株式会社そごう・西武
白洲家が示す「本物と美のある暮らし」「プリンシプル」
戦前・戦後の日本で自らの規範による誇り、直感、プリンシプル=原理原則を貫いた白洲次郎と、独自の審美眼と美の世界観を持ち続けた妻・正子の生き方を、共通の生活拠点であったかくれ里「武相荘」を通して紹介する展覧会を開催いたします。
激動の時代を生きた白洲次郎と正子は、我が道を生きながらも、互いの個性と生き方を尊重した夫婦でした。コロナの影響によりワークライフバランスや、地域とのつながりが見直される中、夫婦は世の中を先見し地方に住みながら中央の政治にも目を光らせ、その土地の暮らしと人生を楽しんだ先人とも言えます。
二人の独自のライフスタイルは、混迷の現代を生きる私たちに語りかけてくれるものがあるのではないか、そんな想いから、多くの方に観覧いただけるゴールデンウイーク期間中の開催といたしました。
会場では「武相荘」「次郎」「正子」の3部構成で、武相荘の部屋の再現4点と、180余点の愛用品と資料・写真を展示いたします。
■会期:4月22日(金)~5月5日(木・祝) 14日間
■時間:午前10時~午後8時
※最終日午後5時閉場、最終入場は各日閉場の30分前まで
■会場:6階=催事場
■入場料金:大人700円(500円)
大学・高校生500円(300円) 中学生以下無料
※カッコ内はクラブ・オン/ミレニアム会員割引料金
※障がい者手帳各種ご提示で、ご本人・同伴1名まで無料
第1章 かくれ里 武相荘 白洲一家の絆を育み、夫婦の終の棲家となった美しい邸宅
[再現] 武相荘 リビング
[展示] 日々の暮らしの愛用品、武相荘の写真・資料
1942年、次郎40歳、正子32歳の時に日本の敗戦を見越して南多摩郡鶴川村(現・東京都町田市)の茅葺き屋根の農家を農地付きで購入して「隠遁生活」を始める。
武蔵の国と相模の国の境にあることと、無愛想をもじって「武相荘」と名付けた。
第2章 白洲次郎 自分が信じる「プリンシプル」を忠実に生きた「風の男」
[再現]武相荘 農具納屋
[展示]マッカーサーに贈った椅子(複製)、吉田茂からの書簡、日本国憲法関連資料、留学時代・趣味・ファッション・農具などの愛用品、次郎作の家具や調理道具、留学時代・結婚式・愛車・政財界での写真
1902年(明治35年)、綿貿易商の白洲文平の次男として兵庫県(現芦屋市)に生まれる。第一神戸中学校を卒業、英国・ケンブリッジ大学に留学。
帰国後は英字新聞記者となり、1929年樺山正子と結婚。
転職して商社に勤務する傍ら、駐英大使であった吉田茂と親交を深める。
戦後1945年吉田茂外相に請われて終戦連絡中央事務局参与となり、連合国最高司令官総司令部(GHQ)との折衝にあたり日本国憲法成立などに関与。その後貿易庁長官に就任、通商産業省を誕生させる。1959年57歳で東北電力の会長を退き政財界から身を引く。晩年は車、日曜大工、ゴルフを楽しみカントリージェントルマンたる生き方を実践。
1985年(昭和60年)83歳、次郎他界、遺言は「葬式無用、戒名不用」。
第3章 白洲正子 自らの「美意識」に忠実に日本文化や美を見つめ続けた
[再現]武相荘 正子の囲炉裏部屋、正子の書斎
[展示]骨董、着物、自伝原稿、自画像、正子宛の書簡、幼少期からの写真
1910年(明治43年)、実業家で貴族院議員の樺山愛輔の次女として東京の永田町に生まれる。祖父の資紀は薩摩出身の伯爵。幼い頃より能を学び1924年14歳で能舞台に史上初の女性として立ち「土蜘」を舞う。14歳で米・ハートリッジ・スクールに留学、1928年に帰国、1929年白洲次郎と結婚。
1956年銀座の染織工芸店「こうげい」の経営者となり多くの工芸作家を見出し世に送り出す。40代の頃より取材や、能面を求めて各地を旅するようになる。文学・古典・古美術・旅を愛し、古典文学、工芸、骨董、自然などについて随筆を執筆する。
1998年(平成10年)88歳、正子他界。
武相荘オリジナルグッズや白洲次郎・正子に関する書籍などを販売 グッズコーナー
トートバッグ(キャンバス生地、10.5×39×30cm、全3色)
紺・オリーブ 各1,870円/生成り 1,650円
お香「びゃくだん」(60本入)1,210円