昔から変わらない甘いマスクと、優しいオーラを纏った実力派俳優・吉沢悠さん。プライベートでは、2013年にモデルの桐山マキさんと結婚。デビューから27年、俳優として活躍しながら公私に充実した毎日を送っている吉沢さんに、これまでの俳優人生や、40代でも生き生きと輝き続ける秘訣、結婚生活などについて語っていただきました。
★ 役者としての”コア”を探すため、活動休止してニューヨークへ
★ ニューヨークで気づくことのできた、「表現者でいたい」という思い
コミュニケーションが苦手だったからこそ、自分を表現する"役者"の道を選んだ
実は今も変わらないのですが、もともとの気質としては人前に立ちたくない、目立ちたくないというタイプ。なので芸能界に入った理由も、人からチヤホヤされたいとか、昔からの夢だったというわけではないんです。どちらかというと、どうすれば人とうまくコミュニケーションをとれるのだろうと、昔から悩んでいるような性格でした。特に女性とのコミュニケーションが苦手で、10代の頃は女の子との接し方もわからなかった。
そんな風に人前で自分を出すのが苦手だった僕に「カラオケなら声で発散できるし楽しいと思うよ」と友人がアドバイスをくれたのをきっかけに「カラオケ夢オーディション」に参加。受賞したのは準グランプリでしたが、その場にいたスカウトマンの方に声をかけられて19歳の時に芸能界入りしました。
俳優に興味を持ち始めたのも、役を掘り下げていく過程で人の気持ちを理解したり、喜怒哀楽がわかって初めて成り立つのが演技だという認識があったから。もしかしたらそこから自分の表現方法も探れるんじゃないかと興味が生まれました。事務所に入ってすぐ、尊敬できる監督に運よく出会えたことも大きかったと思います。
その監督の演技レッスンは、台本も使わず役も割り振らないという手法。例えば、「相手に対して、”大好きだよ”という気持ちを、その言葉を使わずにボールを投げながら全身で伝えてみて」といった、感情の根っこの部分を発散させて表現するような指導でした。それがすごく面白くて、演技レッスンを受けているうちに、誰かに自分の気持ちを伝えたり会話したりすることは、思っていたよりも難しくなかったんだと気づくことができた。その経験から役者を志す気持ちが強くなり、社会人として俳優で稼げるようになろうと決意。半年間の演技レッスンを経て、「青の時代」というドラマでデビューしました。
役者としての”コア”を探すため、活動休止してニューヨークへ
デビュー以降はコンスタントに仕事をし続けて、19歳から20代半ばまでは本当にたくさんの現場に立たせていただいたんです。ただずっと、演技のベースとなる、自分の中の核となるものが定まらないまま、次から次へとインプットとアウトプットを繰り返している状況でした。20代半ばって、もう十分大人だけどまだ成熟し切れていない年齢で、冷静に自分の状況を把握できずに考え込みすぎちゃったんですよ。だから一旦、自分の足元を見つめ直してみたいと思ったんです。同じ環境にいるとどうしても視野が狭くなってしまうので、誰も自分のことを知らない場所に身を置いて、違った角度から見つめ直してみたかった。クリアになって冷静になるには日本を出るのが一番だと思い、半年間活動を休止して、海外に留学することを決意しました。
留学先でも演劇に触れていたかったので、最先端のエンターテイメントが観られるニューヨーク.へ。何かツテやコネがあったわけでもなく、自分で語学学校を探して寮生活をスタートしました。当たり前ですが、ニューヨークは人種や文化、宗教が本当に多様で、様々な思いをもった人たちが1つの空間に共存している街。だから街中が活気に溢れているし、新鮮なエネルギーが循環していてすごく刺激的でした。
多様性がベースにあるからこそ、いい意味で誰が何をしていようが「自分は自分」と割り切っている人たちが沢山いたんですよね。「俳優・吉沢悠でいなきゃ」と思い詰めて、妙にプレッシャーをかけていた自分を「小さかなったな…」と思えるようになりました。
ニューヨークで気づくことのできた、「表現者でいたい」という思い
留学するまでは常に俳優として見られていたけれど、ニューヨークに来れば誰も僕のことなんか知らなくて、一学生でしかないわけです。日本にいた時はやっぱり、俳優・吉沢悠としていつでもスイッチを入れられる状態だったんだと改めて気づいて。何の肩書きもなく1人の人間として暮らすことで、肩の力を抜いて自分を緩めることができた。フラットな状態になり素の自分に戻れたことが、ニューヨークで得られた一番大きな変化だったかもしれません。
そして現地では演技についても学びたかったので、観客として色々な舞台に足を運びました。エンターテイメントの本場で活躍する俳優たちの演技に圧倒されながらも、舞台を観て冷静に「なぜ僕は今、あっち側にいないんだろう」と違和感を感じている自分がいたんです。「自分は表現者でいたい」という素直な気持ちに気づいた瞬間でした。
帰国後すぐに映画の撮影が入っていたのですが、リハーサルでカメラと大勢のスタッフの前にポツンと立たされたときに「ここに立っていられるのは、当たり前のことではないんだ」と改めて実感。この居場所を大切にして、感謝しなければいけないという思いが溢れました。ニューヨークに行って立ち止まることがなければ、一生気づけなかったか、気づくのが遅れていたかもしれません。そこからは、役者一本でとにかく邁進しようと覚悟が決まりました。
撮影/古水 良(cheek one) ヘア・メーク/髙取篤史 スタイリスト/大迫靖秀 取材・文/渡部夕子