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高校生で、若くして介護を担う”ヤングケアラー”となった町 亞聖さんが当時を振り返って思うこと
濱島 淑恵さん(51歳・兵庫県在住) 大阪歯科大学医療保健学部教授
介護者が抱える負担や困難の先に存在する若者たち。
見過ごさないために必要なのは「ヤングケアラー」の周知
見過ごさないために必要なのは「ヤングケアラー」の周知
ヤングケアラーに関する研究活動を行っている濱島淑恵さん。彼女が初めて“ヤングケアラー”という言葉に出合ったのは今から11年前、イギリスで開催された国際会議でした。「議場では、耳慣れない単語について活発に議論が行われていました。初めて聞く単語で、知識もなく、当時はあまりピンときませんでした」。
欧米ではすでに問題となっていたヤングケアラーたちの存在。帰国後、家族主義の強い日本にいないはずはないのでは? と思い始めたころ、介護者が抱える負担に関して取材をしていた 濱島さんが、語られた話の端々に見たもの。それは、大人の主介護者を助ける“ヤングケアラー”の姿でした。「辛い介護をしていた女性が、『毎日高校生の娘が慰めてくれ愚痴を聞いてくれた。それがなければ自分は介護を続けてこられなかった』と言います。 娘さんは母親に感情的ケアを行っていたんです。ヤングケアラーという視点を持つと見えるけれど、持たなければ見過ごしてしまう。しかし、介護者が抱える負担の先に若者世代のケアラーが確実に存在していたのです」。
ケアの内容は異なっても、ケアをしている子どもたちには、学校生活への影響、友人関係の希薄化や悪化、孤立、健康への影響等、問題の共通点が多い。「様々な困難を抱えながらも、進学し、働き、社会のメインストリームに戻ることができたヤングケアラーは『自分たちはラッキーだった』と話します。ラッキーな要素がそれぞれ何かしらあったからだともいえますが、彼らの人生が運に左右されない社会を考える。これも重要だと考えています」。
’19年には、同じような経験をしてきた人が集い、語らう「ふうせんの会」を立ち上げた濱島さん。名前の由来に明確なものは特にないそう。しかし、濱島さんはある思いを“ふうせん”に込めています。「私は風船の自由なイメージをこの会に重ねています。社会の色々な壁に阻まれ、行きたいと願う場所に辿り着けない。ヤングケアラーたちは中卒だったり無職期間が長かったり、健康状態が不安定だったりと、不利な立場に立たされやすい。そんな彼らが会と出合い、辿り着きたいところに進める。『いつだってどこにだっていけるし、何者にだってなれる』。ふうせんにはそんなメッセージを込めています。実態調査を皮切りに、社会がこの問題に大きく動き始めた今、私も研究者としてできることを模索し続け、彼らとともに歩んでいきたいと思います」。
撮影/前川政明 取材/上原亜希子 ※情報は2022年3月号掲載時のものです。
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