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参議院議員今井絵理子さんインタビュー 障がいのある子を育てる、母親としての思いとは

沖縄出身の女性4人によるダンス&ボーカルユニット・SPEEDのメンバーとして、12歳でデビュー。”White Love”をはじめ数多くのミリオンヒットを記録するなど一世を風靡した。し大人気に。その後、ソロとして歌手活動や講演会など幅広い活動を続けてきた今井絵理子さん。2016年に参議院議員選挙に立候補して初当選され、現在、政治家として、障がい者支援だけでなく女性活躍や環境問題など、幅広い分野で活躍する働くお母さんです。そんな今井さんに、母親としての思い、女性としての思い、そして、議員としての思いを語っていただきました。

ーーこのタイミングでご本を書こう思われた理由をお聞かせください。

コロナ禍による外出自粛やリモートワークなど、私たちは新たな生活様式を強いられることとなりました。急激な環境変化の中で、女性の自殺者数やDV・性犯罪・性暴力に関する相談件数が著しく増加するなど、多くの苦悩する女性の姿が浮き彫りとなりました。これまで私も多くの苦悩と向き合ってきました。同じく苦しむ女性にメッセージを送りたいと考えていたところ、ある編集者の方から出版のお話をいただきました。決して参考になるような人生を歩んできたわけではありませんが、自分の人生に立ちはだかった多くの壁にどのように向き合ってきたのかを伝えることで、悩める女性の方たちが少しでも元気に、笑顔になっていただけるとありがたいなと思い、筆をとらせていただきました。

ーーそうなんですね。ひとり息子さんは今何歳ですか?

17歳になりました。

ーー聴覚障がいがあるとうかがいました。

はい、生後3日目に聞こえないことがわかったのですけれど、最初は戸惑いました。私は、ずっと音楽をやってきたこともあり、「神様は、なぜ耳が聞こえない子を私に授けたんだろう、残酷だなあ」と思いました。 すごくショックでしたし、息子にも「五体満足で産んであげられなくてごめんね」と、何度も謝りましたね。聞こえないと告げられた日は一日中泣いて泣いて。でも ふと思ったんです。息子にとって 母親は私一人。聞こえない分、彼にとっては目で見る情報がすべてなんだなって。それなのに、お母さんがずっと泣いていたら、せっかく生まれてきたのに息子が悲しむだろうなと。そこから気持ちを切り替えて、私自身がまず障がいを受け入れて、笑顔で子育てをしていこうと思いましたね。

ーーそれからすぐに治療や教育が始まったのですか?

医療機関には最初からかかっていましたが、療育施設にも生後半年頃からお世話になりました。でも、そこに至るまで、障害者手帳をもらったり、いろいろな申請をしたりと手続きが大変でした。今も周りに障がいのあるお子さんを育てている親御さん方がいますが、体力的、精神的な負担は計り知れないと思います。でも全ては、子どものためですから、みなさん頑張っていますね。

ーー健常児でも、お母さんになったばかりはわからないことだらけですよね。

そうですよね。しかも、ある日突然耳が聞こえない子の母親になるわけですから、『障がい』というのが何なのか『聞こえない』ってということがどういうことなのかも、わかりませんでした。当時は、今よりもネットの情報も乏しく、誰に相談していいのか、どういった支援があるのかといった情報を収集するのもすごく大変でした。また、医療機関や療育施設が遠いと、それだけでも大変です。私の場合は療育施設が家から1時間程度のところにあったうえ、近くにすぐ引っ越すこともできました。でも、簡単に引っ越しをできない方のほうが多いですし、何時間もかけて通われる親御さんもいらっしゃいます。体力的にも精神的にも大変です。私の場合は、ありがたいことに、母も元気で、家族の支えがあったからこそやってこられたのだと思います。

ーーその後、息子さんの障がいについて公表されたのですよね。

はい。息子が4歳のときに『24時間テレビ』で公表しました。でも、オファーをいただいたときも、すごく迷ったんです。息子のプライバシーに関わることなので、親の私が勝手に公表していいのかと。でも、これは何かの使命なのではないかと思い、オファーを受けることにしました。結果は、賛否両論ありましたね。でも自分や家族の障がいについて、周りに言えなくて、辛い思いをしていた方に「勇気づけられた」と言っていただいて。障がいの中には、内部障がいといって見た目ではわからない方もいらっしゃいます。社会に受け入れられるかどうか不安で誰にも相談できずに困っている方もいる。そのような方々からも「自分も障がいを公表して、周囲の理解を得るきっかけをつかめた」と言っていただき、よかったのかなと思います。

ーーその後は、息子さんと各地でボランティア活動をされたのだとか。

番組後に、たくさんの声がみなさんから寄せられて、少しでも応じられたらいいなという想いで、全国各地の障がい者施設や学校など、さまざまなところに息子とともにうかがいました。

ーー子育てをしながら働くのは大変でしたか。

母が元気だったので協力してもらいながらです。仕事で出張に行くときには、同じ境遇のママ友に息子のお世話をしてもらったことも。振り返ると12歳からノンストップで働き続けているので、議員になっても生活スタイルはあまり変わっていないんですよね。

ーーお子さんは、プロレスラーになられたとうかがいましたが、心配ではなかったですか?

もちろん心配でしたし、今も心配ですよ。コロナで試合ができないときは、家でトレーニングをして。体づくりも大切なので、食事にも気を使いますし。何よりケガが心配ですね。でも、そこは息子が決めた道なので、ぐっとこらえて見守っていきたいなと思います。

後半はこちら。今井絵理子さんが政治家になった理由や、パートナーについてお聞きしました。

プロフィール 今井絵理子(38歳)
自由民主党・参議院議員。‘83年沖縄生まれ。’96年にSPEEDのメンバーとしてデビューし、‘00年に解散、後はソロとして活動を開始。’04年21歳で長男を出産。‘08年、息子の聴覚障がいを公表し、NHK『みんなの手話』の司会を担当。講演、ボランティア活動など幅広く活躍。’16年参議院議員選挙に全国比例区より立候補して初当選。’19年には内閣府大臣政務官に就任。現在は自由民主党・内閣第一部会長代理を務めている。

今井絵理子さん最新刊「動かなきゃ、何も始まらない」について詳しくはこちら

撮影/吉澤健太 取材/秋元恵美 今井さん衣装/カーディガン¥17,600(ソーノ/ミラク)イヤリング¥2,970(mimi33/サンポークリエイト)

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