結婚というものは家同士のお付き合いと昔から言われていますが、〝人の地〟というのは一緒に住んでみないとわからないのが実情です。今回は嫁姑ならぬ実母&夫の狭間に立つ40代のお話です。
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結婚生活はいろいろ大変なことばかり。実母と同居で家の中はごたごた、無駄なものにお金を使う夫のために貯金もできない、夫の浮気も経験済み、子供たちも期待通りには育っていない……といろんなことを乗り越えてきて、すごく大変。もう嫌になっちゃう。でも友達からは大変そうになんて見えない、幸せそうに見えるよ、と言われます。
そもそも結婚前から離婚は絶対しないと決めて、今もそれを貫いています。なぜなら、私が赤ちゃんの頃、両親が離婚し、父を知らずに育ち、ずっと寂しい思いをしてきたから。母は働いていたので保育園に預けられ、母と一緒に過ごす時間は短く、ご飯を食べることもあまりなかったですね。やがて高校生のときに母が再婚し、義父ができましたが、窮屈な思いもしました。ずっと戸籍がキレイな、普通の生活がしたい、自分の子供には絶対に私のような寂しさを味わせたくない、と強く思ってきたのです。
とはいえ、結婚前は何度かの大恋愛をしました。「この人のためなら死んでもいい」そう思った人もいました。でも、常に冷静な目で相手を判断する癖があり、遊んでいる人やお金にルーズな人は夫にふさわしい人じゃないと、結婚までには至りませんでした。「私は日本人の男性とは無理かもしれないな」と諦めかけていた32歳のとき、アルバイト先の不動産会社の上司だった夫と出会いました。
上司と言っても夫は8歳年下の24歳。さらっとした爽やかな性格で穏やかな真面目な人。付き合って数カ月でプロポーズされ、「この人なら大丈夫」と確信を持って結婚。同時に夫は婿養子になってくれました。最初は夫婦だけで生活していましたが、すぐに長男が生まれ、私はアルバイトを続けていたので、実家の近くに引っ越し、母に子供を預けていました。実母ということもあり、会社から帰ると子供を迎えがてら、私も夫もほぼ毎日実家にご飯を食べに行き、家には寝に帰るだけの生活。これなら同居してしまったほうが無駄がないよね、そう提案したら夫も快諾してくれ、結婚2年目から母との同居が始まったのです。
母は「私がいちばん正しいのよ。年上の意見を聞きなさい」と人の意見を聞こうとしない強烈な人。それが当たり前の私は慣れていましたが、暮らし始めて母の毒舌や態度に夫はビックリ仰天。何でもズバズバ言う母に夫は付いて行けず、穏やかな性格なので我慢を重ねていました。
次第にお互いがお互いの悪口を私に言うようになり、「そうだよね。そうだよね」と、私はなるべく流すように。でも、子供にあまり怒らない夫に対して、母が「お父さんらしくしなさい」とか「きちんと怒って躾なさい」など、怒れを催促し、子育てにもどんどん口を出し始めると、日に日に夫にかなりのストレスがかかっていきました。
そんな頃、夫の浮気が発覚。私は鼻が利き、最初は夫が帰ってくるといつもと違う匂いがするようになり、嫌な予感。休みの日にもよく出掛けるようになりました。携帯をこっそり見たところ、それらしきメールがバンバン出てきたのです。夫を責めると、携帯を見たことに怒りながらも、もごもごして「悪かった」と謝りました。私には母と同居して貰っているという負い目があり、夫のストレスの原因は明らかに母だったので、悔しかったけれど、忘れるように努力をしました。もし私達家族だけだったら酷い喧嘩もしていたかもしれませんが、同居をしていたことで、大声で喧嘩をしにくく、徐々に中和されていきました。夫も女性とはすぐに別れたようでした。
ところが浮気騒動が沈着後、今度は夫がパチンコなどのギャンブルにハマるように。子供の面倒も見ず、休日はギャンブルデーになり、もちろんお金も使います。中毒になる前に何とか辞めさせようと当然小言が多くなり、夫婦喧嘩ばかりでぎくしゃくしてきました。対策を講じた結果、この頃から面と向かって夫を責めるのでなく、メールを使って会話をし、辞めてほしいことや言いたいことをずばずば書いて伝え、子供の前では喧嘩をしないように努力。お互いの顔を見ているときは努めて普通に振る舞うようにしました。
その甲斐あったのか、数年でギャンブルは辞めましたが、今度はインターネット上のゲームにハマっていったのです。ただのゲームでなく、課金されるゲームにお小遣いを全部使うようになり、毎日の必要経費をさらに請求してくるようになりました。思えば、長男が生まれたときも、子供のためにプラレールを与え、図に乗って自分用にもっと高価なおもちゃを買い始めたことを思い出し、良く言えば凝り性、悪く言えば生産性のない無駄なことにお金を使う人だったのです。私はものすごく嫌でした。夫は真面目に働いて、お金も全部私に預けますが、一向に貯金はたまりません。私もパートで働いていましたがゆとりのある生活とは程遠い。悶々とした憂鬱な気持ちを抱えているときに、1冊の本に出合ったのです。
『あの世に聞いた、この世の仕組み』。この中の「大事なのは幸運な状況になったから幸せになるのではなく、幸せでいるから幸運な状況になる」というフレーズに目が留まりました。つまり幸せになることじゃなく、幸せであることが大切だと言うことです。目から鱗でした。
その頃のようにずっと思い悩んでいる状態は幸せではありません。だから、このときから嫌なことはすぐに忘れるようにしました。なかなか難しいのですが、目の前に起こっていることを嫌なことと捉えずに、客観的に見ては忘れるように心がけたのです。そしてどんなことも全部楽しみました。仕事も家事も子育ても。ゲーム問題を注意するときも最初にジョークを交えながら「これ以上やらないでね」と喧嘩にならないように話しました。
そもそも離婚しないという確固たるポリシーを持っているわけですから、夫のこともポジティブに捉えることができたのです。きっと我が家だけでなく、どこも結婚生活には揉め事が付き物だと思うのですが、私は最終的に別れようと思っていないので、人生をどんどん先に進めていくこともできます。母のことも、ゲームのことも解決しているとは言い難かったけれど、極力気にせず暮らし、当時、次男もいましたが、どうしても女の子が欲しかったので40歳を過ぎてから子作りに挑戦。結婚10年目の42歳のとき、自然妊娠で長女を授かりました。本当にうれしかったですね。
同時に前から興味のあった看護師の免許を取ることも決意。2年前から准看護学校に通い、4月からは看護学校で2年間勉強の予定です。看護師免許は家での勉強が必須ですし、実習は本当に大変ですが夢に向かっていると、頑張れるんですよね。免許を取ったら、訪問看護をやっていきたいと思っています。
気付いたときには夫のゲーム狂も軽い趣味の範囲にとどまり、母も年を経て大人しくなってきました。この春、夫は昇進もしました。結婚生活は、すぐに離婚しなくても、状況は刻々と変わっていくのです。だから友人が離婚すると、私と同じ思いを子供にさせて可哀そうで仕方ありません。親が離婚した辛さは経験した子供しかわからないから。幸せな両親のもとで育った人は、それだけで本当に幸せなんです。そう思えば、何があっても結婚生活を貫ける。特にちょっとしたことなんて気にならないですね。人生は楽しむことなんです。嫌なことがあっても、楽しくやっていくこと。これまでの結婚生活で学びました。
撮影・取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2015年掲載時のものです。