「私たちのCHALLENGE STORY」を担当しているライターの孫 理奈です。今回は、5月号の「障がい児ママに学ぶ、我が子の伸びしろをのばしまくる子育て術」で書ききれなかった子育てエピソードをご紹介したいと思います。
向かった取材先は軽井沢。パラアイスホッケー選手の上原大祐さんのお母さま、鈴子さんを取材しました。上原大祐さんは二分脊椎という障がいを持って生まれました。足が不自由で車椅子が手放せなかった三男を育てた私は、車椅子生活の大祐さんを育てたお母さまに、会う前から勝手に親しみを覚えていました。
軽井沢駅まで迎えに来てくれたお母さまは本当に明るくて、ずっと笑っていている姿が印象的! けれどお母さまから初めに聞いたのは、「何で私と大祐なんだろうと落ち込んだんですよ」という言葉でした。大祐さんが2歳になったときに初めて同じ障がいのお子さんを持った方達に出会い、みんなの笑顔にびっくりしてからは自分も明るく元気に育てる決心ができたのだそう。
私も障がいのあった三男を育てているとき、「家族みんなが落ち込んで元気がないと思われている」ことを何度か経験しました。でも「落ち込んでいて当たり前だよね」という見方はちょっと違うかなと思うんです。初めはもちろん戸惑い悩みましたが、頑張りながら生きている子どもを授かって段々こちらが勇気をもらうようになり、元気になれました。
お母さまのエピソードの中に、大祐さんが「自転車に乗りたい」と言ったことがあり、インターネットのない時代に手で漕ぐタイプの自転車を見つけたという話がありました。「好奇心旺盛な大祐に応える方法をいつも探していた」と言っていましたが、達成感を覚えた子どもは目をキラキラと輝かせ、「これもできるかも」と思えるようになります。次への行動力や意欲に繋げるためなら、少々のケガの心配は仕方がないと割り切っていたそう。障がいのあるなしにかかわらず、リスクを恐れずにそっと背中を押して子どもの生き方を見守る姿勢が子育てには大切なことだなと思いました。
大祐さんはその後、パラアイスホッケー競技に出会い、日本代表選手になりパラリンピックに出場。そして銀メダルを獲得されました。「メダルを取ったら、お母さんにいちばんにかけてあげるね」と言ってくれた夢がバンクーバーで叶い、「大祐が勝ち越しゴールを決めたときは涙で大祐を見失うほどでした」と言ったお母さまの話にもらい泣きしてしまいました。
「私たちはお互い『ありがとう』と自然に言い合う親子でした」というお母さまの言葉に、「うちもそうだった」と思ったこともありました。車椅子は何かにつけちょっと手伝ったりする場面も多いので、「ママ、ありがとう」と三男もよく言ってくれました。そして私はいつも必死に頑張っている息子に「頑張ってくれてありがとう」が言いたかったのです。
今回の企画では育児の大先輩方に話が聞けてとてもためになりました。そして取材後にはお母さまが作ってくださったお料理をご馳走になることに。温かい手作りの手巻き寿司は本当に美味しく、いつものように出会いへの感謝でいっぱいになりました。つい食べ過ぎてしまうのも取材の裏話としては“あるある”。帰りの新幹線では「峠の釜めし」まで食べてしまいました(笑)。
撮影/BOCO