30代の恋愛をリセットさせたら、そこからの結婚、さらには出産はスピードを意識しないとなりません。でも、人と人との問題ですからそうトントン拍子に行くわけもなく……。今月は現実の幸せを受け止め夫婦仲を回復させた40代のお話です。
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◯ 話してくれたのは...伊藤美咲さん(仮名)
元々20歳から10年間お付き合いした彼と結婚するつもりだったんです。私は結婚にも人生にも夢があり、一緒に働きながら家事をして、子供が生まれ、年1回は海外に買物にも行き、車も国産車から外車、40歳ではポルシェに乗っていたいし、いい生活がしたい。
でも彼と言えば、車にも旅行にも興味がなく、それだけならまだしも、「このままでいいよ。楽しければいいじゃない」という計画性のない人でした。人間的には良い人だったので、ずるずる付き合っていましたが、一緒に思い描く人生を歩めないと苦渋の決断で30歳のとき別れました。
私は、子供も絶対欲しかったので、彼のことを引きずりながらも急いで婚活をスタート。当時は病院の薬剤師をしていたので、周囲のドクターや友人に「結婚したいから誰か紹介してください」と伝え、結婚相談所にも行きました。でもそのときはすでに32歳。婚活市場で自分の価値が下がっていることを思い知らされ、衝撃を受けました。「あなたは見た目も華やかで年収もあるけど、同じ条件なら男性は20代の女性を選ぶ。40歳以上かバツイチの男性しか紹介できない」とずばっと言われたんです。
相談所の入会金は高額なので、先に気軽なお見合いパーティに参加したところ、「なんで32歳まで独身?」と会う人会う人にその理由を聞かれまくり、げんなり。結婚には年齢が大きく左右することを実感しました。だったら年齢の壁を感じないほど、人として女性として成長しようと考え方を変えました。
それまでの私はとにかく自己中心的。すべて自分軸で物事を主張、判断していたのですが、相手の立場に立ち、相手軸で物事を考えるように。例えば遠方にデートしたいとき、以前の私は「ここに行きたい行きたい」でしたが、「でも連れて行ってくれる彼にとっては遠くて疲れるよな」ということをまず踏まえてから、「ちょっと遠いけどここならのんびり過ごせると思わない?」と相手を思いやりながら、その気にさせるんです。自分軸だけど相手軸にスライドさせる感覚です。そうすることで男性との関係性がスムーズにいき始めた時、夫に出会いました。
職場の医師の親戚の東京在住のドクター。私34歳夫39歳でした。私は関西在住でしたので、最初はメール交換をし、GWに大阪で会いました。理想とはかけ離れた太り気味の男性で「見た目無理。これはないな」と瞬時に判断。断るつもりだったから飾ることなく、自分の好みや理想を話し、実はルブタンなど高い靴が大好きで何百足も持っていること、車も将来はポルシェに乗りたいし、いつか自分で建てた一軒家に住みたいとか言いたい放題。今まではこんな話をすると「金がかかる女」だと男性には引かれていましたが、主人は「いい趣味だね。いいんじゃない」と受け入れてくれ、なおかつ驚くほど車や映画、本の好みが合いました。
この日、結婚を前提に交際を申し込まれ、断るつもりが「外見だけで判断をしてはいけない。付き合ってみよう」と思いました。ちなみに夫はこれまで100回以上お見合いし、1日に午前午後と2度設定は当たり前だし、2年後には同じ人が巡ってきた経験もあるほどで、「35歳過ぎたら譲れないことが多くあり、なかなか決められなかった」とか。私は見かけも性格も好みのタイプだったそうです。
それから6月に1回、7月に2回と会い、毎回楽しくて、気も合います。そしてご実家は都心のど真ん中で、この人の経済力なら自分の夢も叶えられると思いました。職業上、35歳から卵子が老化することも知っていたので、何よりすぐに子供が欲しく、それも理解してもらえました。そしてとんとん拍子に8月の私の誕生日にプロポーズ。帰り際に白石一文著『私という運命について』を渡されました。家に帰って読み始めたら、あとがきの後に夫の自筆で「この本のように、あなたは運命の人だから僕の手綱を握っていてほしい」と書いてあり、感動しました。男性はだれしもそうかもしれませんが、ものすごくロマンティストなんですよね。
そして35歳で結婚と同時に東京に嫁ぎ、渋谷区のマンションからスタートしました。最初は私たちの場合、結婚=お付き合いの始まりで喧嘩が絶えませんでした。ドライな東京の感覚にも馴染めず、友人ができなくて夫に八つ当たりばかり。すぐに欲しいと思っていた子供にも恵まれず、婦人科にも通いましたが、「そもそも回数が少ない」と言われ、それを伝えても夫も積極的ではありません。次第に占いにはまって悶々と過ごしていました。
気づけば39歳。40歳までには産まなきゃと思っていたので、体外受精を夫に申し出ました。でも夫は体外受精と聞いて二の足を踏んだのです。そして「実は僕は二人だけの生活がいい」と。私は「最初に話したことと違うじゃない。詐欺師」とののしりました。
それからいかに子供が欲しいかを伝え、夫に考え方を変えてもらうように説得。でも夫も頑固です。私は離婚も踏まえながら、再婚して子供を得る人生も考えました。でも40歳という年齢ではいちから始めるには時間がなく、身動き取れないんです。ものすごく悩みました。子供を産めない悲しさでいっぱいでした。
そして最後は夫が「申し訳ない。自然にできたらそれは受け入れるけれど、体外受精をする気持ちはない」と頭を下げられたんです。頭を下げて謝られる行為は私にとっては衝撃。浮気で謝るのとは違います。彼の真摯な態度を目の前にして、ここまでさせてしまった、夫も辛かったんだという思いが溢れました。これ以上押し通す気持ちはすっと消えました。
考えてみると夫のことは結婚後の方が好きになっていたんですよね。こうなったら2人で生きていこう! この人を失ってはいけない。私の方が子供のいない人生を送る覚悟をしようと思いました。2人で生きる最善の幸せな方法を考えはじめると自分の希望ばかり伝え、夫の気持ちを考えていなかったことに気づきました。
婚活を始めた時の相手軸で考えることを忘れていたんですね。親にするように全部をぶちまけるのを止めて、相手の思いを推し量りながら自分の希望を伝えるように心がけました。いつも笑顔でいるようにも。
夫は大学病院勤務医で世間一般にはモテる職業。毎年100人〜200人の新人看護師さんが入ってきます。浮気の可能性はいつもあるわけです。夫に浮気の魔が差さないように、何に幸せを感じるのかを考えると、何よりも家で快適にのんびり過ごせることを望んでいるんです。当たり前のことだけど、毎日心を込めてお料理を作り、掃除の行き届いた家づくりをしようと決心。夫が家でご飯を食べるのは週4日と決まっており、私は夫のお抱えシェフと名付け、毎回1時間以上かけて前菜からメイン、デザートまでの料理を作り、テーブルセッティングをして、夫が帰宅したらすぐに食べられるように段取りをします。
掃除も基本は自分で。夫に「頑張ってるな」と思わせることが必要。ルンバを駆使しながら、いつも家の中がきれいに保てる状態にしています。我が家に遊びに来る友人は「大変そう」というのですが、習慣にしてしまえばストレスにはならないですね。徐々に1度冷めかけた夫婦仲も改善し、前よりも仲良くなって、2人でいることが楽しくなりました。そして結婚前に伝えた「一軒家に住みたい」という夢も覚えてくれていて、2年前に千代田区の実家をフルオーダーで建て直しました。有難いです。幸せだと思います。
私は10年後も今の生活が続いていればと心から思います。でも夫の愛情も、経済力も、健康もすべてにおいて何も保障されていません。だからこそ1日1日地道に努力を積み重ねていくことが10年後を作ると思うのです。誰かのために我慢したり、やっているのではなく、結局は自分のためにやっている、自分に返ってくるんです。
取材/安田真里 イラスト/あずみ虫 ※情報は2017年掲載時のものです。