あなたは、配偶者と死別した後の自分を思い浮かべたことはありますか? 今回は、早くして夫との別れを経験した女性たちにお話をうかがいました。
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早くして夫を亡くした後に…どのように”今を生きること”を取り戻したか
金子稚子さん(54歳・東京都在住) 終活ジャーナリスト、ライフ・ターミナル・ネットワーク代表
夫 金子哲雄さん 1971–2012年(享年41歳) 流通ジャーナリスト
夫の死が教えてくれた
“本人が望む生き方”
亡くなるまで共有した「終活」が、
今の私の役割に繫がりました
“本人が望む生き方”
亡くなるまで共有した「終活」が、
今の私の役割に繫がりました
誰もが迎えるその時をサポートする活動をされている金子稚子さん。
ご主人の金子哲雄さんは、視聴者の目線に寄り添う流通ジャーナリストとしてマスコミで売れっ子だった11年前、「肺カルチノイド」の診断を受け、1年半の闘病の末に亡くなりました。哲雄さんは生前にご自身の会葬礼状から棺や墓など、葬儀を全てプロデュースされていたことが話題になり、“終活”という言葉は,12年の流行語大賞トップ10に選出されました。
「夫から託されたことを引き継いで、終活ジャーナリストとして歩み始めました。本当の終活は死ぬための準備ではなく、生きている時から始まる自分のためのもの。自分の意思を周囲に伝え続ける。そしてそれを話せる人間関係こそが大事なんです」。
けれども初めからそれに気付けたわけではなかった稚子さん。考えを変えるきっかけは、胃がんの実父を見送った経験からだそう。
「嫌がる父に抗がん剤を強要し、後悔した過去がありました。『今度こそ夫が命がけでする決断に全力で応援する』と父の死が夫の支え方を変えました。そして夫は『家で流通ジャーナリストとして死にたい』と選択したため、病気は公開しませんでした」。同時に哲雄さんの前での涙も封印。哲雄さんの想いに懸命に併走し続けたのです。
「周囲にはよく『二人で一人だね』と言われました。常に“ありがとう”が溢れている関係性でした。10年ぐらいの夫婦ですが、密度が濃かったです」。
亡くなる2カ月前から在宅医療に。電話取材を終え、数時間後に亡くなられた最期は、ご本人が望んだ通りの流通ジャーナリストとしての逝き方でした。
「亡くなる日はお互い今日が最後とわかりました。死に際に『もうお別れだね。絶対守るから、大丈夫だから心配しないで』と手を握り、言ってくれました。ずっと二人でいると、生きることと死ぬことの境目が曖昧になる時があって。亡くなる少し前に夫と死後の待ち合わせ場所を決める不思議な体験をしたんです。死の先を二人で共有できた貴重な体験で、守るという言葉にも信憑性がありました。今は先にあちらで彼らしく生きていると思います。夫に言いたいことは“ありがとう”かな。今も続いていますから」。
撮影/BOCO 取材/孫 理奈 ※情報は2023年1月号掲載時のものです。