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知花くららさん(41)出版社内定を辞退してミス・ユニバースへ… 栄光の裏の誤算

多くの女性ファッション誌でモデルを務め、TV、ラジオ、CMなどで活躍する傍ら、第一子妊娠中に大学の建築学科に社会人入学し、2022年に二級建築士の資格を取得した知花くららさん。

そんな知花さんが世に出たきっかけは、ミス・ユニバース世界大会で2位に輝いたことでした。沖縄から上京し、ミス・ユニバースを応募した経緯や審査時など、その当時を振り返っていただきました。

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知花くららさんプロフィール 1982年3月27日生まれ。沖縄県那覇市出身。上智大学文学部教育学科卒業。2006ミス・ユニバース世界大会で第2位に輝き、同大会後、各メディアで活躍。2007年から約15年間、国連世界食糧計画(WFP)で活躍し、オフィシャルサポーターや日本親善大使を務める。2017年10月に俳優の上山竜治氏と結婚、第1子妊娠中の2019年4月に京都芸術大学通信教育部建築デザインコース入学(3年次編入学)。第2子妊娠中の2021年3月に同大学同コースを卒業。2022年、2級建築士試験に合格。第2子を出産するタイミングで海辺の街に移住。日本テレビ系「DayDay.」水曜日レギュラーとして月1回出演中。
【INDEX】 就活中に何気なく開いたミス・ユニバースのバナーが人生のターニングポイントに
とにかく全否定されて、辞めたいと何度も思った
ミス・ユニバース世界大会後はこれまでの緊張が一気にほぐれた瞬間
自分がすり減っていく焦り

就活中に何気なく開いたミス・ユニバースのバナーが人生のターニングポイントに

子どもの頃はとにかく健康優良児で、外で遊んでばかりのどこにでもいる子どもでした。沖縄生まれで、沖縄はもちろん大好きですが、子どもの頃から東京への憧れがあったんです。お友達は九州の大学に行く子が多かったですが、私は東京の大学を選びました。東京での一人暮らしはとにかく楽しくて、全くホームシックにもなりませんでした。

大学在学中に2度の留学を経験。初めは夏休みを利用して1ヵ月の語学研修でフランスへ。翌年1年間大学を休学し、10ヵ月間はフランスへ留学、そのままスペインへ移動して1ヵ月フラメンコを勉強しました。大学のサークルでフラメンコをやっていたのもあり、せっかくヨーロッパにいるから習ってみたい!と思い、インターネットでフラメンコのクラスを探して申し込み、語学学校も探し、間借りできる部屋も自分で探しました。自分がやりたいと思ったことは、とりあえず行動してやってみるのがマイスタイルなんです。

ミス・ユニバースのことを知ったのは、日本に帰って就活をしているとき。企業研究でサマンサタバサのホームページを見ていて、そこにスポンサーになっているミス・ユニバースのバナーがあって、何気なく開いたのが始まりです。

ミス・ユニバースは社会貢献活動にも積極的に取り組んでいることを知り、私は元々大学で国際教育を勉強していて、チャリティー活動やNPO、NGOにもとても興味があったので、はじめは就活の一環として、軽い気持ちでエントリーをしました。自分の写真もなかったので、親友との沖縄旅行の時にたまたま撮っていた写真を貼って出したくらいです。

ミス・ユニバース応募時に送った写真

元々ミスコン自体に興味があったわけでもなく、夢は編集者になることだったので、普通に就活もして「STORY」の版元でもある光文社に内定をいただきました。光文社を受けた理由は、元々書くことと写真を撮ることがすごく好きで、メディア編集の仕事がしたかったからです。

でも、ミス・ユニバース日本代表の最終選考大会が入社日の後で、今のように副業の制度もなかったし、正直自分が優勝するとも思っていなかったので、とりあえず大会が終わるまで二足のわらじを履かせてもらえないかと人事に相談しました。そうしたら「それはどちらかに選んだ方がいい。保険をかけるのはどうかと思う」と言われてしまったんです。「あなたが優勝しないなんて誰が言い切れますか?」とも言われ、そこで、結果はどうであれ、就職はまたこれからもチャンスがあると思って、内定を辞退することに決めました。

とにかく全否定されて、辞めたいと何度も思った

実は、応募したとき、書類の締め切り日が過ぎていたみたいなんです。でも、事務局の人が「一度会ってみたい」と言ってくださったらしく、オーディションの途中から参加しました。ウォーキングの練習を既にやっているところにポツンと入って、何も分からない状態でメイクもせずに途中参加したら、頭のてっぺんからつま先まで全てダメ出しされました。

今までやったことがなかったし、とにかく全否定されて、辞めたいと何度も思いました。帰っていいよとも言われたし、実際に帰ってしまった子もいます。でも、元々負けず嫌いだったので、ここで辞めるのもシャクだし、辛かったけど頑張りました。

ミス・ユニバース日本代表のファイナリストは12人で、きっと誰も私が優勝するなんて思っていなかったし、自分自身も思っていなかったので本当に驚きました。そこから世界大会までは3ヵ月。とにかく目の前のことをやるのに精一杯で、この間は英語のインタビューの練習などをし、本番に臨みました。

ミス・ユニバース世界大会後はこれまでの緊張が一気にほぐれた瞬間

ミス・ユニバース世界大会は、優勝者とそれ以外に分かれる、勝つか勝たないかの世界。栄誉があるのは優勝した子だけなんです。私は寸前のところまで行ったけど優勝はできなかったので、まさか日本でそんなに話題になっていたなんて、帰国するまで知りませんでした。

世界大会はロサンゼルスが会場だったので、終わってから応援しにきてくれた友達とすぐにダイナーに行って、分厚いパンケーキにメープルシロップをたっぷりかけて食べました(笑)。それまではダイエットで粉もの、甘いものは食べられなかったし、プレッシャーもあったから、そういうものから全て解放されて、本当に最高の食事でした。

帰国する日、車に乗っていたら電話が鳴り止まなくてなんでだろう?と思ったら友達から「日本がすごいことになってる」と言われて。帰ったら、日本の反応にとにかくびっくりでした。

自分がすり減っていく焦り

帰国してからは、毎日取材に追われる日々でした。知らない世界だったので刺激的でしたが、元々裏方になろうと思っていたので、いきなり表舞台に立つことになり戸惑いもあったし、違和感も常にありました。

忙しいと走り抜けないといけないから、体調の変化にはあまり気づかなかったんですが、摂食障害を患ったのもこの頃です。世界大会の時は、「ミス・ユニバースになったら、こういうことで社会に貢献していきたい!」と主張して、就活のようなことを話すのでシンプルで良かったんです。それが、日本に帰ってきた途端「美の象徴」みたいに言われることになかなか慣れなくて

ミス・ユニバース2位になったことで、自分がすり減っているのが分かって、いつか枯渇すると思ったんです。この先自分はどう過ごそうかという焦りがずっとあり、何かインプットしたくて、短歌をやってみたり、栄養のことを勉強したり、自分の心地よいところ、これだというものを常に探していました。そして、私が建築を勉強するきっかけをくれたのが、沖縄に住む私の祖父でした。

――ミス・ユニバース2位になったことが思わぬ反響を呼んだ知花さん。後半では、大学の建築学科に入学し、建築士を目指した経緯や子育てについて伺いました。

トップス ¥108,900 (COTE/IZA)ピアス ¥58,300<片方>(Little emblem/e.m.青山店)右手リング ¥111,000 左手3連リング ¥123,200 (共にe.m./e.m.青山店)

お問い合わせ先
IZA 0120-135-015/e.m.青山店 03-6712-6797

撮影/古水良(cheekone) スタイリスト/山本隆司(style³) ヘアメイク/髙取篤史 取材/沢 亜希子

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