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夫の会社を引き継ぎながらの介護、そして自分にやってきた更年期…夫が倒れて人生が変わった60歳モデルの波乱万丈ヒストリー[後編]

モデル 岩井ヨシエさん(60歳)

夫が脳出血で倒れた……救急車で搬送された夫は半身不随となり、立ち上がることも、歩くこともできず、そのまま入院することになりました。

声を殺して泣く息子。私も状況を受け入れることができないまま、当時、夫が独立して経営していた会社の対応に追われました。頼れる親族もいなくて、1日1日を送ることで精一杯。13歳離れた年の差婚、玉の輿婚といわれた幸せな生活が一気に奈落の底に落ちたのです。

【前編はこちら】

目次 ★ 「元モデルに何ができる?」と言われながら夫の会社の経営を引き継ぐ試練
★ 夫の介護が続くなかで自分の更年期障害が始まった
★ 介護の終わりが更年期の終わり。そして再びモデルの仕事が始まった

45歳、青天の霹靂。こんなことってあるの……私が何をしたっていうの? 夫がどうしてこんなことにならないといけないの? そんな葛藤と戦いながら、夫にかかってくる電話を受け、メールをして、残っていたノートを見つけて連絡先を確認して対応しました。

夫は入院から3日目で意識がなくなり、1カ月後にやっと目を覚ましましたが、うっすらと戻った意識の中で「〇〇に頼れ、〇〇に相談して」と仕事の交渉の仕方、契約書のこと、交渉の仕方を教えてくれましたが、わたしの不安を感じとったのか「よしちゃんならできる、できない要素がないよ」と励ましてくれました。

夫の会社を潰すわけにはいかない……本当に必死でした。そんな私に息子は「俺、お母さんと二人三脚で頑張るから希望校に通わせてほしい。お父さんがここの学校がいいって言ってくれて、遊びも我慢してずっと勉強してきたから。奨学金を借りて働いて返すから」と言ってきたのです。息子が大事な時期だというのに……涙をこらえるのに必死でした。

「元モデルに何ができる?」と言われながら夫の会社の経営を引き継ぐ試練

当面のお金に困り、まずはお家と車と家具を手離しました。息子と二人で住めればそれだけでいいと、狭いお家に引っ越しをしました。

夫だけでなく、義母までも施設に入り、私はこれから夫と義母の施設代、息子の教育費、家賃、どんだけ稼がないといけないの⁉ 先は真っ暗だったけど、泣いても何も解決するものではなく、なんとかしようと思うけれど、その〝なんとか〟もわかりませんでした。

「元モデルに何ができるの?」「ビジネスやれるの?」という言葉に傷つくこともありましたが、絶対に人に涙を見せまいと心に決めました。「私、バカにされているかも……」と夫に相談したら、「偉ぶりたい人は多いものだよ、でも相手の力を見極めることができないのは、その人のレベルが低いとういことだから」と言ってくれ、「仕事は協力者がいないと成功しない、だから感情を野放しにしないこと」。白か黒かを決めてしまいたいけれどグレーにすることも必要であるということを丁寧に教えてくれました。細かい仕事のノウハウを一から教えてもらい〈少しずつやれるかもしれない〉と思えていったことを思い出します。

夫は、一切弱音を吐いたり、愚痴を言ってきませんでした。私は夫に「ノートに仕事のことだけでなく、いろいろ書き出して」と頼んでいたのですが、「僕は何もしてあげられない」と書き残してくれていたのを見つけたことがあり、胸が苦しくなったのを覚えています。そして、いつも病室を出るときは、「ありがとう、よしちゃん、愛しているよ」というのが、夫の口癖でした。

夫の介護が続くなかで自分の更年期障害が始まった

息子は受験に成功し、見事に私立男子校御三家に合格することができました。家族の願いが叶ったのです。家庭の状況を知った担任の先生が、「息子さんのことは学校にお任せください。お母様はお仕事に集中されて大丈夫です」と言ってくれたのが嬉しかったのと、そんなふうに言ってもらえて、ピンと張り詰めていたものが切れたような気持ちになりました。

夫も、入学式の息子の姿を見たかっただろうな……。

ほどなくして私も、更年期に突入して体調に変化が訪れるようになり、眠れない、ふっといきなり地震がきたかのような眩暈がする、体温調節ができなくなる、平気な日もあればどんより落ち込む日もあり、それは出口が見えない真っ暗なトンネルのようでした。人生の中ではこういう時期もあると覚悟していたとはいえ、何もかもが重なり、満身創痍。過労で2回も救急搬送されることに。

介護の終わりが更年期の終わり。そして再びモデルの仕事が始まった

私が56歳、夫は69歳を迎え、そのときがやってきました。「ありがとう、よしちゃん、愛してるよ」、恥ずかしげもなく言う夫。
そんな夫の12年の闘病生活は終わり、天国へ旅立っていきました。夫を見送ったのと同じ時期、私の更年期の症状もスーッと消えていきました。

そんな中、57歳でモデル復帰のお話がふと沸いて出ました。宝島社の『素敵なあの人』という新刊雑誌は60代向け、ということで美容ライターのお友達が「モデルとしてやってみたら?」と紹介してくれたのです。20代の頃、ちょっとモデルをやっていただけの私に、こういうチャンスが巡ってくるとは思ってもみませんでした。20代の『anan』のときと同じように、「やってみませんか」と言ってくれるなら、その波に乗ってみよう! という気持ちにスイッチを入れました。
「よしちゃんならできるよ、できない要素がないよ」そんな夫の言葉を思い出しながら。

今年は60歳を迎え、モデルのお仕事も楽しみながら、夫から引き継いだアパレル企業とクリエーターを繋ぐプラットフォーム会社(株式会社ワダネットワーク)を両立しつつ、私のすべての経験をさまざまな人に伝えていきたいと思っています。

これからは、私みたいな“おひとりさま”も増えるだろうし、大人の婚活、就職、介護、仕事も多様化していますが、“人と人を繋ぐプラットフォーム”、そんなコミュニティを作っていきたいと「Chance2+2」(シャンスドゥドゥ)を立ち上げました。コミュニティの発信者の顔が見えるYouTubeや、音声プラットフォームのVoicy パーソナリティ『ヨシエのホイッスル』もスタート。

今は忙しさの中にやりがいを感じる、充実した毎日を送っています。足し算と引き算しかできない人が、必死で掛け算や割り算までやってきたような私の人生、鉄棒でいきなり大車輪を回り始めたような(笑)経験が、誰かのお役に立てるかもしれないし、そんな自分でいたい……。目標を形にできるよう一歩ずつ進んでいきたいと思います。

60歳になった岩井ヨシエさんに聞きました。 「美容と健康。どのように維持しているのですか?」

岩井ヨシエさん
岩井ヨシエさん
私はもともと強いアレルギー体質で体も弱いほうなので、抗酸化に全集中。アーユルベーダ統合医療のハタイクリニックで指導を受けていますYouTube【白湯の正しい処方箋】低体温を改善して免疫力を上げる方法 。それから、なんといっても“穴美容”は効果絶大YouTube【オイルで穴美容】粘膜潤いケアで女子力アップ 私の美容と健康法お伝えします!。 エステは、たまにしか行きません。美は1日にしてならず。 モデルだからといって、必死でスキンケアをしているわけでもないんです。 むしろ感情が顔を作るから、そちらを意識したほうがいい。50歳以降はその人自身が顔に出るの。あとね、オシャレであるためにセンスを磨くこと。これが結構大切かも。
岩井ヨシエさん Instagram:@iwaiyoshie_22

HP:https://yoshieiwai.co.jp

撮影/河内 彩  ヘアメーク/森ユキオ 取材/高橋奈央

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