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調停までしてまた浮気発覚!怖くてたまらなかったけど“離活”を始めました

毎月ご本人にお目にかかって話を聞いている取材班。文章にすると作り話にも思えますが、本当に何も作っていません。今回もこれが実話かと思うと私たちは強くならなくてはならないと思い知らされます。

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目次 ★ 三高夫との離婚

三高夫との離婚

◯ 話してくれたのは...大桃美代さん(仮名)

東京都生まれ。短大卒業後、外資系IT企業に勤務。29歳で結婚。大桃美代子さん似の朗らか美人。天真爛漫で話好き。友人も多い。趣味はテニス、ベリーダンス。
夫 長野県生まれ。K大学卒業後、大手証券会社勤務。40歳のとき外資系IT企業に転職。頭脳明晰で理論的だけど、コミュニケーションスキルに欠ける。趣味はバスケットボール。

元夫は背が高くハンサムで誰が見てもカッコよく、K大学卒業後、大企業勤務のエリートで結婚当初は30代半ばで年収1、000万を悠々超えていました。愛車BMWに乗るときは、さっとドアを開けてくれたり、アメリカナイズされたステキな人。そのうえ、優しくて家事も手伝ってくれるし、私のことを心から愛してくれる。私も夫のことが大好きでした。2人の子供にも恵まれ、最初の5年間は本当に幸せの絶頂にいました。ところがその数年後、地獄に突き落とされてしまったのです。

当時外資系メーカーに勤務していた私は、NYに海外駐在していた夫と友人の紹介で出会い、お付き合いをスタート。彼の帰国と同時に結婚し、2年後に長女妊娠を機に退社しました。夫は子育てにも熱心で、家事にも協力的。何より愛し愛されていたことが嬉しく、家族3人になってからも一層幸せをかみしめていました。

やがて外資系企業にヘッドハンティングされ、年収も倍に。正直私は、収入よりも安定した企業にいるほうが良かったのですが、外資でバリバリやっていける人だと信じていたので、快く応援することにしました。続いて長男を妊娠。まるで絵に描いたような順風満帆な日々を送っていたのです。

ところが2人目を妊娠中体調が悪くなり、ベッドで寝ていることが多くなってきました。その頃、これは女の直感でしかないのですが夫の様子に異変を感じ、ある日携帯電話を見てしまったのです。すると同じ会社の女性とのメールが見つかり、「家族は大事なんだけど、A子とも定期的に合っていきたい」と書かれています。衝撃でした。黙っていることができない性格の私は即、夫に問いただし、「離婚する」と大袈裟に怒りを表わすと、土下座して泣いて謝ったのです。

家ではいつもの優しい夫に全く変わりはなく、女性とも関係を持つまでには至ってなかったようでマッサージチェアを買ってもらうことで許しました。しかし、これが諸悪の始まりだったのです。のちに夫から、帰宅したとき、私が疲れていたり子育ての愚痴を言われるのが嫌だったと言われました。私も今ならうまく対応できたかもしれないけど、その時は体調も悪く気を使える余裕がなかったんですね。

舌の根も乾かないうちにまた次の浮気がちょろちょろ発覚します。モテることもわかっていたし、ここまでは許す、そこは守ってくれるだろうの範疇は越えずにいたので、慌しく時が過ぎていました。相変わらず家では良き夫・良き父でしたし、お金もちゃんと入れてくれていました。

ところが今から5年前、人妻と1年半にわたってW不倫をしていたことが発覚したのです。SNSサイトのミクシーで知り合い、定期的な逢瀬を続けている様子がメールからありありとわかりました。それを見たとき、ここまでやるんだと何かが崩れていきました。案の定、夫は言い訳もせず、泣いて謝りましたが気持ちが収まらず、近所のウイークリーマンションを借りてもらいしばらく別居

当時は離婚する勇気が持てず、だからと言ってわだかまりを持って元に戻るのも辛く、結果修復のための調停に持ち込み、またまた夫は泣いてやり直したいと。子供にも家族でいたいと言われ心が揺れました。そこでなし崩しにやり直すのも心配だったので知人の行政書士のアドバイスで復縁に当たっての協議書を作りました。今度浮気がわかったら離婚に至る、慰謝料・養育費を定額で支払うなどを約束し、半年後には元のさやに納まりました。

夫は私に愚痴をこぼすことがなかったのですが、転職後の外資系企業では結果がダイレクトに問われ、責任も重く、常にプレッシャーが重くのしかかっていたと思います。エリートだった夫はストレス耐性が低く、楽しいことに流れてしまう。優しくしてくれる女性に逃げてしまうのだと思います。だから、私も心機一転、なるべく笑顔で接し、彼の好きな料理を作ったり、家の中のムードを明るく保つように努力しました。2年くらいは平和でした。

でも、この人とは無理、このままじゃまずい、と危機感が芽生え、離活を始めたのは3年前のことでした。調停までしたというのに、また浮気発覚。その時は、言葉巧みにその場しのぎの噓や反省をいくらでも言うけど、厚かましいくらい忘れちゃうんです。言葉や行動に責任を持ちません。浮気そのものよりも、直らないし、改善もできないと思ったんですね。

でも離婚は怖くてたまらなかったんです。すぐに決断はできなかったので、密かに仕事を探したり、資格を取るための勉強を始めたり、節約を口実にマンションを売りに出したり。同時に夫はそんな私の変化に気づき、態度が一変し、意地悪になってきたのです。今まで手伝ってくれていた家事を一切しなくなり、私の人格も否定するようになりました。

何か物事を頼んだら、舌打ちをして、因縁をつけて、物にバンバンあたったり。ちょっとしたことでキレる。お金に対しては全部任せてくれていたのに、細かく指摘するように。一緒に行ったスーパーで国産の鶏肉をかごに入れたら、「なんでブラジル産にしないんだ」とレジでねちねち文句を言う。ある日、「女性問題がなかったら、いいパパなんだけどね」と思わず本音も漏らしたら、仁王立ちになって攻撃され、結局私が謝らないと収拾がつかなくなり、その後ソファでぐったりしていたら、「肩揉もうか。こっちおいでよ」と甘えた声で近寄ってきたんです。

背筋がぞーっとし、この人何かがおかしいと思いだしたのはこの時からでした。家の中は地獄絵図と化していました。このままだったらノイローゼになりそうでカウンセリングを受け始めたのです。そこで夫はモラハラ(言葉や態度で相手の心を傷つける精神的暴力「モラスハラスメント」のこと)だということがわかります。相談員の方に治る見込みがないと即離婚を勧められました

その頃は派遣で働いていましたが、少しずつ自分に自信が持てるようになっていたんです。そんな頃ムーブメントが来ました。思いのほか高い値段でマンションが売れたり、親に相談したら、生前贈与でこれから3人で住む実家近くのマンションを購入できることになったり、良い弁護士さんが見つかったり……私さえ一歩踏み出せば離婚できる環境が整いました

でも踏み出すときはどんなにドキドキしたか! 子供と家を出て調停を始め、夫は最後まで家族でいたいと主張しましたが、離婚成立。状況は全て私に有利に働いたのです。もちろん浮気やモラハラに関する証拠も押さえていました。だから慰謝料と養育費も十分に頂けることになりました。

離婚して1年半、本当に大変でした。子供たちも反抗期を迎えています。夫ほどのお給料はもらえないけれど、人脈を広げフリーで大好きなインテリアの仕事をしたり、翻訳をしたり、仕事も増えてきました。何とかなるものです。婚活も始めました。正直、離婚したらモテます。数カ月お付き合いした人もいましたが、再婚には至りませんでした。でも離婚によって将来のパートナーを探す自由を得たので、長い目で信頼し合える人を探したいですね。

結婚中、経済的には何の心配もなかったので子供のことを考えたら、仮面夫婦でいることもできました。実際知人にそういう夫婦は多いです。夫も妻も浮気していたりとかね。

でも私はそれはできなかったです。私が人生で一番大切にしていることは、パートナーと尊重し合いながら暮らすこと。結婚は夫婦ありき。夫婦あっての子供で、子供あっての夫婦ではないと思います。浮気の事実もモラハラも悲しいことでしたが、夫を愛せなくなったことが離婚の理由。夫婦で労り合えるって本当に幸せなこと。夫婦はラブでなきゃと思います。いつか必ず出会えると信じて積極的に恋愛していきたいですね。

取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2015年掲載時のものです。

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