女性としてこれからのキャリアについて悩むSTORY世代。’22年に女性活躍推進法が改定されてからはますます女性の活躍が期待され始め、徐々に女性管理職比率も高くなってきています。個人として評価され活躍される女性リーダーの方々には、キャリアの狭間で自身の生き方を見つめ、可能性を信じてチャレンジする姿がありました。今回ご登場いただくのは、今年日本中を感動の渦に巻き込んだワールド・ベースボール・クラシック(以下、WBC)運営にも携わる、MLB JAPAN(メジャーリーグベースボール ジャパン)代表の川上紗実さんです。(全3回の1回目)
川上 紗実さん(43歳)
MLB JAPAN(メジャーリーグベースボール ジャパン)代表
石川県金沢市に生まれ、5歳半から横浜で育つ。都内の私立中学・高等学校を経て米国の大学へ単身留学。帰国後、早稲田大学大学院にて経営管理修士(MBA)を取得。2004年にMLB(メジャーリーグベースボール)の日本オフィス立ち上げメンバーとして入社し、2019年からは代表を務める。プライベートでは8歳の男の子、5歳の女の子の母。
大会ボランティアから正社員へ「社会奉仕活動ができる、この会社で働きたい」
STORY編集部(以下同)――MLB JAPAN(メジャーリーグベースボール ジャパン)とお聞きしてイメージするのは、なんとなくメジャーリーグで活躍する日本人選手たちで……。会社があるということは知りませんでした。
ロサンゼルス・エンゼルス、ニューヨーク・ヤンキースなどの球団や、アメリカにメジャーリーグという組織があることは日本でもよく知られていますが、MLBという会社があることをご存知の方は、実際ほとんどいないと思います。なので、「どちらにお勤めですか?」と聞かれたときには、「少し変わっているんですが……」と前置きを入れたりするんです(笑)。
――MLBで仕事をするようになったきっかけを教えてください。
アメリカの大学へ留学したときにお世話になった恩師から「メジャーリーグという会社が日本で大きな国際大会を開こうとしているんだけど、日本語を話せるスタッフがいないから、ボランティアで手伝ってもらえない?」という連絡をいただいたことでした。
二つ返事で引き受けた理由は、恩師からの頼みであったことが大きいですが、スポーツとボランティア活動が好きだったということもあります。
――川上さんは何かスポーツされていたんですか?
はい。出身が石川県で雪国なので、スキーは物心ついたときから滑っていましたし、中学・高校では私にどうしてもゴルフをやってほしいという父の希望でゴルフ部に入り、本格的にやっていました(笑)。スキーは上手だった父や毎年家族で訪れていた奥志賀高原でオーストリアのコーチなどから習い、ゴルフは部活以外にも専属コーチをつけたり、米国への短期ゴルフ留学も繰り返していました。
――野球も好きだったんですか?
父は元高校球児で、野球がとにかく大好きでしたので、家のテレビは、いつも野球。それが子どもの頃はイヤで……野球だけは嫌いだったんです(笑)。MLBのボランティア依頼の話を受けたときは、私よりも誰よりも父が喜んでいました。
――ボランティア終了後は、そのまま正社員に?
イベントが終了する数日前に、「MLBの日本オフィスを立ち上げるから、このままフルタイムで残ってくれないか」というオファーをいただきました。でもそのとき、実は合格した大学院の授業スタート目前。
悩んだあげく、せっかく頂いたこの二度とないチャンスを無駄にしてはいけない、ありがたく引き受けるべきと思い、入学早々大学院を休学して正式に入社させていただくことになりました。ただ、2年が過ぎ休学期限が満了を迎えるとき、もっと勉強したいという気持ちと、ここで働き続けたいかどうか自分の中で答えが出なかったので、一旦リセットして、大学院に戻ろうと思ったんです。
――では、会社を辞めて大学院へ戻られたんですか?
上司と話し合い、自分の素直な気持ちや考えを伝えた結果、引き留められ、会社は辞めずにフレックスタイムにさせてもらい、大学院へも通う二刀流生活を2年間送ることになりました。上司に引き留めて頂けたことには今でも心から感謝していますが、その生活は想像以上にハードで、婚約していた彼にも振られ、一時は心身ともにボロボロに(笑)。でも仲間や教授に支えられて、なんとか卒業させていただくことができました。
――大変な2年間だったんですね……。先ほど「この会社で働き続けたいか答えが出なかった」という話がありましたが、転職は考えませんでしたか?
小さい頃からボランティア活動に参加し、将来は、人のため社会のためになる仕事に就きたいと思っていたので、「この会社で、自分の思いは叶えられるだろうか」と考えることは何度もありました。
その迷いがなくなったのが、仕事を初めて3年ほど経った頃に当時のお客様と立案した「日本全国で、使われていない野球用具を集めて、発展途上国に寄付する」というCSR企画を実施したとき。実際にケニアでたくさんの子どもたちの笑顔に囲まれ、キラキラとした目の輝きを見たとき、“この会社にいても、こんなに素晴らしい社会奉仕活動ができるんだ。ならば、どんどんやっていけばいい”と思えたんです。
撮影/BOCO 取材/篠原亜由美