日頃から何気なく当たっている紫外線。季節問わず、毎日塗っている日焼け止めも本格的な夏がくる前に見直したいところ。
今回は、炎天下の中でトレーニングや競技を行う各界のトップアスリート達がオススメする日焼け止めをご紹介。
これからさらに暑くなり、紫外線も強まる季節。アスリートが選ぶ日焼け止めを参考に、しっかりと日焼け対策をして思いっきり夏を楽しみましょう!
★ 【元テニスプレーヤー】杉山 愛さんの推しは“シミ対策”もできる日焼け止め
★ 【サッカー選手】鮫島 彩さんの推しは“最高レベルの紫外線防御力”がある日焼け止め
★ 【元アルペンスキー選手】清澤恵美子さんの推しは“最高のパフォーマンス”が叶う日焼け止め
★ 【元アーティスティックスイミング選手】青木愛さんの推しは“美肌ケア”できる日焼け止め
★ 【元競泳選手】岩崎恭子さんの推しは“鉄壁の守りと攻めの美肌ケア”ができる日焼け止め
★ 【元競泳選手】萩原智子さんの推しは“最高のUVカットなのに敏感肌でも使える”日焼け止め
★ 【元競泳選手】寺川 綾さんの推しは“日差しと戦うアスリートのため”の日焼け止め
★ 【元バレーボール選手】木村沙織さんの推しは“塗り心地とSPFの高さ重視”の日焼け止め
【プロゴルファー】横峯さくらさんの推しは“絶対に焼けない”日焼け止め
プロゴルファー 横峯さくら さん
所属:エプソン
8歳からゴルフを始め、小学4年生の時に全国小学生大会で優勝。1999年には日本ジュニアゴルフ選手権競技12〜14歳の部、2002年には日本ジュニアゴルフ選手権競技15〜17歳の部で優勝。同年の高知国体の個人、団体優勝。
2004年にプロテストに合格、2005年に「ライフカードレディスゴルフトーナメント」でツアー初優勝を果たす。2009年には年間6勝し賞金女王に輝く。
2013年には連続予選通過記録101試合を達成。同年にはLPGA Mercedes-BenzPlayer of the Yearを獲得し年間最優秀選手賞を受賞。2014年に結婚。2015年からアメリカツアーに参戦しショップライトLPGAでの2位が最高成績。2021年に第一子となる男児を出産。2022年からは8年ぶりに日本ツアーに復帰。
通算勝利回数23勝。現在は永久シード獲得に必要な30勝を目指している。
【元テニスプレーヤー】杉山 愛さんの推しは“シミ対策”もできる日焼け止め
元プロテニスプレーヤー 杉山愛 さん
4歳でラケットを握り、15歳で日本人初の世界ジュニアランキング1位に輝く。17歳でプロに転向し、34歳まで17年間のプロツアーを転戦。グランドスラムでは女子ダブルスで3度の優勝( 2000年全米オープン/2003年全仏オープン/2003年ウィンブルドン)と混合ダブルスでも優勝(1999年全米オープン)。オリンピックには4回連続(アトランタ、シドニー、アテネ、北京)出場。WTAツアー最高世界ランク シングルス8位 ダブルス1位。国際公式戦勝利数 シングルス492勝 ダブルス566勝。WTAツアー シングルス優勝回数6回 ダブルス優勝回数38回。公式戦通算試合数 1772試合(シングルスとダブルス)。2009年10月、東レパンパシフィックオープンを最後に現役を引退。
2015年7月に第一子、2021年7月に第二子を出産。2023年1月より「Billie Jean King Cup」日本女子テニス代表監督に就任。
【サッカー選手】鮫島 彩さんの推しは“最高レベルの紫外線防御力”がある日焼け止め
サッカー選手 鮫島 彩 さん
大宮アルディージャ VENTUS所属
2011 FIFA女子W杯ドイツ大会優勝
2012 ロンドンオリンピック 銀メダル
2015 FIFA女子 W杯 カナダ大会 準優勝
2019 FIFA女子 W杯 フランス大会出場
小学校1年生からサッカーを始め、地元クラブの河内SCジュベニールから宮城・常磐木学園高に進学し、卒業後は東京電力女子サッカー部マリーゼに入団。
東日本大震災の影響でチームが活動を自粛したことにより海外挑戦を果たす。
帰国後はINAC神戸レオネッサなどを経て、2021年1月よりWEリーグ新規参入チームである大宮アルディージャVENTUSに加入し奮闘中。
2008年にデビューしたなでしこジャパンでは、不動の左サイドバックとして11年W杯ドイツ大会初優勝や12年ロンドン五輪の銀メダル獲得、15年W杯カナダ大会優勝に貢献、国際Aマッチ通算114試合5得点。
【元アルペンスキー選手】清澤恵美子さんの推しは“最高のパフォーマンス”が叶う日焼け止め
元アルペンスキー選手 清澤恵美子 さん
アルペンスキー元日本代表
両親の影響で3歳からスキーを始める。
大学時代には、2005年1月の冬季ユニバーシアードインスブルック大会のジャイアントスラロームでは銅メダルを獲得。
大学卒業後はチームアルビレックス新潟やクレブなどに所属し、2007年1月の冬季アジア大会ジャイアントスラロームで金メダルを獲得した。
アルペンスキー世界選手権では日本人最年長出場記録を達成。
2018年1月に引退。
現在は解説者、指導者、講演活動、4歳男児ママ、アスリート妻(夫プロゴルファー薗田峻輔)、SDGs活動(protect our winters アンバサダー)と活動の幅を広げている。
【元アーティスティックスイミング選手】青木愛さんの推しは“美肌ケア”できる日焼け止め
元アーティスティックスイミング選手 青木愛 さん
元アーティスティックスイミング日本代表
地元の名門クラブ・京都踏水会で水泳をはじめ、8歳から本格的にシンクロナイズドスイミング( 現名称・アーティスティックスイミ ング)に転向。ジュニア五輪で優勝するなど頭角を現し、中学2年から井村雅代氏(現・代表コーチ)に師事する。20 歳で世界水 泳に臨む日本代表に初選出されたが、肩のケガにより離脱。苦労の末、不退転の決意で臨んだ北京五輪代表選考会では劣勢を覆し代表の座を獲得。欧米選手に見劣りしない恵まれた容姿はチーム演 技の核とされた。引退後は、メディア出演を通じてアーティスティックスイミングに限らず、幅広いスポーツに携わっている。
【元競泳選手】岩崎恭子さんの推しは“鉄壁の守りと攻めの美肌ケア”ができる日焼け止め
元競泳選手 岩崎恭子 さん
1988年JOCジュニアオリンピック初出場
1990年日本選手権初出場
1992年バルセロナオリンピック出場(平泳ぎ200m金メダル)
1996年アトランタオリンピック出場
競技者として常に前を行く姉を追いかけ、競泳を始める。バルセロナ五輪選考会を兼ねた日本選手権残り1枠を姉と争うこととなり、周囲の予想に反して出場権を獲得した。世界ランクは14位、メダル候補にも挙がらない無名の選手だったが、本番で驚異的な成長をみせ、当時のオリンピック記録を塗り替えるタイムで競泳史上最年少金メダリストに輝く。名言として残るインタビューも相まって、一躍時の人となった。過剰な注目に苦悩し不調が続いたが、奮起して2度目の五輪出場を果たした。
引退後は児童の指導法を学ぶために米国へ留学。現在は水泳レッスンや『着衣泳を広めるプロジェクト』を発足し、講演会・イベント出演などを通して水泳の楽しさや水辺で楽しく安全に遊ぶ方法を伝える活動をしている。
【元競泳選手】萩原智子さんの推しは“最高のUVカットなのに敏感肌でも使える”日焼け止め
元競泳選手 萩原智子 さん
中学3年生時に、海外遠征カナダ選手権200m背泳ぎで、当時、日本歴代2位となる日本中学新記録樹立。高校インターハイでは、200m背泳ぎで、3連覇達成。
2000年シドニー五輪、200m背泳ぎ4位、200m個人メドレー8位入賞。
2002年日本選手権では、100m、200m自由形、200m背泳ぎ、200m個人メドレーで史上初の4冠達成。「ハギトモ」の愛称で親しまれ、2004年現役引退。
5年の歳月を経て、2009年現役復帰宣言。30歳にして日本代表に返り咲く。
順調な仕上がりを見せていた矢先、五輪前年である2011年4月に、子宮内膜症・卵巣のう腫と診断され、手術。術後は精力的にリハビリに励み、レース復帰。
【元競泳選手】寺川 綾さんの推しは“日差しと戦うアスリートのため”の日焼け止め
元競泳選手 寺川綾 さん
3歳より水泳をはじめる。
高校2年生だった2001年の世界水泳選手権に初出場。その翌年2002 年パンパシフィック水泳に出場
し、200m背泳ぎで銀メダルを獲得。以降、アテネ、ロンドン五輪 2 大会出場、福岡、上海、バルセロナ世界選手権 3 大会出場と国際大会で活躍。ロンドン五輪では個人種目(100m 背泳ぎ)、リレー種目(4×100メドレー)の2種目で銅メダルを獲得した。50m背泳ぎ、100m 背泳ぎの日本記録保持者。
2013年12月、現役を退くことを表明。現役卒業後はスポーツキャスターをはじめ、多方面で活躍。プライベートでは 2児の母。
【元バレーボール選手】木村沙織さんの推しは“塗り心地とSPFの高さ重視”の日焼け止め
元バレーボール 木村沙織 さん
元バレーボール日本代表
17歳で全日本代表に初招集。同年アジア選手権で代表デビューを果たす。レシーブに定評があり、セッターの素質も見出される中、アタッカーとしてアテネ五輪出場に大きく貢献し、「スーパー女子高生」として一躍その名を広めた。東レアローズに入団すると、主力として活躍してチームは常勝集団に定着。
全日本代表でも絶対的エースとして数々の国際大会で存在感を示し、ロンドン五輪銅メダル獲得の原動力となった。満を持して、世界最高峰リーグであるトルコに移籍し、2年間の挑戦の中でヨーロッパチャンピンズリーグ優勝も経験。リオデジャネイロ五輪では全日本チームのキャプテンとしてチームを牽引した。
その後、1シーズン限りでの引退を表明してVリーグに挑み、2017年、現役を引退。現在は専業主婦の傍ら、マルチに活動中。
取材/日野 珠希