「しょこたん」の愛称で親しまれ、歌手・タレント・声優・イラストレーターなど幅広く活躍する中川翔子さん。
“オタク”がまだ揶揄されることの多かった時代から、自分の「好き」を正直に発信し続けてきたパイオニアです。
第2回では、白血病で32歳の若さで亡くなった父・中川勝彦さんへの想いや、人生の中で訪れた数々の“奇跡”について語っていただきました。(第2回/全3回)
★ 父のことは、ずっとコンプレックスだった
★ “ある日どこかで”は、時を超えて父と出会えた歌
★ 想像もしていなかった幸せが、ちゃんと来た
★ 生きていれば、ちゃんと報われる
気づいたら芸歴23年。じわじわと自分の“好き”を紡いでいった
2002年に本格的にデビューしてから、気づけばもう23年が経っていました。
とはいえ、ずっと順風満帆だったわけではなくて、紆余曲折の連続でした。
中学生の頃、『ポポロ』のグランプリに選ばれたこともあったんですが、学校では「何やってるの?」って冷たい目で見られることもあって。
それでも、2002年にミスマガジンに出たことがきっかけで、少しずつ風向きが変わっていきました。
最初はグラビアからのスタートでしたが、そこから声優や歌、バラエティ番組など、さまざまなチャンスをいただけるようになったんです。
当時の芸能界って、「踊れるアイドル」か「グラビアアイドル」か、という雰囲気。
“アニソンを歌いたい”なんて言う人はほとんどいませんでした。
それでも、「どうしたらアニメの歌が歌えるんだろう?」って、ずっと考えていたんです。
“好き”なことを、少しずつ撒いていく。まるで種をまくように。
「これを仕事に!」とギラギラするというより、“お灸みたいに、じわじわと効いていけばいいな”という気持ちでやっていました。
もしかしたら、それがよかったのかもしれません。
父のことは、ずっとコンプレックスだった
父・中川勝彦は、ロックミュージシャンで俳優でした。“王子様みたいな存在”だったとよく聞きます。
でも私が物心ついたときには、すでに病気で、会話らしい会話を交わした記憶もあまりありません。
私が9歳のときに亡くなり、その後ネットで父について書かれた記事や噂を目にしては、ショックを受ける日々でした。
父がいないぶん、反抗期の気持ちはすべて父に向かっていった気がします。
「絶対に、あんなふうにはなりたくない」って思っていたし、当時スキャンダルの話を耳にすることもあって、さらに距離を感じていました。
でも、大人になって仕事を重ねるうちに、「私と父、実は似てるのかもしれない」と思うようになったんです。
猫が好きだったり、アニメや音楽、絵が好きだったり。
初めて自分のコンサートを開催した会場が渋谷公会堂だったんですが、あとから「お父さんもここで歌ってたよ」と聞いて、「わあ……」と、胸がいっぱいになりました。
まるで、時空を超えて父と再会できたような、不思議な感覚でした。
“ある日どこかで”は、時を超えて父と出会えた歌
ある日、父の遺品を整理していたら、手書きの創作ノートが出てきました。
そこにはたくさんの詞が書かれていて、「この言葉を、どうしても歌にしたい」と思ったんです。
それが「ある日どこかで」という曲です。
このタイトルは、昔、両親が大ゲンカしたあとに仲直りして観に行った映画のタイトル。
そして、歌詞の最後にある
「この思い また逢えるまで さぁ風にのれ」
という一節は、父のお墓にも刻まれている言葉。父の遺した詞の一部でした。
その言葉を、私自身のメロディにのせて届けられたことで、「歌を続けてきて、本当によかった」と思えました。
今では、この曲が人生でいちばん好きな歌です。
想像もしていなかった幸せが、ちゃんと来た
18歳までは、生きることが本当にしんどかった。
20代は、夢を叶えることで手いっぱい。
30代になって、ようやく「生きててよかった」と思えるようになりました。子どもたちが「ポケモンの歌の人だ!」と笑顔で声をかけてくれる瞬間が、何よりも嬉しかったです。
でも、プライベートはボロボロでした。「大切なパートナーが欲しい」「子どもが欲しい」と思っても、現実はなかなかうまくいかなくて。
仕事は順調なのに、心にはぽっかり穴が開いているような日々でした。
「私には、そういう幸せは来ないのかもしれない」
そんなふうに思い始めていた頃、ゲッターズ飯田さんにこう言われたんです。
「今年はハワイに行った方がいい」って。それも3回も。
最初は迷ったんですが、あれだけ言われたなら……と、えいっと行ってみたんです。
そして、そこで夫を紹介してくれた人に出会いました
そこからは、嘘みたいに穏やかで優しい時間が流れていって、
「絶対的な味方がいるって、こんなにも強くなれるんだ」と、初めて知りました。
本当に、ゲッターズさんには頭が上がりません(笑)。
生きていれば、ちゃんと報われる
私は、自分は運がいいなと思っています。
タイミングとご縁に、何度も助けられてきました。
父が亡くなった日に見た虹も、私の結婚式の日に出た虹も、偶然とは思えないんです。
何かがちゃんと、導いてくれているんだなと。
振り返ってみて、今は心から思えます。
「あのとき死ななくてよかった」「生きていて、本当によかった」って。
人生は苦しいことのほうが多いかもしれません。
でも、“好き”なことって、やっぱり裏切らないんだと思います。
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撮影/沼尾翔平 ヘアメイク/柏瀬みちこ スタイリスト/宮崎真純(likkle more) 取材/沢亜希子





















