• TOP
  • Lifestyle
  • 平野ノラさん(46歳)「芸人になれるなら、どんな苦労も幸せだった」笑いにかけた“第2の青春”とは?
Lifestyleピープル

平野ノラさん(46歳)「芸人になれるなら、どんな苦労も幸せだった」笑いにかけた“第2の青春”とは?

「しもしも〜?」の決め台詞とともにバブリーネタで一世を風靡した、お笑いタレントの平野ノラさん。
学生時代は全国大会優勝経験をもつ“バレー部キャプテン”という意外な一面も。
32歳で遅咲きの芸人デビューを果たし、42歳で母となった今も、笑いと育児という2つの舞台を全力で駆け抜けています。
第2回では、“芸人になる”と決めてからの日々は、毎日が楽しくて仕方なかったという“第2の青春”のような時間、そして自らつかみ取った初舞台のエピソードをお届けします。(第2回/全3回)

おすすめ記事はこちら
平野ノラさんプロフィール お笑いタレント
1978年生まれ、東京出身。ワタナベエンターテインメント所属。31歳で本格的に芸人の道に進み、肩パッドにバブルメイクで昭和の空気を再現した“バブリーネタ”で大ブレイク。近年はテレビ出演はじめ、バレーボール教室、片付け本の執筆など多彩に活動し、42歳で第一子を出産。家庭と仕事の両立を自然体で楽しむ等身大の姿が、多くの共感を集めている。
【INDEX】 ★ 目を輝かせて学んだ“笑いのセオリー”
★ 一人でも舞台に立つんだ!という強い気持ちでチャンスを掴みにいった
★ 30代だったからこそ動けた、年の功の行動力
★ バブリーネタ誕生の舞台裏
★ 一発屋では終わらないためには、自分の“更新力”が必要

目を輝かせて学んだ“笑いのセオリー”

芸人になるって決めてからは、毎日が本当に楽しくて。ネタを考えるのはもちろん大変だったけど、それまでの日々に比べたら、全然つらくなんてなかったです。
スクールでは、10代の若い子たちに混ざって、誰よりも真剣に授業を受けてました。一番前で体育座りして、配られたプリントの裏にも一発芸をびっしり書き込んで、皆勤賞まで取って。まさに、“第2の青春”って感じでしたね。
若い子たちには「ババア」ってイジられながら授業を受けてたけど、「ババアにババアって言って何が面白いんだよ!もっと面白いこと言ってみな!」って返してました(笑)。
大人になってから「本気で学ぶ」って、こんなに楽しいんだって思えたのも、あの頃の大切な宝物です。

スクールにいた頃

一人でも舞台に立つんだ!という強い気持ちでチャンスを掴みにいった

結局、一緒にスクールに入った友達は、すぐに辞めてしまったんです。やっぱりこの世界って、本気で好きじゃないと続けるのは難しいんですよね。
彼女が辞めたあと、先生たちの目も少しずつ変わってきて、「あ、私、もう期待されてないな」って、肌で感じるようになって。
それがもう、めちゃくちゃ悔しくて。
「誰かと組まなくても、私はひとりで立てる」って信じて、ライブに出たいって先生に直談判したんです。なんとかオーディションを受けさせてもらえて、ギリギリで合格。ようやく、ステージに立てることになりました。
ライブ出演が決まって、まず最初に向かったのが、東急ハンズのコスプレ売り場(笑)。シスターの衣装を見つけて、「よし、今回はシスターネタにしよう!」って決めました。そこから、「シスターなら祈るよね?じゃあ何を祈れば面白い?」って感じで、試行錯誤しながらネタを作っていきました。
そして迎えたライブ当日。けっこうウケたんです!その瞬間、「あ、私、ひとりでも戦っていける」って、確信できたんです。
あのとき、笑いより振り絞ったのは紛れもなく勇気でした!あの経験が、“ピン芸人・平野ノラ”の原点になっています。

30代だったからこそ動けた、年の功の行動力

1年間スクールに通ったあとは、月1で事務所のライブに出演しながら、テレビのオーディション情報もすべてチェックしていました。「この番組、若手芸人が出てるから、もしかしてオーディションやってるかも?」って思ったら、すぐにメモして、マネージャーに「出たいです!」って自分からアピールしてました。
若手芸人の中には、「呼ばれるまで待つしかない」と思ってる子も多かったんですが、私にはそんな余裕はなかったんです。時間もないし、これが人生をかけた勝負だったから、じっとなんてしていられなかった。
とにかく、自分から動く。自分から仕掛ける。
「お笑いタレントになりたい」その想いだけが、私の原動力でした。

バブリーネタ誕生の舞台裏

最初にテレビに出たのは、黒いボディースーツにヘルメットで「男を落とす」というネタ。でも、首を大きく降るから首が痛くなって、第3頚椎が悲鳴を上げてたんです。だから、このネタは長くは続けられないなって思っていました。
そんな時「黒いボディスーツ姿が昭和っぽい」とか「バブリーだね」って言われることがあって、「バブリーって何だろう?」って調べ始めたのがきっかけです。自分が子どもの頃、隣に住んでいた女子大生のお姉さんの格好だ!とか、父親が土地転がししてたことを思い出して、どんどんハマっていったんです。だんだんと昭和のネタをバブリーに落とし込んでいきました。死語辞典を買って勉強したり、母が持っていた大きな肩パッド入りのスーツの形で、真っ赤な衣装を作ったり。
ダイソーで材料を買って、ショルダー式の携帯電話を作った夜、「これは絶対いける!」と確信。ニヤニヤしながら作ってたのを、今でも覚えてます(笑)。実はその当時、今の旦那さんと付き合っていて、一緒にネタを考えてくれていました。「バブリーな女が50音で言いそうなこと」というネタも2人で考えて、それがブレイクのきっかけになりました。

  • バブリーネタに欠かせなかった手作りのショルダーフォン
  • 首がめちゃめちゃ痛くなるヘルメットネタ

一発屋では終わらないためには、自分の“更新力”が必要

売れ始めてからも、「このままバブリーネタだけやってたらすぐに飽きられる」と思っていました。私は“芸人”ではなく“タレント”として、長くこの世界で生きていきたかったんです。
だから誰にも言わず、肩パッドを少しずつ小さくしたり、太眉を細くしたり、メイクを徐々に薄くしたりと、カラフルなイメージは残しながら少しずつ“更新”を重ねていきました。
あの象徴的な“携帯電話”も、振られた時だけ使うようにしたり、「今日は充電中なんで〜」と違う笑いにつなげたりして、頼りすぎない工夫をしていました。
喜怒哀楽がしっかり伝わるように意識して、“ネタの人”ではなく“平野ノラという人間”を出せる努力もしていました。
実際、ある番組で「1週間ティラミスしか食べちゃダメ」という企画があったんですが、あれは感情を爆発させられたいい機会でした。怒ったり泣いたり、ディレクターにキレたり(笑)、全部“素のノラ”を思いっきり出せました。
その後、ワコールのCMで素顔を見せたことも、いいタイミングでした。「バブリーで化粧が濃い人」だけでなく「こんな一面もあるんだ」と見せられることが、ネクストステージでした。振り幅を大きく見せれるかによっても、長く活躍していけるんじゃないかと当時から分析していました。お陰で今は型にハマらず自由に、時にバブルを纏って楽しんで働けています。“変わり続ける覚悟”が新しい自分に出会わせてくれます。

おすすめ記事はこちら

シャツ 17,900円(ソークロース./DINOS CORPORATION)、ピアス 16,500円(ナチュラリ ジュエリ/ NATURALI JEWELRY 新宿高島屋店)、パンツ スタイリスト私物

問い合わせ先
・DINOS CORPORATION  0120-337-337
https://www.dinos.co.jp/catalog_s/soclose/
・NATURALI JEWELRY 新宿高島屋店 03-3351-5107
http://www.naturali-jewelry.com/

撮影/沼尾翔平 スタイリスト/奥田ひろ子(有限会社ルプル) 取材/沢亜希子

RELATED TOPICS

FEATURE

Dec
6
今日の40代おしゃれコーデ

夜のママOFF時間は心ときめく【ヒールパンプス】が最高のご褒美!

夜のママOFF時間は心ときめく【ヒールパンプス】が最高のご褒美!

会員限定PRESENT

会員プレゼント

自宅でサロン級のケアが叶う「家庭用光脱毛器”スムーズスキン”」最高峰モデル『Pure Switch 』を3名様にプレゼント!

会員プレゼント

ナチュラルなスキンケアセットをプレゼント!

雑誌購入限定プレゼント

「冬イベントで活躍! 華やか服」を計6様にプレゼントします!

PICK UP