この連載を始め、読者のみなさんの話を聞いてわかったのは「夫は滅多なことでは変わらない」こと。妻の不満を察知して改善してくれるなんて“神対応”はしてくれるはずもありません。ならば、変わるのは妻の方。今日はしなやかな女性のお話です。
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◯ 話してくれたのは...有働有美さん(仮名)
同い年の私たち夫婦はお互い26歳のとき、出会って半年で結婚しました。というのも大失恋した直後に、私を励まそうと会社の同僚がセッティングしてくれた合コンで夫と出会いました。
当時証券会社勤務の夫ははっきりものを言うマイペースな人で、第一印象はあまりよくなかったのですが、お付き合いしていくうちに真面目で優しく、仕事もでき、家庭も顧みる理想的な夫になりそうだと思うようになりました。強く求婚されたこともあり、結婚を決めたのです。大失恋の後で誰でもよかったと言うと語弊がありますが、前の彼は私のほうがすごく好き、夫とはその逆で、結婚はそのほうが幸せになれると思ったんです。好きで好きでしょうがないということはないけれど、一緒にいてラクでしたし、何より尊敬できる人でした。
結婚3年目に夫の駐在に伴ってロンドンへ。幸せでしたね。銀行員と言っても相場をやっていたので朝早く帰りも早い勤務体制で、夕方に帰ってきたら、二人でゴルフの打ちっぱなしに行ったり、ドライブしたり。毎日楽しくて、結婚してからのほうがラブラブになりました。
3年をロンドンで過ごし帰国後2年目に長男、続いて次男を出産しました。そして次男が2歳のころ夫が独立し、財務コンサルタントの会社を起業。結婚前から、独立することが夫の夢で、私も賛成していたので来るべき時が来たという感じでした。それからは私は子育てで手いっぱい、夫は仕事が忙しくなり、徐々に前ほど話をしなくなっていきました。それでも夫は子煩悩で、子育てもよく手伝ってくれていました。
ところが子育てをしていく中で、夫の自分勝手な一面が目立つようになってきました。例えば長男が夜中に起きてわんわん泣いて、私が眠い目をこすりながらあやしていても知らん顔して寝てるんです。当時は毎日夜中の授乳が必要でしたが、一度も起きてくれることはありませんでした。そういう自分勝手な主人を見るのが嫌で次男出産後は寝室を別々にしたんです。そうすると知らない間に明らかに距離が出てきたんですよね。たまに主人が寝ているところに行っても、さっと背中を向けられたりして、私を女性として見ていないと感じるようになっていきました。
体調が悪いときも何の気遣いもないし、明らかにベクトルが私に向いていないと不満に思うことが増え、徐々に夫との関係にストレスを感じるようになっていったんです。そもそも結婚の経緯からして、主人の傘の下で私が守られている存在だったのが、別の傘をささなくてはいけない状態でした。
私たちは育った環境も異なり、特にお互いの母親の性格が正反対。義母は毎日5:30起床で、てきぱき家事をこなし7:30には全部終わるような生活。干渉してこないし、細かいことにこだわらないドライな性格で、尚且つポジティブ。夫はまさにそれを引き継いでいました。私の母は細々と世話好きだけど、心配性でネガティブ。私はその性格を継いでいて、常に義母と私を比べられているような気がしていました。不満を夫に言えればよかったのですが、私は言えない性質。火山がちょこちょこ噴火するのならいいけど、ドカンと噴火するタイプなんですね。
夫も私を批判したり文句を言うことは一度もなく、まさしく冷戦状態。夫に「不満があるなら言ってね」と言っても、「別に」の一言。お互い相手への不満を抱えているものの、はっきり言ったら破たんするのが目に見えているから黙って我慢している、そんな状態でした。世間でいう、浮気や借金、暴力などは何もないけれど、価値観がすれ違う淋しさでむなしい毎日でした。
それが、長男の運動会の日の夜、お風呂で髪の毛を洗っていたら、直径5センチほどの髪の毛がばさっと抜けてしまったんです。ショックのあまり、夫を呼んだら、「大変だね」と言って、私が入った後のお風呂に入って、寝てしまいました。ショックでした。
夫は私のことなんてどうでもいいんだと投げやりな気持ちになって、壁に向かって物を投げつけていました。それから徐々に髪の毛が抜け、3カ月後にはすべて脱毛。抜け始めに内科を受診し、ストレスが原因だと言われ、心療内科や鍼治療にも通い始めました。治療が功を奏し、2年くらいで生え揃ってきましたが、今度いつまた抜けるだろうという恐怖に苛まれていました。
明らかに夫婦関係のストレスが原因なのに根本的なことが解決しないまま。また、その原因を解決しようともしない夫に対して、徐々に離婚したいという気持ちが芽生えてきました。でも経済的に自立してないと子供を育てられません。何か仕事をしようとアンテナを張るように。
当時髪もそんなで、肌もくすみ、見た目もげっそりしていました。久しぶりに会った友人に肌質改善の美顔器を扱う会社を紹介され、行ってみたんです。サロンでのエステと自宅での手入れがセットになり、徐々に肌が変わり始めました。担当のアドバイザーの方がとても前向きで、通っているうちに心まで明るくなるのを感じました。
可能ならここで働きたいと、肌を磨く資格を取得し、40歳からビューティアドバイザーとして働き始めたのです。周囲にはイキイキと働く同年代の女性がいっぱいいて、今まで家庭の中にしかなかった自分の世界が広がりはじめました。希望が生まれると、将来自立できる状態になったら、その段階で自分がどう変わり、夫も私に対してどう変わるか、それから離婚を考えても遅くないと思うようになりました。会社経営する夫にとっても私が収入を得ることは精神的にも経済的にもラクになったようで、子育てを手伝ってくれるようになりました。
仕事柄お客様の話を聞く側の立場となり、時には夫の悪口を言ってストレス発散している方を見ると、私の昔みたいだなと思ったり、「いつか夫をぎゃふんと言わせたい」とおっしゃっている方の話を聞きながら、心の中では「そんなこと思っているんだ」と客観的に見れ、明らかに夫に対する気持ちが変わってきて、感謝の心が確実に出てくるようになっていたんです。私の不満は、相手が原因だったわけでなく、自分の中にあったのです。
脱毛していたころ、夫が韓国出張でサングラスを買ってきたとき、「私も欲しい」と言うと「試着しなきゃ買えないだろう」と言われ、「子育てしてる私が行けるわけない」と腹立たしい気持ちになっていたのですが、先日全く同じシチュエーションが起こったとき、かちんとせずに、「いつか自分で行こう」と素直に思えました。
家族がいて、毎日ご飯を食べて、健康で働ける幸せ。幸せは自分の中にあったことを社会に出たことで気づけたのです。すべては自分の考え方の問題でした。
子育て真っ最中の今、夫婦関係に目に見える変化はありませんが、よく友人を家に呼んでパーティを開くようになりました。夫はステーキを焼くのが上手く、みんなそれを目的に我が家に来てくれるんです。先日、夫の元同僚が遊びに来たとき、奥さんのプチ鬱に悩んでいる話をしていたとき、私のように社会に出ることを夫が勧めていたとか。私の同僚が遊びに来たときも「目に見えて妻が変わって感謝している」と言われたと後から聞きました。何も感じていないと思っていましたが、きっと夫も悩んでいたんでしょうね。今は同じ傘の下で一緒に歩めている気がしています。
そしていつか、子供が巣立った後に二人で旅行に行くのが夢ですね。
取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2016年掲載時のものです。