JuniorSTORYの企画では、自らの思春期の頃を重ね合わせることが多く、今回も……。
STORY7月号掲載の「思春期のわが子に『裏切られた』時」(P.190~)。
私も思春期には、母とぎくしゃくしていました
頑固で真面目、教師として、学校からも保護者からも厚く信頼されていた私の母は、家庭内でも真面目一徹。
曲がった事が大嫌いで、自分自身も両親の言うこと対して従順だったため、娘たちにもそれを強いている傾向がありました。7つ上の姉はとても優しく思いやりのある人で、そんな母を支えていましたが、では私は……というと、はねっかえりで母には怒られてばかり。母と姉の話題についていけずに、大げさに物事を話したり、自分になんとか注目が集まるようにしていたように思います。
小学校の頃は、巷で流行っているお菓子がほしいけれど正直に言えず、習い事の消耗品のお金をごまかしてお菓子を買ってしまいました。
大きくなってからは、友人と遊ぶことも、カラオケ屋さんでバイトすることも理解してもらえないと思い、ありとあらゆる言い訳で取り繕って生きていました。
でも、そんな嘘が親に知られてしまったときは大変! 友人にまで迷惑をかけてしまうことも多々ありました。
反抗期は長引き、母と口をきかないこともしばしば。家を飛び出して友人にお世話になることもあったり……。
今考えても、壮絶だったなぁ、と思います。
ですから、少しの嘘だとしても〈親に理解してもらえないから〉と、ごまかしてしまう今回の子どもたちの気持ち、私は痛いほど分かってしまうんです。
わが子は私と一緒――そこからくる母の喪失感
ただ、親になってみて逆の立場になると、信じていた子どもたちにに嘘をつかれ、よもや平気な顔をして一緒に時間を過ごされていたとしたら……。
〈なんていう裏切りだ!〉という怒りとともに、〈自分を親として信じてくれていないんだと〉いう喪失感に襲われるかもしれません。
どうしてそんな感情が起こるのか? と思うと、子どもと自分を同化させている……ということに行き当たります。
ああ、私の母もそうだったのかもしれません。
どうしてこの子は分からないんだろうと。
子どもの幸せを願っているのに、どうして理解しないのか? と。
今思うと、私は母ともっと理解し合うべきでした。
たとえ親子だろうと、テレパシーなんてものは存在しません。
親子だからこそ、もっと自分と引き離して考えていかなければならず、そのためには対話が必要だったのだと。
理解されないから怒る親、理解してもらえないから黙り、そっして嘘をつく子。
それでは平行線のまま。
どうしたら理解してもらえるかの試行錯誤を繰り返していきたい
現代社会はネット問題も絡め、私たちが思春期の頃とは比べものにならないくらいの危険が子どもたちを取り巻いています。
子どもを守るためにはどうするべきか?
嘘を言わせるのではなく、信頼してもらうためにどうするべきか?
自分の過去とも照らし合わせながら、正解を模索していくしかありません。
クリス-ウェブ佳子さんのように、嘘を笑いに変える術を身につけつつ、このページで取材した先生方が仰るように、自らも学び、反省し、そして、残り少ない子どもとの時間を大切にする。
そういったことを心に刻みつけながら、過ごしていこうと思います。
今まで私の子どもたちには、私がバアバ(私の母)と喧嘩ばかりしていたことをよく話していました。母の悪いことばかり言っていました。
でも今回の反省を踏まえ、
“自分がこうしたいってことを、私がバアバにもっと真剣に訴えていれば、もしかしたら分かってもらえたかもしれない。だから、あなたたちも、私や周りの人たちに「どうしたら理解してもらえるか」を考えていくことが大事だよ!”という言葉を付け加えるようにしました。
さて、私は私で、受け止められる大人にならなければ!
文/竹永久美子