ごくわずかな出現率ですが、几帳面で自分にも妻にも厳しい夫がいます。浮気の心配は皆無で家族想いである反面、妻に求める要求も高い……。そう、それはSTORY読者にとって諸刃の剣。今回はそんな夫に悩みつつ、いいバランスを見つけた妻のお話です。
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◯ 話してくれたのは...中谷実紀さん(仮名)
夫とは21年前、ロンドンのカレッジで出会いました。私は大学卒業後就職しましたが2年間勤めて退社後に留学、夫は1歳年上の銀行員で会社の制度で同じカレッジに留学中でした。私は高校生のときに留学経験があり、英語は得意なつもりでしたが、思いのほか勉強が大変で、よく夫に教えてもらっていたのです。テムズ川沿いのカフェや学校の図書館でよく一緒に勉強しました。
そのうちに、いつの間にかお互い好意を持ち始めました。でももしこれが日本だったら夫は絶対に出会っていないような人。外見は全然かっこよくないし、おしゃれに全く興味がなく、機能性重視の人。でも勉強に取り組む姿勢は真面目で前向きで、人間的にとても尊敬できる人だったんです。
でも当時私には日本に恋人がいて、また夫にも婚約者がいました。お互いが真面目な気質でしたから、留学中のアバンチュールというわけでもなく、半年くらいあいまいな関係が続いたまま夫は帰国が決まりました。
これでこの関係も終わるかなと思っていたら、帰国の日に「付き合おう」と言われたんです。夫はすでに日本にいた恋人と婚約解消していました。
その半年後に帰国する予定だった私は同じ気持ちだったし、嬉しくて申し出を受け入れ、すぐに恋人との関係を清算。半年後に帰国して、夫と一緒に住み始めました。夫は本社に戻り、私は英語を生かしてファッション関係のPRとして再就職しました。そして自然な成り行きで、1年後の29歳で結婚、数年間は2人で共働きをして、一緒に家事をするような楽しい日々を送り、32歳で長男を出産しました。
その頃夫は銀行を辞めて、コンサルティング会社を起業。また私も会社の中でステップアップし、責任を担い、やりがいを感じる一方で猫の手も借りたいほどの忙しさでした。当時は、勤務しながら子育てしている人はいなくて私が子供を産んだ第一号。そのため、働くママにとっての福利厚生が全く整っていない会社で、出産後4カ月で復帰したのです。その上、長男が病気がちで番狂わせが多く、ほんと大変でした。人間関係のプレッシャーにも疲れ、家でもイライラばかり。最初は夫も気持ちよく手伝ってくれていましたが、顔を合わすと喧嘩ばかりするようになっていました。
遂には「会社を辞めて、家事と子育てに専念してほしい」と。そんな夫に反発しながらも、私自身が子供も可愛くてもっと一緒にいたい気持ちは強かったので、迷いました。一旦は退社しようと思ったんです。でもそんなときに、別の企業からヘッドハンティングの話が浮上しました。もちろん夫は反対でしたが、それを押し切って、気持ちのまま動いてしまったんです。
声がかかるのは嬉しいことだし、環境を変えることで、仕事も家庭もうまくいき始めるかもしれないと期待感大、新しい会社に転職したのです。でも行ってみると想像を絶する大変さ。激務は当然のことながら人間関係も複雑。いろんなことが大変すぎて、眠れない日々が続きました。家でも前の会社のとき以上に、キリキリしていました。
当然毎日のように夫婦喧嘩。息子の保育園の送り迎えも、朝は夫、夜は私のはずが私が迎えに行けないことが増えてきて激怒されたり。靴磨きやアイロンがけなどの夫に関する家事は一切できず、文句ばかり言われ、「自分はどうなのよ」と私が反撃したり。私も大声で怒鳴ることも多く、夫には「狂ってる」と失笑され続けました。
今思うと家の中は滅茶苦茶な状態でした。私には記憶がないのですが、結婚前に私が「子供ができたら仕事を辞める」と言ったと繰り返しいじられました。
そして遂に、「これにサインして」と突然別居用のマンションの契約書を差し出されたのです。夫が考えた末の結論は、「ハッピーでいるならサポートもするけど誰もハッピーじゃない。そんな家に僕はいたくない。1年間別居で猶予を与えるから、その間に仕事を辞める決心がついたら戻るし、つかないなら離婚。二つに一つの選択だ」と。そう言って本当に出て行きました。私はサインこそしましたが、あっという間の出来事できっと口をぽかんと開けて立ちすくんでいたと思います。
また当時、翌年建つマンションを二人名義ですでに購入、1年後仕事を辞めないなら、夫のみの名義に変更して子供引き取って2人で住むと豪語。私はショックというよりも複雑な心境。働いているのは一緒で五分五分のはずなのに、なんで私ばかりが責められるのか、とても不条理な気分。私も離婚したいけど、息子のことを考えるとすぐに決断できる心構えはなかったんですね。
週1日だけは子供を夫が預かってくれることになりましたが、夫の協力がないまま、息子と2人の生活が始まりました。毎朝9時に保育園に送って、迎えに行くのは一番遅い21時。心身ともにクタクタ。
そんなときに保育園の先生に呼び出されたんです。息子が絵を描くとき、黒のクレヨンしか使わなくなり、これはサインだから、仕事を減らしてみてはどうかという、相談でした。
息子は昔も今も物わかりの良い子で、私には一切文句を言わないんですね。切ない気持ちになり、「潮時だ」と悟りました。自分のキャリアアップより、夫と子供と一緒にいたい、もう一度家族を再生したいと思いました。きれいさっぱり仕事を辞めて、息子も保育園から幼稚園に編入。今まで心の中では責めてばかりいた夫に対して申し訳ない気持ちも芽生えてきました。
タイミングよくマンションに関わる確認作業もあり、夫と顔を合わせたとき、素直な気持ちを伝えると何とも言えない表情で「戻る」と言ってくれました。嬉しかったのだと思います。私も胸のつかえがすっと取れました。同時に新築マンションに引っ越し。まさに別居して1年でした。
あれから10年。この間、妻として母として頑張りました。毎朝5時半起きで子供のお弁当と朝ご飯も作って。何より夫が望んでいた、家族で食卓を囲むことは1日も欠かしていません。夫が炊き立てのご飯を食べたいというので、毎晩鍋で炊きできる限り夕飯もそろって食べています。
でももともと働きたいほう。子供が10歳になったころから、フリーでPRの仕事も。会社員より融通が利くので両立がしやすいうえ、失敗を通して自分にブレーキがかかるようになりました。
気持ちに余裕ができると、仕事にも家事にもアイデアが生まれ、イライラすることがなくなりました。夫とは今でももめることはありますし、たまに2人でランチに行ったり、車で遠出をしても喧嘩になったりと相性がいいとは言えないかも(笑)。でもロンドンで最初に感じたとおり、彼の生き方そのものが尊敬できるんですよね。
絶対に噓をつかないし、自分を大きく見せたりしない人。一度別居したからこそ、そういう彼の良いところを認識することができたのだと思います。そして何よりも私を大切にしてくれ、家族優先に考えてくれる。だからこそ、別居してまでも私に仕事を辞めてほしかったんだと、今なら素直に理解できるようになりました。
今夏、息子と2人でロンドンを訪れました。バッキンガム宮殿・テムズ川・大英博物館……どこに行っても彼と過ごしたときのきゅんとした気持ちが蘇ってきました。だから今は夫の提案にはできるだけ乗っているんです。家族旅行の計画もすべて彼が綿密に立ててくれるので、冬はスキーに行くつもり。彼の趣味のゴルフも「一緒にやろう」と常々言われながら、なかなか本格的にできないでいますが、今年は真剣にスタートしてみようかな。そして10年後、20年後……2人でそこそこに、ささやかに生きていきたいですね。
取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2017年掲載時のものです。