小説家になるなんて、無理。夢のまた夢、と努力もせずに諦める人が多いなか、他の仕事を持ちながら、地道に書き続け、夢への切符を手にした同世代の女性たちがいます。彼女らの姿を見ていると、自分の夢だって頑張れば叶うのかも、と思えてくるのです。
寺地はるなさん 48歳・大阪府在住
選択肢がないのは実は自由なこと。
人生の「旬」は自分で決めればいい
人生の「旬」は自分で決めればいい
デビュー10年で30冊。「書き続け、気づいたらこうなってた」と笑うが、この多忙なスケジュールを支える秘訣が手帳だ。年間スケジュールを月単位で出版社ごとに連載や書き下ろしを割り振り、さらに週単位で詳細な進行に落とし込む。几帳面な手帳には、繁忙期前に段取りを進める税理士事務所で培った仕事観が息づいていた。
20代前半から地元佐賀の税理士事務所に勤務、結婚を機に大阪へ移り、再び税理士事務所で働き34歳で出産。育休明け、息子さん1歳の頃、「何を思ったか、小説を突然書き始めて。どうかしていました(笑)」。
26歳で一度挑戦し、10枚も書けずに諦めたのに、復職後の最も多忙な時に再び筆を取ったのは、結婚直前に父を亡くした消化できないものが噴き出したのかもしれないと振り返る。公募ガイドで調べ、賞金順にExcelで出品表を作り、地方の文学賞にも応募。息子の頻繁な体調不良で仕事を休まざるをえず、家での仕事を模索しながら、賞金目当てで書き始めた小説は2年半後に新人賞を受賞。
とはいえ、デビュー後も先が見えずにパートで働き続け、夜に執筆、睡眠時間を削ること数年。「作家と名乗っていいのか『先生』って呼ばれるとギョッとした」。
息子さんの小学校入学でようやく、小説家一本に。「もし依頼が来なくなったら、また勤めればいい」。軽やかな決断だった。
そんな数多の作品のテーマは、どこから生まれるのか。「すごく人を見ている」と友人に指摘されて初めて、自分が〝見ている側〟だと気づいたという寺地さんは、日常で出会う人の物言いや仕草を「脳内の壺」に保存し、小説を書く時にザバッと取り出して、登場人物に練り上げる。そうして生まれた人物に注がれる温かい眼差しは、すべての作品の根底にある。「自分がちゃんとした人間じゃないから、人のダメさを許さないと、結局自分が許されない」。
35歳で小説を書き始めた時、遅いスタートだと感じたが、26歳で一度諦めた時もそうだった。「後から振り返れば、10年前の自分は今より常に若い、だから全然遅くない」。
著書『いつか月夜』に、「子どもの頃ピアノを習いたかったけど、ピアニストになれるわけじゃないし諦めた。でも最近習い始めた」という40代後半の女性が登場する。何者にもならなくていいのは、実はとても自由。選択肢が減ることは、不自由ではなく解放でもあると、寺地さんの芯が見える気がした。自分が選んできた、今周りにあるものを少し丁寧にやってみる。それだけでいいと。税理士事務所で習得した段取りは、今や暮らしを回し、書き続けるための技術に。今日を積み上げていく。その先でいつの間にか、私たちも何者かになっているのかもしれない。
撮影/吉澤健太 取材/羽生田由香 ※情報は2026年3月号掲載時のものです。
















