「妻だけED」などと自己中心的な戯言をいう夫に、怒りを超えてあきらめの気持ちを抱いている40代は少なくありません。さて、そこからどうするか。ひとつの答えに行き着いた40代のお話です。
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◯ 話してくれたのは...東野陽子さん(仮名)
ようやく暖かくなってきて、そろそろゴルフ旅行の再開です。どちらかというと私はゴルフが億劫。でも「年とっても一生夫婦で続けられるよ」と言う夫の言葉でスクールに通い、昨年からデビューしました。
1学年上の夫とはテニスサークルが一緒で、それぞれ大学2年生3年生のときからお付き合いを始めました。私は関西育ち、夫は関東育ち。付き合えば付き合うほど、そのギャップがいい意味でも悪い意味でも新鮮で、性格も習慣も考え方も、私にはない、ポジティブなところに魅かれていきました。恐らく夫もそうで、私たちは相思相愛。ともに関東で就職をしてからもよい恋愛が続きました。
学生時代はほぼ毎日、就職後も週2回のペースでデート、やがて26歳と27歳で結婚しました。ところが、交際中は、頻繁だった体の交わりが、結婚後がくっと減ったんです。結婚式の夜も、疲れたーと言って夫は何もせず寝てしまい、ヨーロッパを巡る新婚旅行先でも1度もありませんでした。もちろん昼間は会話も多いし楽しいんですよ。夫はあっけらかんとしてますが、私は? の連続。
それまでは、圧倒的に夫は熱心、私が拒否するパターンだったのが180度変化。新婚生活がスタートしてからも、新婚なのに数カ月に1回程度。憤懣やるかたない気分でしたが、そんな中でもすぐに妊娠。でも、余計遠ざかることになってしまったんです。
27歳で長男を出産し、子供は順調に育ち、メーカー勤務の夫も仕事は順調で早い出世を続けていました。夫は多忙ながらも、家事や子育ても手伝ってくれ、特に子育てに関しては元祖イクメンで、2人で育てるという意識の強い人。子供が小さいときから、毎年家族旅行も欠かさなかったし、夫婦仲良くやっていたし、もちろん幸せでした。
しかし、気がつくと完全にセックスレスの状態でした。恐らく妊娠したときの交わりが最後で、7年間全くなし。勇気を出して私から求めたこともありましたが、反対側に寝返りを打たれ、拒否。以前はあんなにセックスを楽しんだというのに、一体どうしたのか物凄く悩みました。浮気をしているのではないかと疑ったこともありましたが、そんな風でもない。子供中心ではありましたが、家族仲良く大きな不満もなく暮らしていたのです。
そんな頃、1度だけ酔って帰ってきた夫に夜中に起こされ、7年ぶりにありました。幸せとはこのこと? って思うほどうれしかったし、幸せでした。言葉にするのは恥ずかしいけれど愛されていることを実感したんです。これで復活だーと思ったのはぬか喜び。2度目はなく、またレス状態が続きました。
この頃メディアでもセックスレスが頻繁に取り上げられ、特集番組も熱心に見たし、本も10冊以上読み、無料の悩み相談に電話をしたりもしました。そこここで得たレス解消の方法を総称すると、下着にこだわる・夫の前では常にメークをする・華やかにおしゃれをする・寝室をきれいに掃除し、イランイランなど高揚する香りを焚く・2人で食事に行く・体を清潔にする・夫を責めない……などとあり、できる限りのことはやってみました。
一時は鰻など精のつくものを夕飯に出したり、精力を高めると言われているサプリのマカをお味噌汁にこっそり混ぜたりもしたんですよ。部屋もいつもきれいにして、料理もきちんと作ったし、全方位頑張っていました。でも全く効果なし。きっとアメリカ人やフランス人なら離婚に至っているレベルでしょう。離婚までは考えなかったけれど、女として寂しかった。だとしても、自分が浮気をする気には私はならなかったんです。夫のことは大好きだったし、ほかに問題がなかったからです。
そんなときです。子供が中学受験に成功し、一段落したときに、なんと浮気が発覚。もう青天の霹靂です。相手はキャバクラ嬢で半年くらい付き合ったとのこと。発覚のきっかけは、夫がうっかりズボンのポケットに入れて持ち帰ったラブホのキーを見つけてしまったのです。問い詰めたら白状しました。ということは、一時期EDを疑いましたが、できるということなんですよ。追い討ちをかけるように大ショック。夫は出来心だったと心から謝り、二度と会わないと約束。誠意を感じたし、子供は晴れ晴れと第一志望の学校に通い出したときで、許すしかなかったですね。
それで、私は夫に「話がある」と言って、LDKのテーブルに向かい合って座らせて、「許す代わりに、今後、夜の営みを復活させたい」と勇気を出して言いました。すると夫は「君のことは唯一無二の妻だし、本当に大切に思っている。でもそういうことはもういいじゃないか。楽しくやっていこう」とさらっと言われたんです。がーん、もう私とセックスする気がないんだ、女性というより家族なんだ、と、いろんな思いや想像が巡り、愕然としました。
もう返す言葉もなくって、また淡々と日々が過ぎていく中で、もう1度働きたいという思いを今こそ実現させて、私も自分の世界を持とうと再就職活動を始めたんです。39歳でした。幸運なことに食品メーカーに合格し、社員として正式に働き始めました。夫とは家事を分担。子供の行事にもできる限り2人で参加し、できないときはどちらかが参加する方向で調整し乗り切りました。あんなに悩んでいたセックスレスに関しても、もうどっちでもいいや、と思うようになっていたんです。
というのも働き始めると人間関係や自分の能力のなさに悩むこともしょっちゅうで、そんなとき夫の経験者としてのアドバイスがいつも胸に響き、どちらかというとネガティブな私の考えを一掃でき、試練を乗り越えていけたんです。夫は私にとってものすごく頼れる人なんですよね。昼も夜もどっちも現実だけど、昼間こんなに幸せなんだからそれ以上求めなくてもいいやと思うようにもなっていました。
でも人生は思うようにはいきませんね。43歳のとき、婦人科系のガンが発覚したのです。疑いがあるとわかったときもすぐに会社にいる夫に電話。「大丈夫だよ」と元気づけてくれましたが、がん確定となったとき、夫は想像以上に落ち込み、涙を浮かべ、「僕が助けるから」と、それ以来、診察全てに付き添ってくれ、ベストな治療法を一緒に見つけてくれました。
手術の日、麻酔をかける直前まで見守っていた夫を見たとき、目を真っ赤にはらして、泣くのを我慢しています。夫は何も言わなかったけれど、きっと「俺が付いていながら、こんな思いをさせてごめん」と言いたいのだと私には思えました。お陰様で早期発見で病状も軽く済み、その後順調に回復。でもこの出来事で全てが氷解しました。
体の関係はないけれど、夫は心から私を大切に思っている、愛してくれている、そして私も同じ気持ちだと思えたんです。賛否両論、いろんな意見が世の中には溢れています。でもこんな夫婦の形があってもいい、私たちはそれでも幸せだと今も思えます。セックスレスを完全に解消していたらもっと幸せなのかもしれません。でも私はアメリカ人じゃないし、日本人だし、結婚20年以上たった今でも、夫を信頼し尊敬もしています。子供も順調。やりがいのある仕事も見つけられました。これ以上望んだら、罰が当たるって本気で思っています。
そうそう、一時期セックスレス解消のために頑張ってやったことは、レス解消には繫がりませんでしたが、夫婦関係向上には明らかに繫がりました。夫の機嫌が良くなって、よくお土産を買ってきたり、旅行に連れて行ってくれたり……私が喜びそうなことをしてくれる回数が増えました(笑)。でも30年ぶりに、40年ぶりに解消する日が来るかもしれない、と楽しみにしたりもしています。
取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2019年掲載時のものです。