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【実録】些細な理由で離婚。自分の気持ちに正直になれたことで再婚生活で幸せに

夫や彼としては良くても、父になった途端に評価ダダ下がり。「父になること」まで何でこっちがお膳立てしてやらにゃならんのだ、と思ったことはありませんか? イクメンがデフォルトになりつつある今、パートナーの父偏差値も再婚相手のポイントになりそうです。

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目次 ★ いいお父さんって何?


いいお父さんって何?

◯ 話してくれたのは...高島礼美さん(仮名)

千葉県生まれ。大学卒業後メーカーに勤務し、26歳で結婚を機に退社。27歳で長男、30歳で次男を出産。33歳で離婚するも40歳で再婚。現在は美容系の会社でアルバイト中。高島礼子さん似のクール美人。
夫 青森県生まれ。大学卒業後、不動産会社に勤務し、35歳で独立起業。36歳で結婚するも37歳で離婚し、41歳で再婚。明るく話し好きな楽天家。再婚後、一気に家族が増えて幸せだとか。

わんこ2匹、子供達を引き連れて、いつも家族でわちゃわちゃと移動。夫がリードして、家族のレクレーションを計画行動してくれています。自然な成り行きでの子連れ再婚が、40代からの私の人生を変えてくれました

最初の夫はそんな今の夫と正反対の人でした。出会いは26歳のとき。当時、私は大学卒業後メーカーに勤めていました。周囲が徐々に結婚し、退社するのを見て、私も早く結婚したいと思うように。そんな時、友人が計画してくれた飲み会で元夫と出会いました。広告代理店に勤務し高収入、性格も真面目でおとなしくて優しい人、いろいろな意味で結婚相手として合格だなと思いました。

元夫も結婚を望んでいたので、半年ほど付き合って結婚し、私の実家近くにマンションを借りて、結婚生活をスタートしました。日々穏やかに暮らし、すぐに妊娠出産。その3年後には次男も生まれました。

その頃から徐々に、お互いの考え方の違いが浮き彫りになっていきました。気が利くタイプではないので、言えばやってくれるけれど、ほとんど家事・子育てを手伝ってくれることはなく、何でそこで怒るかなと子供を叱るポイントもずれていて、イライラが募る一方でした。

でも取るに足りない不満ばかりで、あえて指摘して喧嘩することもなく、我慢の毎日でした。今振り返るとそれがいけなかった。怒鳴り合ったり、話し合いをすることは1度もなく、お互い無言で日々過ごしていました

でも何よりも許せなかったのが、子供に対して自信がないせいか子育てのポリシーがなく、すべて私任せで、父親の威厳というものが一切ない人でした。子供と遊ぶこともありません。日曜日もどうしたらいいのかわからないふうで、家族で出かけることもほとんどなかったし、すべての物事に対して私が決めないと何も決まらなかったんです。

そんなだから何かを相談する気は頭からなく、気がつくと子供と私の3人対夫1人の関係が出来上がり、休日も友達親子と一緒に出かけるようになっていました。だから子供も父親に全然なつかなかったのです。家の中でも、夫がソファにいると近寄りたくなかったし、徐々に存在を避け、まさしく冷戦状態でした。

ちなみに元夫は浮気もしないし、家にはきちんとお金も入れるし、生活面に関しては何の不満もなかったです。でもお酒も飲まず、趣味も何もなく、友人と出かけることも話題に上ることもありません。暮らしているうちに、何の面白みもない人だということがわかり、この人と一緒に生きていくと私までつまらない人生になると、将来を憂うことが増えていきました。

上の子が小学校に入る頃でした。夕飯を食べ終えた後、夫が珍しく「話がある」と言うので、お皿を洗ってから向き合うと、「別居したい」と言いました。その時、私は「夫から言ってくれてよかった」と心からほっとする一方で、夫は「自分に悪いところがあるなら直す。夫婦関係を改善させるために時間を置こう」と言いました。すっかり夫に対して諦めの気持ちでいた私は、そう言われても今さら不満をぶつける気にはならず、きっと改善は無理だろうなと思いながら、部屋を探して出て行く夫を見送りました。

3人の生活が始まると、4人でいるときよりずっと快適で、何よりも精神的にラクになりました。そうすると、とにかく離婚したくなって。子供に与える影響や生活費に関しては正直実家もあるし、「何とかなる」としか思わなかったんですね。それで、別居後しばらくして離婚を申し出たら、夫は「離婚したくない」と。私は話し合うのも嫌で、友人の弁護士を通して離婚に関してやり取りをするようになりました。内容は忘れましたが、夫は離婚したくない自分の考えを伝えてきました。でも忘れてしまうくらい私は夫の気持ちを汲むことすらもうできなくなっていました。とにかく自由になりたいと思いました。

結局、夫が根負けして、慰謝料はなし、養育費は約束をして、別居から1年後に離婚が成立しました。親権についても全くもめることはなく、「子供にも好きなときに会ってください」と言っても、元夫の中では重要ではないようで、その後も何も言ってこないから離婚から数カ月たった時、「子供に会わなくていいの?」と私から連絡したら、「まだ会わなくていい」と言うのです。

子供にははっきりと離婚したとは話していません。次男は分別がつかない年齢でしたが、長男は何も言わないけど、寂しかったと思います。でも父親が乗り気でなかったことから、会うタイミングを失い、結局、その後1度も会うことなく、連絡が途切れたままでいます。そこは未だに理解できない元夫の心境です。

離婚後は祖母と二世帯住宅の実家が、祖母が施設に入るタイミングと重なり、私達がリフォームして暮らし始め、私は近所のゴルフスクールの受付のパートを始めました。養育費も滞ることなくもらっていたので、生活は困らず、正直快適でした。

離婚当初はもう結婚はしたくないという気持ちの方が強かったのですが、私と同じ立場の友人が再婚し、それもいいと思い始めたのが、30代後半。人生100年、まだまだ先は長いし、両親だっていつまで元気かわかりません。待っていたら何も出会いはないので、仲良しの友人に会うたびに「誰か紹介してほしい」と言うようにしていました。

そうすると、誰かしら紹介してくれるんですよ。何名かと付き合って、お付き合いしても結婚する気のない人とは即別れ、する気のある人数名とお付き合いしました。でも子供に会って、現実を目の前にすると受け入れてもらえず、子連れ再婚はハードルが高いと思わざるをえなかったです。けれど、40歳までに再婚という目標を立て、めげずに友人に紹介を頼みました。すると昨年春のコロナ禍の中、今の夫と紹介で出会ったのです。

夫は同世代で不動産自営業でバツイチ子供なし。ご飯を食べに行ったのですが、2人ともトイプードルを飼っており、ワンコ好きだというところでいきなり意気投合したのです。家も近かったので、2度目は公園で犬の散歩をすることになり、子供達も連れて行きました。あまりに違和感がなく、犬を介して子供も夫も自然に出会って、仲良くなってくれました。じゃあ次はマザー牧場ね、次は海ほたるというように、どんどんと計画を立ててくれ、大人数で行動するようになっていったのです。

夫と長男は友達のような雰囲気でした。コロナ禍で行けるところも少なく、夜に会うこともできず、みんなで家で過ごすことが多かったのですが、それが楽しくて、かえって良かったと思います。夏を迎える頃には当たり前のように、籍を入れる日を決めるなど、とんとん拍子に再婚へと舵を切り始め、出会って半年後の昨年10月に入籍しました。子供の学校のこともあり、まずは私の家で生活をスタート。子供達も自然に「お父さん」と呼ぶようになり、結婚前と何ら変わらず賑やかに暮らしています。

今思うと、最初の結婚は我慢が足りなかった、会話が足りなかったという反省はありますが、例えば浮気とか借金などとは違って、離婚の理由にしては些細なことだったかもしれないけど、自分の気持ちに正直になれたことが、本当に良かったと思っています。子供のためや世間体を理由に、我慢して結婚生活を続けていたら今の幸せはなかったから。この結婚は本当に大事にしたいと思うし、だからこそ溜めないで、いいことも悪いことも何でも夫に話すようにしています。

今の私は、人生の第二ステージが始まったような感覚です。未来が輝いて、夢いっぱいの毎日なのです。

取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2022年掲載時のものです。

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