多くの人が憧れる職業〝アナウンサー〟。難関試験を突破して放送局に入社しながら、20代、30代で退職し、異なる分野でも、新たな才能を開花させる方が増えています。今回は、そんな方々を取材した第2弾。道を切り開いていく彼女たちは、人生100年時代のお手本なのかもしれません。
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元日本テレビ アナウンサー 阿部哲子さん
44歳・千葉県在住 ジオテクノロジーズ㈱ マーケティング・PRディレクター
「質の高い仕事と速さ。求められたものに対処すべく、努力や学びを重ねて格闘する毎日。ここではまだ入社1カ月ではなく、もう入社1カ月!なんです」
新しい分野への学びが
今までに〝意味〟を
これからに〝可能性〟を
与えてくれました
今までに〝意味〟を
これからに〝可能性〟を
与えてくれました
報道番組、バラエティそしてスポーツ実況など様々なジャンルの番組を担当し、日本テレビアナウンサーとして活躍されていた阿部哲子さん。「ついていくのに必死だった入社後の研修を経て、いよいよ現場へ! 最初の担当番組ではプレッシャーもあってうまく進行できず、収録後1人残って泣いていたことも」。
様々な悩みや葛藤を抱えながらも必死にくらいつき、阿部さんは現場実務で鍛えられていったのです。「実は私、話し下手で自分のことを話すのが苦手。でも、素敵な人や物を番組で紹介するのは好きでしたから、アナウンサーという仕事は合っていたのだと思います」。
入社7年目、日本テレビを退社しフリーになることを決断。理由は〝結婚〟でした。
バンコク赴任中だった夫の元に渡り2年後、男の子を出産。しかし、予期せぬ問題が。「息子の心臓に穴が開いていることがわかったんです。先天性の〝心室中隔欠損〟という病。生後3日目に判明しました。それからは月に一度の大学病院での検査と経過観察。日本帰国後も、その生活は続きました。授乳中、就寝時、どの瞬間も息子の様子が気にかかり……当時は私自身ノイローゼ気味だったと思います」。
心臓の穴の自然治癒は生後2年以内が多く、2歳を過ぎても閉じない場合には自然治癒は稀。そんな情報を目にし、我が子の4歳までの誕生日は複雑な思いで迎えていたそう。しかし、4歳半で自然に閉じるという奇跡が起きたのです。現在中学生の息子さんは、とても元気だそう!
帰国後は8年ほど子育てを最優先に、無理のない範囲で仕事を続けていた阿部さん。ところが、この頃、離婚や自身のプライベートのことで世間を騒がせることとなり、アナウンサーとしての仕事から遠ざかることに。「離婚し、シングルマザーとして生活する上で重要な〝仕事〟を半ば失うようなことになり、一体どうしたらいいのか……」。
しかし、テレビという表舞台でのお仕事はなくなったものの、活動は細々と続けていた阿部さん。そんな彼女のもとに、イベント司会のオファーが。その仕事を介し、㈱立飛ホールディングスの社長である村山正道さんとお話しする機会に恵まれ、『会社の広報PRをやらないか』というお誘いをいただくことに。
「私の様々な事情を知った上でのオファーに二つ返事で快諾。それは全てを失ったと感じていた自分にとって、仕事がもらえたという単純な喜びだけではありませんでした。自分が歩んできた道筋に意味を持たせてくれ、このご縁もアナウンサーという道を歩んでいたからこそだと思うことができたんです」。
入社前まで、〝稟議書〟という言葉すら知らなかった阿部さんを会社は温かく迎え入れ、一から学ばせてくれたそう。「入社し気づいたのは、広報の仕事は『企業のファンを作ること』。それは、アナウンサーも一緒。番組のファンを作るのと同じなんです」。
入社して3年目。阿部さんが再び大きな決断をします。「これ以上ないと思える職場環境の中で学び多い時間を過ごしてきました。心の余裕もでき、改めて自分と向き合い先のことを考えることができるように。そんな時に知人から『地図データ会社が広報を探している』という情報を聞き、全く新しい分野でしたが、私の中に、もっと広報を学びたい! 挑戦したい! という気持ちが湧き上がってきたんです」。
そして今年4月、ジオテクノロジーズ㈱にマーケティングPRとして入社。再び新たな一歩を踏み出すことに。「プレスリリースや資料作成のみならず、セミナーやイベント開催時の司会も担当しています。時に、求められている仕事のハードルの高さから挑戦したことを後悔してしまうこともありますが、できないことに必死になるより自分が持つ専門性を伸ばすことも大事と感じています。培ってきたものをフル活用しないと!」。
忙しい毎日を送るなか、いつも心の中にあるのは大切な息子さんのこと。「両親がフォローしてくれてはいたのですが、一人で大丈夫か、誰もいない家に帰宅するのは寂しくないか……そんなことばかり仕事中考えていた時期も。申し訳なくて、可哀そうで涙したことは数知れず。でも、今は中学生になり、常に前を向くわが子と共に、私も前進していこうと思います。彼のために、そして何より自分のために」。
撮影/BOCO 取材/上原亜希子 ※情報は2023年7月号掲載時のものです。