ。空っぽだった自分、思い出しても恥ずかしいです。そして36歳のとき、店舗開発を職業にする実業家の彼と運命の出会いをしたのです。これまでの一流企業の会社員とはちょっと雰囲気が異なるクリエイティブな人。彼のお店で開催されたお見合いパーティに参加し、そこで会ったのですが、話してみると他の参加者とは雰囲気が違い、よくよく聞くと開催しているお店の人でした。背も高くないし、外見は好みでなかったのですが、4歳年上でなんと独身。一気に惹かれました。
でも全然相手にされず、その日は連絡先の交換のみ。でも会いたくてしょうがなくなり、何度も連絡して、会えるようにもなって、遂に恋人に。あーこの人と出会うために今まで結婚しなかったのねと思いましたね。話は面白いし、デートする場所もステキなところばかり。最初から結婚できるものと思って付き合っていました。
8カ月後、彼のほうも結婚に前向きで、私の両親にも紹介しました。本当に幸せでした。なのにその後当時流行っていたSNSを通して彼の浮気が発覚。それで彼を問い詰めようとしていたときに、なんと彼が失踪。全く連絡が取れなくなってしまいました。今思うと私から逃げていたんですね。本当にショックで、しばらくは落ち込みました。なんで私はこうなんだろう? 相手はいても結婚できない事実に、私に問題があるのではないかとやっと気づいたのです。
自分を変えないといけない。そう思ったとき、そもそもワークショップやお稽古などが好きな私。失恋した人を対象に、自分を振り返るために山にこもって内省する山梨県にあるお寺主催の会に参加することにしたのです。
そこは恋愛に悩む女子ばかりが参加者。2週間のカリキュラムは誰とも会わず一人で与えられた部屋にこもって、これまでの人生を振り返り、感謝の気持ちや自分の感情をひたすら書き出すんです。それだけのことなのに気持ちが穏やかになって、自分を振り返ることができたんです。
私に欠けていたことは、結婚さえすれば幸せになれると思い込んでいて、自分自身がどんな生き方を求め、どんな人が好きなのかもわかっていなかったことを知ることになりました。その年齢でやっと気づいたのですから本当に未熟でした。お付き合いしてきた人に対しても、付き合ったことに安心して、相手への思いやりよりも自分のやりたいことばかりを優先して、友人としょっちゅう旅行にも行くし、買物もするしで、まったく家庭的ではありませんでした。
好き放題しているのに自分を認められず、他人の評価ばかりを気にしていました。こういう人と結婚したら、羨ましがられるのかな、などと思っていたんですよね。結局は自分に自信がなかったんです。お付き合いした男性からも、自信がないよね、と言われたことがありました。資格をいっぱい持ったから自信を持てるのではなく、どうしたいかを見つめて、それに向かって生きていることが大事なんだと徐々に気づくことになったのです。
自分の好きなことって何だろうと思ったとき、その頃習っていた、磁器の食器に絵付けをするポーセラーツにとにかく無我夢中になれました。小さなことだけど、まずは好きだと思えることだけをやっていこう、資格取得のためにやっていたほかのお稽古は辞めました。彼も同じ。自分を幸せにしてくれる人を条件で求めず、本当に一緒にいて楽しくて、ともに人生を歩める人というふうに、価値観がシフトしていったんです。長い時間かかりましたが、少しずつ自分軸で物事を考えられるようになって、結婚への妄想もなくなりました。
そして39歳のとき夫と出会いました。オーガニックカフェで主宰されたパーティで合い、10歳年上なのに、とても気が合いました。昔のように、結婚相手かも? と思うこともなく、自然に会話が弾みました。そのときにポーセラーツが好きだと作品の写メを見せたりしてるうちに、「そんなにうれしそうに話すんなら、教室を開いたら?資格を生かしなよ」と言われたんです。そんなこと全く考えてなかったのですが、「PC関係苦手だし」と消極的に言うと、「じゃあ教えてあげるよ」とまた会うことになりました。
そうやって会ううちに、バツイチで奥さんが子供を引き取っていることや、起業しているけど経済的に安定していない、などと少しずつ彼のことを知るようになっていったんです。会社帰りに疲れて会うことが多かったのですが、「そんな顔見たくない。もっと楽しくいきなよ」と言うんですよね。ものすごく自然体でいられました。
気づくとお付き合いをしていて、半年後には一緒に住み始めるように。親にも紹介して、41歳の直前に結婚しました。なんてことはない自然な流れでした。彼の後押しもあって、会社を続けながら、ポーセラーツの教室も週末に開きました。今や私の生きがいとなっています。会社も惰性で嫌々ながら通っていたのに、結婚して教室を始めたら、会社も楽しくなっていきました。
夫は私に家庭的なことを求めず、「自分が好きなことをやって楽しい人生だったと思って死んでくれたら俺はいい」と言ってくれます。夫の仕事は浮き沈みもあって、経済的負担は五分五分で、家事も協力し合っています。自分を認めてから不思議と人生うまく回るようになりました。今思うと、、私に合った結婚をしていたんですよね。
私が努力していることはいつも夫を立てること。たとえ噓でも褒めるし、すごいねって、常に話を聞くようにしています。こんな私の経験、今結婚ができなくて悩む同世代の方々へ参考になればと思って、お話しさせて頂きました。
取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2017年掲載時のものです。