ものすごく仲良しに見える夫婦に限って急転直下で離婚、なんて話は決して珍しいことではありません。そこは外野にはうかがい知れない、夫婦二人だけの世界。今回は、離婚寸前にまで行きかけた40代の内情を、仮名を条件に話していただきました。
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◯ 話してくれたのは...長山洋実さん(仮名)
お見合いで結婚して20年。今でも夜のコミュニケーションは週1です。友人に驚かれるので人には話せないのですが、心身ともにこの人と結婚して本当に良かったと実感しています。
1歳年上の夫と結婚したのは28歳のとき。当時にしては結婚適齢期ぎりぎりで、本当は25歳までに恋愛結婚するのが夢でした。でも理想と現実にはギャップがあるのが人生ですね。実は18歳から幼馴染みの彼と6年間交際。カッコよくて優しくて、結婚はこの人だと思っていたのですが、いざ結婚する段階で親に大反対されました。わかっていたことですが、彼の家は遺伝性の病気もちの家系で、私の両親は「大切に育てた娘をみすみす苦労する家に嫁がせたくない」と聞く耳を持たず、涙を呑んで別れました。
看護師の私はその後、由緒ある家系の医師と出会って結婚の話まで進んだのですが、前回とは反対で普通の家庭に育った私とは家柄が釣りあわないと、私の両親が反対。そんな訳で気が付いたら27歳になっていました。
結婚はしたかったのでお見合いを始めましたが成就せず、でも諦めず、今度はお見合い紹介人をしている叔母に相談。すると私のこともうちの両親のこともよくわかっているから、私が幸せになれそうな人、両親も歓迎してくれる人、という観点で本気で探してくれた人が主人でした。
堅い金融機関に勤務し、一流大学を卒業、実家も円満で、育ちの良い人とのこと。お見合い当日は叔母と目配せしたくらい、一目でこの人だと確信しました。真面目に仕事をし、男友達と食べ歩きが趣味、どことなくのび太を彷彿させ、100%浮気はないと思ったし、安定した人柄を瞬時に感じました。夫も私を気に入ってくれ、2度3度と会っても印象は変わらず、お互い業務連絡のように叔母に結婚の意思があることを告げ、結果、出会って6カ月目に結婚式を挙げました。結婚後はお互い探り合いながら相手を理解し、徐々に恋愛感情も生まれました。夜の相性もとてもよく、24時間幸せだったんです。
実は職業柄、私は男性の生理を医学的に理解していたので、エロ本やDVDなどは見たいだけ見たらいいし、一般人はNGだけど専門の人なら性の処理もOKであることも伝えていました。よく医療従事者同士の会話で、「男性は一度セックスをやめると使えなくなる。ストップしたら思うようにならない」とも聞いていたので、仮に自分が乗らないときも、「じゃあ3分でね」という会話は、昔も今もしているし、自分がムラ付いたときは私から求めることもわが家では自然です。
それだけやっていたのに、全然妊娠しなくて産婦人科で検査をすると卵管閉塞で、妊娠するには体外受精しか方法がないと言われました。それでも時間がかかり、5回目で妊娠し、33歳で長男を、36歳で長女を出産。病院を退職し、バタバタと子育てが始まり、想像以上に忙しい日々を送り始めました。
しかし子供が成長するにつれてお互いの子育て感が大きくずれてきたのです。夫はのびのび育てることを重視、私は教育重視。子供たちにお稽古事をたくさん課し、送り迎えや面談、ママ友との付き合いなどで私自身も苛立ちながら東奔西走していました。夫は協力はしてくれるのですが、「度を越している。そこまでするな」の一点張り。私は「親なんだから、子供のやりたいことをやらせるべき」と言えば「ゆっくりでいい」と反論され、「いやいやちょっとでも早い方がいい」と、180度教育方針のずれに一晩中喧嘩したり、泣きわめいたり。あの頃は寝室も分け、夫は1人、私は子供と3人で寝ていました。当然夜の生活もぐんと減っていました。
そんなある日、幼稚園の年長になった長男が「ただいま」も言わず、勢いよくバタバタとお友達と帰ってきたと思ったら、真っ先に2階の夫の寝室に入って、すぐに飛び出していったのです。私は何事かとびっくりして、後を追いかけると、なんと道の隅っこで、お友達と2人で夫が部屋で読んでいるエロ本を嬉しそうに見ていました。えらいこっちゃ、近所の人が見たら大変なことになります。
「何してるの!」と怒鳴って本を取り上げ、首根っこ捕まえて、家に帰りました。常々夫に「読むのはいいけど子供から隠して」と釘を刺していたのに案の定、子供が見つけ、そういうずぼらさも頭にきて大喧嘩。この人とやっていけるか不安で、離婚をも視野に入れて考え始めていました。
でもなぜ教育に関してこんなに意見が合わないかを考えたとき、互いの両親の育て方が180度違うことに気付いたのです。私の両親は教育熱心で躾も厳しく、主人の両親はのんびりして上品、自由に育てている。原点が違うわけだから、意見が合わなくて当然だなと思いました。そう考えると、今まで腹の立っていた主人の一言も流せるようになりました。
一方、夜のコミュニケーションも減ったままでしたが、以前同僚に言われた「セックスは続けないとダメ」という言葉を思い出し、意識的に私から誘いました。夫はそれを拒否るほどまでは意固地になってなかったけど、もう少し遅かったら夫婦として取り返しがつかなかったかもしれません。精神、肉体のどちらからもアプローチすると徐々に関係が変わってきました。私は一歩下がり、夫は一歩前に出て、全くの平行だった線が交わるようになっていったのです。今思うと小さなもめごとにしかすぎず、あんなに喧嘩しなくてもよかったなと思えます。
しかしそれで終わりではなく、その後の夫のうつ病の方が一大事でした。45歳のとき、上司からの理不尽なパワハラが原因で、眠れない・食べられない・起きられない状態になり、うつ病と診断。治療に入ったものの、布団から出てこられず、半年間会社を休みました。看護師に復帰していた私は、夫1人を家に置いて出掛けるのが、本当に心配な毎日。夫が可哀そうで可哀そうで、「あんな上司がいる会社に戻らなくていい。私が食べさせる」と心から思いました。
会社にとって夫は入れ替えが利いても、私たち家族にとってはかけがえのない存在だと夫に伝えました。後から聞くと、その言葉で随分気持ちが楽になったそうです。しかし半年間は長く、先も見えず、ものすごく不安でしたが、無事夫は会社に復帰しました。以来、今まで一切話さなかった職場の話をするようになり、私も悩みを話すようになりました。
何とか乗り越えることができたのは肉体の部分も作用していると思うんです。習慣的に肌が触れ合うことで、わが家の場合、信頼関係を作っていると思います。だから、40代後半になっても、お互いの変わりゆく性を理解して、意識的に持つように努力してきました。
ところがです。今年に入って、突然夫ができなくなり、夫婦で病院へ行きました。そこでEDと診断。わが家にとっては一大事です。治療は薬で助けるしかなく、タダラフィル錠という勃起を助けるED治療薬を飲み始めました。バイアグラは効果はあるものの、心臓に負担がかかるのが難点で、緩やかなタイプが処方されました。しかしあくまでも対症療法で、今後も飲み続けなければいけない薬です。効き目も緩やかだと医師から言われていたので、期待はしてなかったのですがこれが効きました。びっくりするほど夫は元気になり、2人ともより楽しめるようになりました。徐々に減らしても一層元気になって、本当に喜んでいます。お陰で週1が週2、今や週3となりました。
こんなこと誰にも言えません。私の周囲はセックスレスの夫婦の方が多いですからね。本当に夫婦だけの楽しみになっています。
わが家は何か事件があるたびに辛い経験をするたびに、絆が深まりました。次々といろんなことが起こるけど、諦めずに向き合うことで、夫婦の信頼関係が築かれ、お互いなくてはならない存在になっていったと思います。
そうそう息子はあれ以来、エロ本に一切興味を示さなくなりました(笑)。
取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2021年掲載時のものです。