◯ 前編はこちら
インスタ300人のフォロワーがいつの間にか30万人に。 それが、「死んじゃいけない」という使命に変わった――
笠井
でも、時代としてアナウンサーの僕が逸見さんのような記者会見はできない。それがわかっていたから、SNSで公表しようとインスタを始めたんだよね。インスタを始めたのは、がんと告知される2か月前。実は4か月前から、トイレに立つと痛む「排尿障害」が起こって、身近に膀胱がんの手術をした小倉智昭さんがいたから、すぐ相談したんだ。同様に20年間、睡眠が3時間の生活を続けてきたから、「ああ、同じ病気になったな」と予感がしたからね。
それで、「すぐ、病院に行ったほうがいい」とアドバイスを受けて、2つの病院に行ったけれど、「がんではない」という診断だった。それが、会社を辞める2カ月前。それから2カ月経っても症状が改善しなくて、3つめの病院で看てもらったら、「がんかもしれない」と。それでインスタを始めた。
中井
それがきっかけだったんだね……。
笠井
万が一がんの場合、発表する場としてね。でも、何をやっても300人からフォロワーが増えない。大学生のうちの息子ですら、1,000人フォロワーがいるのにね(笑)。「父さん、フリーアナウンサーで300人ってもう終わってるよ!」なんて言われてた。フリーになった当初は、色々な仕事があったから、それをインスタに載せていたんだけれど、ある日フジの後輩アナ、今や弁護士の菊間千乃から連絡があって「笠井さん、有名人と撮った写真ばかりインスタにあげてイタいです。もう、フォロワー増やしたいの、見え見えで(笑)。やめたほうがいいですよ!」と言われた(笑)。
中井
さすが、菊間だね! 遠慮のないモノ言いは、フジの社風(笑)。
笠井
ところが、「がんになりました」「入院しました」「抗がん剤打ちました」とあげているうちに、300人のフォロワーが30万人になった。
中井
えっ、すごい!
笠井
でも、それは僕の人気じゃない、“がん”。日本人がどれだけがんに興味があるのか――、そしてそれを見届けようとしている。そうなった時に、自分は注目されていると気づいた。でも、フリーになったのだから、悪いニュースだっていいのだ、と。
すると、がん患者とその家族からたくさんのコメントが寄せられるようになってきたんだ。「笠井さんと同じ病気です」「笠井さんを追いかけて私は2回目の抗がん剤です」と、一緒に闘っている人からコメントをもらううち、「死んじゃいけない」と思った。「抗がん剤は効かない」とか「悪性リンパ腫は治らない」なんて情報を、がんと向き合う患者やその家族に与えちゃいけない、絶対に戻ろう、絶対に帰らなくては、そう思うようになった。
だから、SNSに助けられた感じがあるんだ。それまでは、「まだ三男は高校生だから、死ねない」という気持ちの半面、「死ぬかもしれない」、そう考えてた。でも、30万人のフォロワーを得た時、それが「死んじゃいけない」という使命に変わった。
中井
SNSって、難しい。ネガティブな部分もあるけれど、いい面もあるよね。
笠井
僕もワイドショーでSNSの魔力ばかり伝えて、「SNSで友情が芽生えるなんて幻想だ」と伝えてきた。でも、コロナになって誰も見舞いに来なくなった時に、SNSって光だな、と思った。令和の時代にがん患者になって、思わぬ体験を得たよ。