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夫婦最大の危機を乗り越えられたのは、いらないプライドや偏見を捨てられたから
花輪陽子さん(43歳・シンガポール在住) ファイナンシャルプランナー
結婚直後に夫婦揃って失業。
出産直後に夫の海外赴任……。
持ち前の〝何とかなる”精神で
乗り越えてきました
出産直後に夫の海外赴任……。
持ち前の〝何とかなる”精神で
乗り越えてきました
結婚直後にリーマンショックのあおりを受け、夫婦揃って失業という経験をした花輪陽子さん。「夫は日本のベンチャー企業で働いていたのですが、銀行の融資の問題で黒字倒産することに。すぐに次の仕事が見つかるだろうし、私も働いているから大丈夫、と心配はしませんでした」。
しかしその2カ月後に花輪さんはリストラで失業。当時外資系の金融に勤めていた花輪さんは、ランチから戻ると呼び出され、そのままサインをさせられて退職することに。「貴重品だけ持って、同僚に声もかけられないまま退職しました」。
それでも「何とかなる」と前向きだった花輪さん。「20代の時の借金がきっかけで、ファイナンシャルプランナーの勉強をしていた頃で、勉強に集中するいい機会だなと思いました。会社から退職金も含めた向こう1年分くらいのお金に加え、失業保険もあったので、当面のお金には困らないということも大きかったです」。
夫婦で失業という過酷な状況下にいながら、夫婦仲は以前よりも良くなっていったといいます。「ピンチだから2人で一緒に力を合わせて頑張ろうという感じでした。でもやりたいことをお互いがやっている、という似たもの夫婦なんです」。
夫は数カ月後に転職が決まり、花輪さんもファイナンシャルプランナーの資格を取り、仕事を再開。それぞれ仕事が順調だった数年後、夫が会社を退職したいと告げます。「話を聞いても『あ、そう』という感じでしたね(笑)。長女を妊娠中の時でしたが、TVにも出てバリバリ仕事をしている時だったので、自分のことで忙しくて。夫に何かあっても、収入も貯金もあったのでお金に困らないし、自信があったんですね。この時も何とかなるかなと」。
最終的には会社からシンガポール行きを打診され、海外赴任することになりました。「その時はさすがに困りました。私の仕事は順調でしたし、日本にいないとできない仕事もあって。引っ越しまで猶予がなかったので、シンガポールに行くかどうか迷いましたが、最終的には家族でシンガポールに行くことを決断しました」。
シンガポールではビザの関係で思うように仕事ができない時期もありましたが、持ち前の行動力やコネクションで仕事を再開し、今ではシンガポールで会社を設立するまでに。「新しいことにチャレンジするのが好きで、最近ではウェイクサーフィンやタッチラグビーを始めました。ママ友からはよくやるね、と言われますが(笑)、仕事もスポーツも人生も、できないと思うより〝できる、何とかなる、やってやれる”と思ってチャレンジしています」。
取材/星 花絵 ※情報は2022年7月号掲載時のものです。
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