お笑い芸人としてだけでなく、俳優や小説家、絵本作家としても活躍している鳥居みゆきさん。その一方で、周りからは「変なやつ!」と言われ続け、幼少期からずっと生きづらさを抱えてきました。友達ができない…辛かった学生時代の記憶はあまり残っていない鳥居さん、それでも自分を貫いてこれたのは、ありのままを受け入れてくれる身近な人たちのお陰だったといいます。発せられる言葉の一つ一つが胸を打つ、鳥居みゆきさんのお話です。(第1回/全4回)
▼あわせて読みたい
第2回 “おかしいことが面白い”世界が生きやすい 鳥居みゆきさん(43)お笑い芸人になって息ができるように
★ 変って、そんな悪い意味ではなかったように思う
★ 記憶が途切れるほど、しんどいいじめを受けていた
★ “変は病気”明らかな悪意を感じた高校時代
★ “ありのままでいいといってくれた両親に感謝
★ “自分を大切にしながら好きな人と一緒にいる…それぞれのやり方があるのかな
頭では理解しているけれど心に従うことを優先していた
思ったことはすぐ口に出す、“なんのためにそれをするのか”を理解しないと先に進めない子でした。たとえば、かけ算もかけるゼロの意味が理解できないとできないんです。“なんで?”本当の意味での理解に追いつかないとやりませんでした。ゼロが答えなのは分かっているし書けるけれど、「あえて書かない」を選んでいました。周りが求めていることもわかっていたんですけど、自分に対して素直に、曲げることを許せませんでした。校歌もそう。誰に何も言われてないのにアルトのパートでハモるように歌っていました。「なんか下のほうの歌が聞こえない?」と言われたけど、「ダメ」とは言われていないし、人に危害を加えること以外は自分の心に従っていましたね。変だとか、変わってんねと言われてましたけれど。
変って、そんな悪い意味ではなかったように思う
私が小学生くらいの頃は、“変”って、みんなしょっちゅう言ってましたよね。「変わってんねー」は特徴のひとつを言ってる、くらいで昭和ではあまり悪い意味で使われていなかったから、大して気にせず、うるさいなーって思うくらいでした。変ていうならあんたたちのほうが、という気持ちもありましたし。そこまで「あの子障がいあるんじゃない?」ともなりませんでした。当時は、障がいといえば、養護学校に行く子たちの認識で。今はたくさん情報が溢れているせいで、発達障害の定義が広がりすぎのような…? 病院で診断されたほうが安心できる人もいれば、診断されないでいいって人もいると思うんです。「あの人、発達障害だから病院行ったほうがいい」とか、あまり気軽に言って欲しくないですね。それは自分が困難だなと思った時に、自分や親などが判断すること。それを周りが決めつけないでほしいなと思います。
記憶が途切れるほど、しんどいいじめを受けていた
小学生では友達はいなかったけれど、いじめられていなかったように思います。もしかしたら気づいてなかっただけかもしれませんが。中学生くらいからは、かなりいじめられて…もう思い出さないように記憶から消してしまいました。そうそう、テニス部の一軍女子が嫌がらせをしてきて、やり返してやれ!って、その子の下校後に机に仕返ししたこともありますが、朝になったら全く形跡も残っておらずで…。あれは先生が対処してくれたのかな…ちぇっ。て思ったのは唯一、覚えてます。
それでも高校では友達を作りたかったので、頑張ってバイトをして稼いだお金を1人1,000円、31人分の机に置いたら、クラスメイトたちから「ありがとう」って、少し話しかけてもらえたんですよ。でも、その魔法が使えるのは昼まででした。あとは注射!昔の注射は集団接種で体育館にみんな一列に並ばされていて、最初に打った人は、みんなに「痛かった?」って話しかけてもらえる。だから、一番に率先して受けましたよ! 注射の日が楽しみでしたね。その魔法も一瞬でしたけど…。
そうして高校生は多少いい感じに過ごせるかと思っていたのに…。クラスを一番仕切っている女の子が好きな男の子が、私のことを好きという噂が出て、みんなに「あいつ無視ね」って指示を出されて。タイプでもない男に好きと言われても迷惑なのに!それからは友達なんて希望を持つことができず、地球が滅んだ後に、私だけが生き残る方法を考えていました。
“変は病気”明らかな悪意を感じた高校時代
高校は中学と比較にならないくらい、変は病気というノリになった時期でした。そういう決めつけがすごかったように思います。私は見たものを写真のように記憶できるタイプで、一夜漬けでテキスト1冊分覚えられたこともあり、テストで学年上位に食い込むことも。でも周囲は一夜漬けを信用しない風潮で、「本当はずっと勉強しているんじゃん?あいつ。あんなバカっぽいのに、変わっているのに勉強できるの変!」なんて悪口も言われるようにもなって…。何をしても“変”なんですよ。映画『猿の惑星』を観てからは、「普通」と「変」ってなんだ?って思いました。映画では猿と人間が逆転している世界…同じように、変が普通になったらいいんだ、と。そういう世の中にすればいいのか……私が!!私は神になればいいのか!とすら思うようになりました。
こういう想いは私の中に残っているんですけれど、誰がいたか?とか、誰にいじめられたか?とかは覚えていないんです。卒業アルバムも、自分をいじめた人の顔を真っ黒に塗りつぶして、存在を消してやりましたから!
“ありのままでいいといってくれた両親に感謝
私、天邪鬼だったので、みんなと同じ意見はあまり言いたくなかったですし、それで変わり者と言われてしまうのですけど…。それでも自分を貫いてこられたのは、私の身近で関わってくれる人がみんな素敵だったから。両親が自由だったんですよね。幼稚園で展示する絵を描いたとき、父の目玉の色を白と黒を逆転して塗っちゃってたんですよ。周りから「変なのー!」と言われ、内心、お父さんどう思うんだろうとハラハラしていたんです。そうしたら、父は「いいじゃん!」と。目がどうこうには一切触れずに「俺、こんなに唇赤いかー?」と言った父の言葉にホッとしたのを覚えています。私の感覚みたいなものを許してくれていたんですね。逆に、それを描き直していたら父は怒っていたかもしれません。とにかく嘘をつくのが大嫌いな人なんですよ。自分の心に嘘をついていた時が一番怒ります。例えば、父に「これ美味いから食べてみろよ」と言われた時に、私が食べたくない顔をしたのに、「あ、本当!美味しそうだね、食べてみる」と言ったら、「お前、嘘ついたな!もう食べなくていい!」と怒られるんです。自分を大切にするということを第一に考えてくれていました。
“自分を大切にしながら好きな人と一緒にいる…それぞれのやり方があるのかな
以前、Eテレの『おかあさんといっしょ』の番組内で、『ともだち8にん』(2011年3月~2019年1月放送)というミニアニメがあって…。その中に、一人がすきな「ボッチ」というキャラクターがいました。〝ボッチはひとりでいるのが好きだけど、友達がたくさんいる〟そういうエピソードを観て、すごい発想!と思いました。「そういう両立ができるんだ!一人が好きなのと、友達を作るっていう両立ができるんだ!」って。一人でいることを楽しんでいる人を、勝手に一人〝ぼっち〟にさせているのは周り。仲が良くても現地集合、現地解散な、その気楽さが私は好きです。一人が好きか、大勢が好きか、どっち?ではないんじゃないかな。両方を言ってもいいんですよね! 自由な過ごし方があるのがいいなーと思います。
そして…好きだから依存して“ずっと一緒じゃなきゃいけない”じゃなくていいって。私、離婚したんですけど、この感じだなと思ったんですよね。彼とは仲が良いままでいたいから、離婚したんです。一見それは相反することで、仲が良いなら夫婦生活を続けていていいのだけど、仲良くいたいからこそ別れました。おかげさまで今も仲良しですよ。嫌いなまま夫婦生活を続けるよりも、仲良い離婚を選んだんです。彼は、私にとっては唯一の友達くらい大切な人だから。それからですかね、“こうだからこうしなきゃ”という形式に一層とらわれなくなりました。夫婦生活を続けていた時は、“妻なんだから妻の役割をしなくてはいけない”っていう気持ちが強かったんです。そうすると、なんだか“夫婦コントで妻役を演じている”にすぎない感覚になってしまって…。本当の意味での〝仲良し〟ができなくなってしまう、と。今が一番、素敵な選択ができました。彼も笑顔でOKと言ってくれて、同じ感覚を持っている人で本当によかったです。また彼の良さを再発見できました。なんだかんだ、人に恵まれているんだな。
撮影/森脇裕介 ヘア・メイク/RYO 取材/竹永久美子