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婚約破棄、不妊治療、離婚を経て辿り着いた・・・穏やかな幸せ|大人婚してよかった!

 

 

ウェディングプランナーとして第一線で活躍し、そのハイセンスなライフスタイルにも注目が集まる黒沢祐子さん。43歳で離婚を経験し、その後導かれるように鎌倉へ移住。移住先で自分を見つめ直したら、そこで待っていたのは運命の出会いでした。離婚から再婚に至るまでの道のりや、大人婚の秘訣について、赤裸々に語っていただきました。

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○話してくれたのは...黒沢祐子さん(48歳)

新卒で自動車メーカーに就職後、ウェディングプランナーに転身。2008年より、フリーランスのウェディングプランナーとして独立。2016年には(株)YUKOWEDDINGを設立し、これまでにおよそ1000組ものカップルのウェディングを手がける。現在はウェディング・ライフスタイルプロデューサーとして、ウェディングのみならず、インテリアコーディネートや洋服のディレクションまで幅広く活動中。

"成田離婚"ならぬ、"成田解散"がきっかけでウェディングの道へ

新卒でトヨタ系のディーラーの会社に入社し、それからすぐに会社の同期と半年ほど付き合って24歳の時に婚約。付き合っている時から「価値観が合わないかも…」と不安を感じて延期を提案したものの、会社への体裁もあり引くに引けなくなって、強行突破で結婚式を挙げました。挙式の後、そのままハネムーンでハワイへ。そこで「やっぱりこの人ではない」と確信してしまい、帰国して成田空港に降り立った直後に別れを伝えました。入籍はしていなかったので、いわゆる”成田離婚”ならぬ、”成田解散”ですね(笑)。

ただその時に、「私だったらもっと新郎新婦のことを知って、こんな風に提案をするのにな」と、結婚式に対して疑問や改善点など思うことが沢山あったんです。結局それがきっかけで、ウェディングの道へ進むことになりました。婚約破棄は大変でしたが、思えばこの時がキャリアの転換期。この経験が無かったら今の自分に繋がっていないと思うと、人生何があるかわからないですね。

ウェディング会社に転職してからはプランナーを5年ほど経験。当時は、結婚が決まるとまず会場を選んでから見学するというのが主流でしたが、海外では一番最初にウェディングプランナーを決めるんです。私はそうあるべきだと思っていたし、もっと自由に描く結婚式を実現したくて、32歳の時にフリーランスとして独立しました。

不妊治療の末に、お互いの幸せのために選んだ離婚

最初の結婚をしたのは、プランナーとして仕事も軌道にのっていた38歳の時。パートナーとは共通の知り合いを通じて出会い、2〜3年のお付き合いを経て入籍しました。お互いに忙しく、月に2回だけデートする日を決めて、夫はそれ以外の週末にゴルフに行くという生活。私も週末の仕事が多かったので、割とドライな関係だったと思います。

40歳を目前に控えた頃、真剣に子どもを産むかどうかについて話し合いました。このまま夫婦2人の人生も悪くないかなと思っていた私とは対照的に、彼はすごく子どもを望んでいる人だったんです。そこから不妊治療を1年半程続け、体外受精もしましたね。お互いに仕事も多忙な中での不妊治療は、時間の調整はもちろん、精神的・体力的にも本当に大変でした。何度かチャレンジしたけれど思わしい結果が得られず、メンタル的にも追い詰められ…。

夫には「もう限界かも」と伝えたものの、それでもやっぱり、彼には子どもが欲しいという明確な意志があった。養子をもらうのか、代理母か…など色々な選択肢も話し合ったのですが、最終的には「他で子どもをつくってもいいかな?」という言葉まで飛び出したんです。それを聞いて、夫は自分のDNAをもった子どもが欲しいのかもしれないと気づいて。私は彼のリクエストに応えられないんだと思った時に、この先一緒にいてもお互いにハッピーではないなと…。尊敬している相手で、このまま人生を共に歩むことを捨てきれない気持ちもあったけれど、悩んだ末に離婚を決心しました。彼はその後、再婚した方との間に2人の子どもが生まれたので、本当によかったと思っています。

離婚してから、私はもともと住んでいた港区で新たにマンションを借りて一人暮らしを始めました。その1年後に大流行したのがコロナウィルス。ウェディングの仕事は、全てストップせざるを得ない状況でした。貯蓄をしていたわけでもないし、これからどうしよう…と悩みましたね。そんな中で、今自分が持っている経験やスキルで仕事にできるものって何だろうと考えた時に、自分のライフスタイルやインテリアなら活かせると思ったんです。そこから店舗づくりやインテリアコーディネート、洋服のディレクションの仕事をスタートしました。ちょうどその頃、鎌倉に住んでいる友人の家に頻繁に遊びに行くように。東京にはない鎌倉のゆったりした空気感に癒されている自分に気づき、移住することに決めました。

鎌倉移住を経て、出会った年下の男性と再婚へ

今の夫に出会ったのは、鎌倉に越してきて2年程経った頃。共通の知り合いが呼んでくれたライブで、たまたま席が隣だったんです。彼は私のSNSを見て既に知ってくれていたこともあり、話が盛り上がって意気投合。偶然家の方向も同じだったので、帰りの電車でもずっと楽しく話していたのを覚えています。

その後、また別の鎌倉でのライブに呼ばれて、何気なく彼に「行く?」と声をかけてみました。もともと好印象を抱いてくれていたようで、「空いてる!」と即答(笑)。そのライブをきっかけに再会し、その後も定期的に会うようになりました。彼の出張が忙しく月1回のペースでしたが、3回目に会った時に自然な流れで「これからの人生、一緒にいたら楽しいかもね」という話に。それは結婚というわけではなく、「一緒に生きていく」というニュアンスで、最初は事実婚のつもりだったんです。それに、私はもう年齢的にも子どもを授かる可能性は低いし、不妊治療もしたくない。もし子どもが欲しいのであれば、結婚は難しいということも伝えました。それに対しては彼も同意してくれて、付き合い始めてから半年で入籍しました。

そもそも再婚はしないつもりでしたし、入籍という形式的なことにも興味はなかった。でもやっぱり、今の日本だと何かあった時に家族じゃないと難しい局面があるんですよね。例えば、相手の死に目に会えないとか。結局は2人がコンフォートでハッピーであることが重要だから、家族になるという道を選びました。

彼に対しては最初から、「もっと話したい」と思える不思議な居心地の良さがありました。出会った当初に将来住みたい場所や理想の生き方について話をしていたのですが、「山梨に家を建ててお花を育てたい」というような暮らしの方向性も一致していたんです。男女の垣根を越えて、人としていい関係を築けるという確信がありましたね。

24歳の時も付き合って半年で同期と婚約しましたが、やっぱり大人になっている分、当時の半年とは全く内容が違っていて(笑)。彼は6歳年下ですが、感性が似ていて音楽や映画など好きなものが同じだったり、正義感が強く「嫌だな」と感じることも一緒なんです。頭で考える外側の条件などは抜きにして、シンプルにその人を見て、感性のすり合わせを無意識レベルでできていた気がします。それも、大人婚ならではの良さですね。

撮影/沼尾翔平  取材/渡部夕子

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