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Lifestyle40代にはまだLOVEもドラマもあっていい!

38歳で9歳年下と結婚。義父は恐ろしい元上司で足元を見られて…

しみじみ結婚とは難しいものです。相手とは抜群の相性であっても、聖人君子のような人柄であってもその家族が結婚をぶち壊すことだってあるのです。今回は恐ろしい元上司&義父に屈することなく愛を貫いた夫婦のお話です。

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目次 ★ 結婚相手とその家族

結婚相手とその家族

◯ 話してくれたのは...石白 彩さん(仮名)

群馬県生まれ。高校卒業後オーストラリアに留学。帰国後、携帯電話の会社に就職し、その後ファッション関係の会社で社長秘書を務める。元モーニング娘の石黒彩さん似の料理上手、子育て上手な賢婦人。長女は10歳で子育て真っ最中。
夫 神奈川県生まれ。大学卒業後は父親がオーナーの会社に就職。’00年に倒産後は自らアプリの会社を起業し、現在は代表取締役。真面目で優しく思いやりのある器の大きい人柄。趣味は日本画鑑賞。

本当は年上の人が好み。子供の頃からお父さん子で、そのせいか好意を寄せる人は常に年上でした。27歳から4年間付き合った彼も7歳年上。弁護士だった彼とは同棲し、周囲にも妻同然に紹介され、結婚も秒読みでした。ところが付き合いも半ばの頃から次々に彼の浮気が発覚。止まることなく浮気は続き、ケンカやジェラシーで心身ともに疲れ果てていました。それでも彼のことは好きだったし、経済的に安定した生活も捨てがたく、目をつぶろうとも思いましたが「40歳までは浮気をやめない」と開き直る彼の姿を見て、結婚後も真面目になるとは信じ難く、別れを決意。当時勤めていた携帯電話の会社も退社し、心機一転ファッション関係の会社に転職しました。そこで社長秘書となり、31歳から新たなスタートを切りました。

その社長はバブル崩壊後にいくつものセレクトショップをオープンしノリにのっていました。豪邸に住み、別荘も各地に持ち、まさにやり手。でもやり手なのは仕事だけでなく女性関係も派手で、結婚も3度、愛人もいて、子供は10人。よく子供たちが会社に顔を出すのですが、当時大学生だった次男はまだ若いのにしっかりしていて、社長も信頼し、会社でアルバイトをしていました。

最初は顔を合わす程度でしたが、真面目で優しくて、好感度大。大口をたたき、自分に優しく人には頭ごなしに怒鳴る社長の息子とは到底思えない人柄でした。まさに反面教師。その後次男は卒業し、父親の会社に入社。毎日顔を合わすうちに、交際を申し込まれたんです。

いくら人柄が良くても、9歳年下。さらに私の好みは年上。すぐには心が動きませんでした。でも何度か交際を申し込まれ、最終的には熱意に負けて、私が32歳、彼23歳のときにお付き合いが始まりました。彼は本当に優しくて、年の差も感じないくらい信頼でき、尊敬できる人でした。

会社でもすぐに頭角を現し、彼が手掛ける仕事はすべて成功していきました。でも9歳年上って、どこか負い目を感じ周囲の目が気になり、社長はもちろん誰にも内緒。とはいえ彼は「時期が来たら結婚しよう」と言ってくれていたし、私は子供が欲しかったので、年齢を考えてもすぐにでも結婚したかったのですが、彼が若いこともあり、なかなか話は進まずでした。

周囲にばれずに5年の月日が経った頃、デート中に社長に遭遇し、あっさりばれてしまいましたが、憂いに反して一気に結婚話が進行し、38歳と29歳で結婚

ラッキーにもすぐに妊娠し、翌年長女を出産。いかにも順調に見えたのですが、その一方で徐々に会社の経営が悪化していたのです。私は秘書だったので、この社長では長くは続かないだろうと目算してたので驚きもしませんでしたが、傾くと早く、結婚1年目に会社が倒産。社長は心身ともにぼろぼろで、何億という負債を何と夫が抱えることになったのです。

大反対しましたが、夫は責任感が人一倍強く、自分にも自信があったのだと思います。豪邸も別荘も全部売却しても何億と借金が残ります。そのうえ、家を失いアパート暮らしになった元社長が我が家に度々来るようになり、「お茶」と言われればお茶を淹れ、「まずい」と言われれば淹れ直し、秘書だった私はどうしても強く言うことができず、長女を抱えながら緊張感が続き、物凄いストレスでした。父親に頭が上がらない夫は何も言えず、また東奔西走していたのでほとんど家にいませんでした。

そんな状態が半年くらい続き、私は精神的にうつ病の一歩手前の状態に。このままだと自分がダメになると思い離婚を決意しました。夫に告げると、我に返るようにやっと気づいたのか、「申し訳なかった。おやじのことは何とかする。離婚は考え直してほしい」と

また同時期に義父は私たちが大反対しているにもかかわらず、懲りずに新たな事業に手を出し失敗。もともとプライドの高い人ですから、さすがに私には顔を合わせられなくなって、しばらくはうちに来なくなったのです。気持ちがずいぶん楽になり、後は夫と2人頑張るしかないと思い直せるようになりました

一瞬平和が訪れたかのように見えましたが、借金返済は続き、家の中はごたごたです。ただ夫が先見の明でアプリの会社を立ち上げたのが当たり、借金を返しながらも少しずつ生活は楽になっていました。

でもストレスから夫は体重20キロ増。体調も壊しがちで、見た目も肥満気味。ここを乗り切るにはまず健康でいてもらわなくちゃと、当時はやっていたタニタ食堂の食事ダイエットを自宅で夫に実践。3カ月で10キロほど痩せました

そこから拍車がかかり、家族全員の食生活に気を配るようになりました。お米や調味料は有機に気を配り、油をできるだけ控え、揚げ物は家でしないことに。ローカロリー、高タンパク質な栄養バランスがいいメニューを、本やインターネットで研究し、実践しました。スーパーフードなどもすぐに取り入れ、いつも夕飯は7品ほど作ります。

最初は健康をと思っていましたが、食生活を充実させていると心も元気になってくるんですよね。夫はアイデアが思い浮かぶらしく、事業は順調に行ってるようでしたし、私も安定し、幾分落ち着いてきていました。私にできることは、いかに家の中を暮らしやすくすることだと今更ながらに家事を頑張るようになっていきました。

掃除をまめにして、本で研究して風水なども取り入れ、常に家の中を気持ちの良い空間にしました。夫も事業のことなど相談してくれるようになり、年上女房の強みと秘書の経験からズバズバとアドバイスをするようになりました。そこから感じたことは、鬼嫁になったほうが夫を怠けさせず、外で頑張ってくれるということ。当初は勝手に年上だという遠慮もありましたが、嫌なことは嫌、ダメなことはダメとはっきり伝えるよう夫婦の関係性が変わってきました

倒産から5年が経った頃には夫が立ち上げた事業が大きな利益を生むようになり、ひとまず落ち着きました。とはいえ、あこぎな父親とまだ高校生の妹の生活費や学費は夫が全部支払っています。もちろん借金も返済中です。なんで夫が犠牲にならねばいけないのかとふっと気持ちが暗くなるときも多々あります。

そんなとき夫が、「ねえ、彩ちゃん、どんなに幸せに見えている人でも、お金がある人でも、悩みはあるんだよ。僕は自分たちも幸せでいたいけど、周囲も幸せになってもらいたい」と言ったんです。本当に夫は誰にでもどんなときも優しい人なんです。そうだ、日々この人と何とか暮らせていることに感謝しようと思いました。

家も建てたい、娘に何か残したいという気持ちももちろんあります。借金さえなければそれもできたでしょう。でも今は夫の本質を見れるようになって、娘も順調に育っていますし、家族仲良く普通に暮らせればそれが幸せだと実感しています。そして将来、温泉の近くの小さなマンションで夫と2人暮らしたい。それが私のささやかな夢なんです。とはいえ、娘には「お金持ちでなくていいから、普通の家庭で育った人と結婚しなさい」と言っています(笑)。

最近は娘を教育するついでに夫へ家事教育もしています。最初はゴミ出しとお皿洗いができるようになり、次に洗濯物を取り入れてたためるようになりました。これからはご飯を作れるように教育したいと思っています。

お互いの趣味である日本画の美術館へ行ったり、ランチに行ったり、楽しい時間も増えてきました。なぜ年上の私を選んだのか最近聞いてみたら、これといった返答はなし。おそらく私と一緒で年上好みなのだと思います(笑)。

取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2017年載時のものです。

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