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Lifestyle40代にはまだLOVEもドラマもあっていい!

不妊、夫の浮気…40代半ばまで本当に苦しい人生。でも50歳を前に新たなパートナーを得ることができて

結婚してから夫と全く相性が合わないと気付いたとしたら離婚はしますか。あきらめてそのまま人生を添い遂げるでしょうか。どちらを選ぶかの正解はありませんが、今回のお話は私たちに希望を与えてくれます。

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目次 ★ 離婚したから出会いがある

離婚したから出会いがある

◯ 話してくれたのは...浅田ゆう子さん(仮名)

千葉県生まれ。大学卒業後大手ジュエリー会社に勤務。一旦退職するも45歳で同じ会社に再就職。27歳で結婚、46歳で正式離婚。昨年退職し、現在は事実婚状態でパートナーと暮らす。浅野ゆう子さん似の知的美人。ファッション大好き。ゴルフが趣味。
彼 神奈川県生まれ。25歳で結婚後47歳で離婚。長男が自分の子供ではないかもしれないという疑問を抱えたままの不安定な結婚生活だったとか。現在は自身で立ち上げたデザイン会社のデザイナー兼オーナー。温厚で思いやりのある温かい人柄。

そろそろお付き合いしている彼と籍を入れる予定。穏やかで平和で静かな毎日を過ごしていると、元夫と暮らした18年間を冷静に見つめることができるようになってきました。

3歳年上の元夫と出会ったのは24歳のとき。自動車会社に勤務し、自分もモータースポーツが趣味。私の周囲にそういう人がいなかった意外性と、男らしい外見にも惹かれ、3年ほどお付き合いしました。

そろそろ結婚話も出始めた27歳、ちょっと身勝手な人だなと気付いてはいましたが、あるとき些細なことから私の母にお箸を投げつける事件があり、それまで結婚を示唆していた母が「考え直した方がいい」と大反対。夫は結婚を強く望んでいたので、私は間に挟まれ悩み抜いていました。そんな頃、2人でドライブ中に「結婚してくれないならこのままガードレールに突っ込む」と脅され、情と怖さと、何より彼のことが好きだった私は「はい」と言ってしまったんです。

母も最後は認めてくれ、27歳で結婚しました。そんなことをする人ですから、その後も然り。人とすぐ衝突して見ず知らずの人と電車で喧嘩したり、私に対しても優しかったのは最初だけ。会話も少ないし、思いやりを感じることはほとんどなく、でもそんな状態の夫婦関係に私も慣れてしまっていたんですね。

やがて結婚から5年目の33歳で妊娠するも流産し、そのショックからしばらく夫婦関係を持てずにいました。傷も癒えて夫も子供を欲しがっていたので妊活を再開しようと、提案するとなぜか夫はそっぽを向くようになったんです。あんなに欲しがっていたのにどうしたのか、という状態が数年続き、徐々に疑惑が膨らみ、ある日夫がお風呂に入っている間に財布の中を見たら、ラブホテルのスタンプカードや割引券がぞくぞくと出てきました。見つけたときは体中がガタガタ震えました。

お風呂からあがってきた夫を問い詰めると、すぐに土下座して謝ったんです。浮気は部下と4年ほど続いていたらしく、あんなにショックだったことはこれまでありません。身勝手な人だけど、女性問題は絶対にないタイプだと信じ切っていたのです。私は家を出て、妹の家に身を寄せました。結婚に反対していた実家には到底戻れません。夫が何度も迎えに来ては追い返していましたが、徐々に気持ちも落ち着いて3カ月後に家に戻りました。

お互いやり直そう、子供を作ろうと話し合い、すぐに挑戦し始めるのですが今度は夫がEDになってしまったんです。すでに私は40歳。本当なら妊活に精を出さなければいけない30代後半を夫の浮気で逃し、その上EDになられ、踏んだり蹴ったり、ほんと私の人生何とかしてほしいという気持ちでいっぱいでした。でも妊娠という目的があったので離婚しようと思ったことは不思議となかったですね。

悩んでいてもしょうがないのですぐに体外受精を開始。夫にとっては夫婦関係を持たずに子供を作れるわけですから好都合。物凄く複雑な気持ちでしたが45歳まで治療を続けました。高齢ゆえたとえ妊娠しても着床しない状態が続きました

毎日自分でホルモン注射を打ち、病院通いも続き、私は心身ともにボロボロ。いつまで続けるのかなと漫然と疲れていたときに、20代のときに勤務していたジュエリー会社から再就職の話を持ち掛けられました。環境を変えたいと思っていた私は治療を辞めて、働きたいと思いました。でも夫は大反対。もっと治療を続けてほしいと納得しなかったのですが、それを押し切って就職。そこから、すでに狂っていた歯車がますます狂い始めていったのです。

私自身は働きだして、気持ちも明るくなりましたが、家の中では会話ゼロの仮面夫婦。お互いが家の中でも外でも好き勝手している状態でした。夫のために夕飯を作ることもなくなりました。こんな調子で老後2人で過ごせるのだろうかと思い始めた頃、ある日突然夫が荷物を置いたまま出ていき、またレースにでも行ってるのかと思っていたら1週間たっても、1カ月たっても戻ってきませんでした。私も追いかけることもなく、そのまま時間が過ぎていきました。結局、1年半後にメールのやり取りで、「離婚しましょう」と伝え合い、46歳で離婚。その後夫は再婚して、1児を設け、悔しい気持ちはありますが、もう何の未練もありませんでした。

再就職する1年ほど前のこと、友人が経営するランドセルのお店をアルバイトで手伝ったとき、そこで今の彼と出会いました。友人から「Aちゃん好みのキン肉マンのデザイナーが打合わせで来るわよ」と言われ、現れたのが彼でした。3歳年上でデザイン会社を経営するデザイナーでもありオーナー。確かに好みのタイプで、紳士的で話も楽しい方でしたが、私も結婚していましたし、まったく恋愛の対象には考えていなかったのです。

以降アルバイト先で何度か顔を合わすようになり、しばらくしてみんなでカラオケに行ったとき、彼は離婚直後で心身ともに疲労していることがわかりました。私は夫婦関係に悩んでいたときでお互いの身の上を話したんですよね。思いのほか素直に自分の気持ちを話せ、考え方も似てるのでとてもラクでした。でも恋愛感情はまったくなくて、自分を飾ることなくあけすけに何でも話しました。

元夫とは正反対の、人を思いやれる人でした。その後もお店で会えば、ちょっと相談し合うような関係が続いていました。そんな関係が変わってきたのが出会って3年後の47歳のとき。突然、「99歳のおばあちゃんのAちゃんが想像できる。おむつ替えてあげるから」って言われたんです。私も迷わず、この人に残りの人生をかけようと素直に思えました

前の結婚では彼は養子に入っていて、自分を出せず、良い夫・良いお父さんを演じていたと。私も元夫に対して我慢するのが当たり前になっていて、自分のやりたいこと言いたいことをできずにいました。それが少しずつ時間をかけて、本当に自分をそのまま出せる人に出会えていたんです。それまで前夫と住んでいたマンションにそのまま住んでいましたが、そこを出て彼と一緒に暮らし始めました。

彼とは喧嘩をしたら話し合う、家事は分担する、2人の関係も大切にするけど、友人との関係も尊重すると、自然にお互いが心地よい夫婦関係ができていきました。実は先日、姪っ子に「おばちゃん、いつも笑っているね。楽しそう」と言われ、はっとしたんです。前夫との結婚生活を送っているときは、笑った記憶が全然ないんです。ところが今は1日1回は2人で大笑いしています。

2人とも旅が好きなので、年に1度は海外に出かけ、リフレッシュしていますが、それよりも毎日の生活の中で一緒にご飯を食べて、お皿を洗って、洗濯をして、テレビを見て、笑って過ごせるような普通の生活を一番大事にしたいので、姪っ子にそう言われたときは、内面の充実が顔に出ていたのだと、本当に嬉しかった。そして、ありきたりですがお互いを思い合って丁寧に暮らしていきたい。夢もできました。将来2人で人を幸せにするモノづくりのお店を持ちたいということ。気が早いですが、ハワイで幸運という意味の「ダブルレインボウ」という名前を決めているくらいなんです。

30代40代半ばまでは本当に苦しい人生でしたよ。悲しいことや泣くことの方が多かった。でも50歳を目前でも恋愛ができるし、パートナーを得ることができることを、私が証明したと自負しています。

取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2016年掲載時のものです。

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