30代の恋愛が結婚に至らなかった時、その精神的ダメージは計り知れません。だからこそ恋愛に臆病になる方も多いのでは。しかしながら、今回お話を伺った読者さんは辛いトラウマを克服し、勇気を出して一歩踏み出しました。その軌跡を辿ってみましょう。
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◯ 話してくれたのは...丸川殊未さん(仮名)
NYの夏は短くて、マンハッタンを行き交う人々は貪欲に日焼けをし、貪欲に遊んで、街中が活気にあふれています。ハナミズキの後はバラが咲き乱れ、絶えず移り変わる街の景色に、私は日々元気をもらっています。結婚がきっかけでNYに嫁いで3年。家族3人でとても楽しい毎日。こんな幸せが訪れるなんて、想像もしていなかった30代の私。でも常に希望は失っていなかったんですよね。
最初に結婚を決意したのは29歳のときでした。そもそも18歳から2年間、カナダへ語学留学。帰国後、看護師を目指して看護学校に通っていた23歳のとき、中学時代からの友人と再会し、お付き合いが始まりました。6年間交際して婚約。勤務していた病院も円満退社し、2カ月後には結婚式を挙げる幸せまっただ中のとき、破談になってしまいました。
突然彼が仕事を辞めて、失踪してしまったんです。当時、彼のお母さんが居場所を尋ねる電話を私にしてきたときは、背筋が凍る思いがしたのを今も忘れられません。どこかで事故にあったのではないかと皆で寝ずに心配していた矢先、「会社を辞めた」と彼からあっけらかんと連絡がありました。どこにでもある、仕事に疲れた、という話は聞いていましたが、まさか放り投げて会社を辞めてしまうなんて。社会人として責任感のない行動をする人だったとは微塵も思っていなかったので、がたがたと信頼が崩れ、彼自身はそのまま結婚を継続したい方向でしたが、すっかり彼への信頼を失った私と私の両親は将来のことを考えてもどうしてもそのまま結婚する気になれませんでした。
衣装も決まり、遠方から結婚式に来てくださる来客のチケットも取った段階でした。私から婚約破棄を決意したと言え、それからの日々はどん底。もう人生は終わったという絶望感で、食べることも、寝ることもできない、トイレに行くのすら嫌で、死んだように生きていました。
結婚できなかったショックと同時に、長年付き合っていた家族みたいな彼がいなくなった喪失感も大きかったんですよね。そんな屍のような日々が何カ月か続き、客観的に自分のことが見えるようになると嫌悪感に陥り、とにかく一歩を踏み出したいと模索。何年か後にはきっと「この辛い経験があってよかった」と振り返られる生き方をしようと思いました。
しかし、仕事をするにも看護師に戻る気になれず、たまたま母が美容の仕事をしていたので、看護師の経験も活かしながら目の前の仕事に邁進することにしました。同時にお見合いも進行。辛い目にあったけど、結婚したい気持ちは消えなかったんですね。
少しずつ元気にはなりましたが、婚約破棄のトラウマから、お見合いで話が進んでも恐怖感が襲ってきます。結婚式という言葉を聞くと汗が出て、前に進めないんです。30代の10年は、すっきりしないもやもやした日々を送っていました。
30代後半で新しいおつき合いがスタートし結婚話も進みましたが、価値観の違いから結局結婚には至りませんでした。またまた大ショックでした。そんな私を見ていた親友が、「自分を心配するのをやめて、ほかの人の幸せを祈りなさい。あなたの幸せは私が祈るから」と言ってくれたんです。破談以来臆病になって、私は起こってもいないことを心配ばかりして、周りが見えていないところがあったんです。周囲から見ると、このままでは幸せになれないと思えたんでしょうね。ラクに生きられるように前向きに生き方を変えようと努力するようになりました。
その一方で、婚約破棄のときも辛いときも、電話やメールで相談に乗ってくれる留学先のカナダで出会った男友達がいました。つかず離れずの友人関係が20年以上続いていて、彼と別れたときも、その男友達に話を聞いてもらっていました。同い年の彼は7年前にNYに移住していました。別れてから落ち込んでいたとき、「気分転換に遊びに来たら?」と誘ってくれました。そして「僕のことはどう思っているの?」と突然メールが来ました。「友達。恋愛対象としては考えたこともないよ」と答えると、「僕は好きだよ。君と結婚しなければ、一生独身だと思う」と言われたんです。
恋人として考えたことが私にはまったくなかったので、とにかくびっくりだったのですが、このときふっと窓の外を見たら、美しい虹が出ていたのです。何か見えないものに動かされている気がして、素直にNYに遊びに行こうかなという気持ちになり、2カ月後の39歳の9月に渡米。1週間の滞在予定で、宿泊先もあくまでも友達として彼の家に宿泊。でも7年ぶりの再会で、嫌だと感じたらホテルを取ろうという気軽な気持ちでした。
でも楽しかった。すごく頼りがいがあり、18歳のときから見るとずいぶん大人になっていました。でも恋愛感情はなかったんですよね。ところが最終日の夜、彼の家でバラの花束とともに「結婚してください」とアメリカ的なプロポーズをされたのです。それまで結婚となると恐怖感が襲っていた私が、素直に「いいよ」と答えていました。
今思うと心と体の反応が素直に言葉に出たのだと思います。そのときは、正直強い恋愛感情はないけれど、信頼できる人で嫌じゃない。39歳という結婚年齢で考えれば崖っぷちに立たされていたのも理由の一つでした。一旦帰国し、彼は私の渡米準備を滞りなくやってくれ、4カ月後に結婚と同時に渡米。あっという間の出来事でした。
実は婚約破棄後、いつ結婚しても困らないように、料理教室をはじめ、衣食住について学ぶワークショップに度々参加、食育と家事全般について勉強していました。それが結婚してからとても役立ち、生活がスムーズでした。特に子供に関して、二人とも高齢なのでネットで調べてみたら、アメリカは特に不妊治療費が高額で、二人で話し合って、子供は授かりものだから、自然にできればありがたい、できなければ二人で楽しく生きる道を選ぼうという結論を出すや否やすぐに妊娠。41歳で長男を出産しました。
私は持病に喘息を持ち、長年オーガニック食材を使った和食中心の食生活を心掛け、体温を上げ、体質改善をしていました。もちろんそれだけではないですが、いつでも妊娠できる自分でいることは視野に入れていました。
夫のこともとても好きになっていきました。結婚前は口下手で、気の利いたことも言えないし、どこか冷たいところがあったのですが、家族を大切にしてくれ、とても温かい人。そんな夫に「私のどこがよかったの?」と聞いたところ、「ポジティブで、周囲をもポジティブにする力があるところ」と言ってくれました。でも、私はもともと全然ポジティブじゃないんです。少なくとも婚約破棄の前までは。
でも辛かった時期、自分が嫌いになったときから、これからの人生、自分に恥じない生き方をしたいと思ってきました。それは何度か訪れる人生の選択をするとき、打算で選ぶのでなく、自分の気持ちに素直なほうを選ぶ生き方。だから彼が言ってくれた言葉は私の人生を認めてくれたようで、本当に嬉しかったんです。あの婚約破棄が自分を成長させてくれたんです。人生に意味のないことはないんですね。
夫の夢は早めにリタイヤして家族でゆっくり過ごすこと。そのために平日は日本食レストランで懸命に働いています。そして二人の夢はもう一人子供を作ること。ますます体づくりに精を出し、家族4人になる日を楽しみにしています。
取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2016年掲載時のものです。