私たちが想像しているより、今どきは離婚が大痛手でない人もいるらしい。婚活アプリも結構スタンダードになっていて、気の合う相手も見つかるらしい。今回は、新しい時代、新しい世代を予感させる40代のお話です。
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◯ 話してくれたのは...江角みきこさん(仮名)
円満離婚後、元夫とは恋愛悩み相談をする仲。何といってもお互いを一番よく知ってるから、正確なアドバイスをしてくれるし、私もできます。とはいえ、嫉妬心は多少あるんですけどね。その元夫と15年間の結婚生活にピリオドを打ったのは、41歳のときでした。
出会いは私22歳、夫25歳のとき、お互い友人と来ていたショットバーで自然と4人で飲み始めました。元夫は口数が少なく、シャイな人。当時私は銀行員、元夫はメーカー勤務の会社員で、なりゆきからその後、星を見に行き、交際が始まりました。私は身長が177㎝。絶対に私より背の高い人と結婚するのが夢で、彼は180㎝の高身長でスタイルも良く、当時は本当にかっこよかったんです。一目見たときからこの人と結婚できたらいいなと思っていました。
私の両親はとても厳しく、門限10時、そして「結婚するまでは処女を貫け」と時代錯誤。でもその暗示にかけられ、彼も尊重してくれていました。外見だけでなく人間的にも良い人で、順調に交際が続き、25歳のときプロポーズしてくれました。嬉しかったです。
そもそも私は好奇心旺盛でやりたいことがあると行動に移します。結婚後も銀行員を続けながら、得意な料理の腕を生かして、料理教室を始めたり、ヒーリング教室に通ったり……様々なことに挑戦。彼はそんな私を理解してくれてありがたかった。彼も3年目にWEBデザイナーとして独立。何かとセンスのいい人で、最初は仕事も順調でした。7年目に長女の出産を機に退職し、子育てしながらMCやうぐいす嬢のバイト、料理教室も加え、さらに子供料理教室をはじめていました。
しかし、常に行動的な私とは真逆な元夫は仕事においても成長意欲がなく、消極的。独立してから顕著になり、次第に価値観がずれ始めました。例えば、1つの仕事が終わると、しばらく休み、前進して仕事を広げようとする気持ちがゼロ。常に楽な道を選びます。最低限暮らせる収入があればいいスタンスで仕事も広がりません。その考え方がもどかしくて、気付いたときには、ネガティブ思考の元夫に私がはっぱをかける関係ができ上がっていました。
でもアドバイスをしても、自分を変える気持ちが全くない。そのうえ、典型的な不機嫌ハラスメントで、仕事の人間関係で嫌なことがあると、無言で扉を蹴ったり、壁に向かってお皿を投げたり、子供に当たることもありました。不機嫌になると、最初は私が、彼の好きなご飯を用意するなど、気持ちを前に向けるよう機嫌を取っていました。妻というよりお母さんの役割。そこに元夫は一層図に乗って、何か大変なことが起こっても、「○○が何とかしてくれる」と甘えるようになり、明らかな依存関係ができ上がり、喧嘩も増えていました。とはいえ、家族旅行も夫婦でランチに行くこともあり、騙し騙し生活を続けているような感覚でした。
私は人に喜んでいただくことに喜びを感じるほうで、最初は元夫が喜ぶことが嬉しかったのが、子育ても、自分の世界も広がると徐々に依頼心の強い彼を重荷に感じました。ちなみに元夫は浮気・暴力・お金を入れないなどは一切ないし、どこの夫婦でも依存関係はあるし、それが理由で離婚する夫婦は少ないかもしれません。でも自分の心に噓がつけない私は、一緒に暮らせなくなっていきました。
夜の生活も元夫から誘われたことは1度もなく、常に私から。女としても情けなくて、40歳を前にまずは別居を提案しました。すると彼は「ないでしょ」と。ならば考え方を変えてくれるように頼んでも「それはできない」と言います。そのやり取りの直後、母が亡くなり、父が一人暮らしになって、私は夫より父と暮らしたい、離婚したいと確信しました。
しかし彼は応じてくれず、実家を行き来しながら暮らしていました。そんなある日、私たち夫婦の現状を知る友人が遊びに来て、「間に入るからお互い本心を言ってみたら?」と話し合いの場を作ってくれました。それで私は依存されることが嫌なこと、不機嫌ハラスメントに耐えられないと言いました。すると彼は「それは悪かった」と謝り、「でも僕は君がいろんなことをやる姿を見るのが面白かったし、楽しかった」と。私はその後もワークショップ、子供のトランポリン教室、認知症カフェなど次々と思いついたことを実現させ、元夫は迷惑に感じていると思っていたので意外でした。
それで私も「こんな破天荒な私を見守ってくれて感謝してる。今私があるのはあなたのお陰よ」と泣きながら言いました。普通なら「離婚をやめよう」となるだろうし、彼もそう言いました。しかしそういう気持ちになれたのは、離婚を前提として話しているからこそで、戻ったところで同じことの繰り返しになるから、ひとまず別れよう、前に進ませよう、未来がどうなるかは未来になったら考えようと告げたのです。
気持ちがすっきりしたのか、最終的に元夫も理解してくれました。娘にも離婚を伝えました。当然反対です。でも「離婚はパパもママも幸せになるためにするんだよ」と話すと理解してくれました。
しかし、離婚を決めてからは私のほうが「この程度の理由で離婚していいの?」と一時期、心が揺れ動き、娘の前でメソメソしていることもあったのです。すると娘は「死ぬわけじゃないでしょ。いつでも家族で会えるよ」と反対に励ましてくれました。そして離婚届を出す数日前に、夫と私に結婚の卒業証書をくれました。いつでも3人で会えること、パパにも祖父母にも好きなときに会えばいいと約束。そして絶対にみんなが幸せになろうと抱き合いました。
もちろん慰謝料はなし。養育費は月3万円を頂くことに。実家に住むので、料理教室や複数のバイトに加え、また新しいことをやって、少しずつでも複合的に稼げば、何とかなると考え、実際そうなりました。今は子供食堂、お弁当屋なども始め、実父と娘と3人で十分に暮らせています。娘も約束通り、しょっちゅうパパに会い、祖父母の家に泊まり、お小遣いをもらってきたり。私もLINEしたり、会ったりしています。でももう戻りたいとは思わないかな。離婚の理想の形だと思います。
離婚数カ月後に友人が婚活アプリで出会っているのを聞いて私も挑戦。婚活アプリは不純な目的の人もいて、中には体目的の人もいます。でも、それならそれでいいと思ったし、実際そういう人もいました(笑)。でも、1人しか知らなかった私にとっては人生経験と思って楽しみました。そうやって数名とやり取りしている中で、今の彼とは1カ月間、アプリ上のみの関係が続いていました。「この人はどう思ってるんだろう?」と思い始めた頃、「LINE交換しませんか?」と連絡が来て、LINEでやり取りをするように。写真を送り合う中で、私の料理写真を送ると、それに反応。料理をする人だと思ったらしく、会うことに。
すると初めて、ドキドキする感情が起こりました。彼は5歳年上でバツイチの会社員。自由な人で、エレキギターや合気道を習って、楽しく生きている。料理もするし家事は全部自分でできる。自立している人でした。元夫とあまりにもタイプが違うので、「どう付き合ったらいいのかな?」と最初戸惑いましたが、交際に発展し、今1年経ちました。一緒にいて楽です。結婚は今は考えてないですね。娘への影響も大きな理由ですが、束縛されたくない気持ちが大きくて、彼も理解してくれています。彼はそろそろ考えているんですけどね。
同じころ元夫もアプリを通して彼女ができました。今回取材を受けることも報告し、理解してくれました。いつだって先のことはわからないけど、今の感情に正直に、今を楽しむことに全力を注げば幸せな未来が待っていると確信しています。
そうそう今の彼は175㎝。私より低いけど、気にならなくなりました。
取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2021年掲載時のものです。