子育てや仕事を続ける中で「このままでいいのだろうか……」と立ち止まり、女性としてこれからのキャリアについて悩むSTORY世代。
身近にロールモデルが少ないため、リーダーになることを躊躇するなど課題も多いですが、’22年に女性活躍推進法が改定されてからはますます女性の活躍が期待され始め、徐々に女性管理職比率も高くなってきています。
個人として評価される機会を掴み、女性リーダーとして生き生きと活躍される方には、キャリアの狭間で自分自身の生き方を見つめ、可能性を信じてチャレンジする姿がありました。仕事以外でも女性ならではの自分磨きを怠らない、彼女たちの秘密を取材。
今回は、“社会貢献”と“ビジネス”の両立を目指すブランド、imperfect株式会社の代表取締役社長へ昨年就任した佐伯美紗子さんです。(全3回の1回目)
佐伯美紗子さん(37歳)
imperfect株式会社 代表取締役社長
大阪府生まれ。幼少期をアメリカで過ごし、その時の経験から「いつか社会や経済の仕組みを変えたい」という想いを抱くようになる。帰国後は国内の大学に進学し、2008年、新卒で総合商社に入社。2019年より「imperfect(インパーフェクト)株式会社」立ち上げに携わり、同社マーケティング部長に就任。2019年7月にオープンしたフラッグシップストア「imperfect表参道」の企画運営を主導。2022年8月より、imperfect株式会社 代表取締役社長に就任。公式サイトはこちら
「幼少期にマイノリティ経験をしたことが、すべての始まりでした」
STORY編集部(以下同)--世界の食と農を取り巻く社会課題に対し、「世界と社会を少しでもよくしていこう」という想いのもと、お客さまと共に社会課題の解決を目指す「imperfect表参道」。
代表取締役社長であられる佐伯さんが、世界が抱える課題に対して目を向けるようになったきっかけを教えてください。
小学6年生の頃に遡るでしょうか。父の仕事の都合で、アメリカのテキサス州に住んでいたのですが、通っていた学校に日本人は1人だけ。同級生から、アジア人であることや英語が話せないことに対して心無い言葉を投げかけられることもあって「自分自身がマイノリティである」ことを意識させられたことが、始まりだったように思います。
――英語もわからないうえに、心無い言葉を投げかけられるなんて、辛すぎます。
人見知りなので、自分から声をかけるのがすごく苦手で……。ひと言も発せず家に帰ることもしょっちゅうでした(苦笑)。
はじめは、「なんでわかってくれないのだろう」という気持ちが強かったのですが、次第に「わかってほしい」という気持ちになり、そのためには、まず自分が相手を理解しないといけないと思うようになりました。
――「辛いから行きたくない」とご両親に言ったりすることはなかったんですか?
行きたくないって思ったこともあったと思います。でも言ったことはなくて。そこから逃げ出したいというより、どうしたら馴染めるかという気持ちが勝っていたのでしょうね。
――佐伯さんの現在のお仕事に繋がるような経験や学びは、ほかにありましたか?
忘れられない2つの出来事があります。
1つは、父の職場があったメキシコに家族で訪れる機会が多かったのですが、そこで、私と同世代か、もしくはもっと幼い子どもたちが、道端で物乞いをしている光景をよく目にしました。
“可哀想だから、お金をあげた方がいいのではないか?”そう思っていると、父の同僚のメキシコ人の方から、「決して恵んではいけませんよ」と言われたんです。
――それはなぜですか?
「子どもたちにお金を恵んでしまうと、親たちは子どもを使えばお金を稼げると考えるだろう。その結果、子どもたちは学校に通えず、貧困状態を抜け出せない。そして大人になったときには、自分の子どもたちに同じことをさせてしまう」と。
もちろん今日を生き抜いていくためのお金は大事ですし、緊急的な支援も大切です。でも、彼らの人生は10年、20年、50年と続いていくわけで、誰かがずっとサポートし続けていくのは難しく、お互いにとって最適な方法ではありません。社会や経済の仕組みそのものが変わらないと、いつまで経っても現状は変わらないということを学んだ出来事でした。
対処療法と、根本治療。何か問題が起こったときには、いつも両面で考えるようにしています。
――日本では物乞いが法律で禁止されているため、見かけることはなく、子どもの物乞いがどういった意味を持つのか、深く考えたことがありませんでした……。もう一つは、どんな出来事でしょうか?
週末に参加していたボランティア活動です。教会の修繕を手伝ったり、老人ホームで話し相手になったり、地域の清掃をしたりと場所や内容はさまざまですが、現地の友人と一緒にいるのがとにかく楽しくて、遊びに行っているような感覚でした。
日本でボランティア活動に参加することは、ハードルが高いと感じられることも多いですが、アメリカでは日常なんです。「子どもだからできない」のではなく、一人一人にできることがあるということを、教えてもらいました。
――アメリカでの生活で、たくさんのご経験をされたのですね。その後、日本へはいつ帰国されたのですか?
高校2年生のときです。その後は日本の大学へ進学。将来、社会や経済の仕組みを変えたいという思いがあったので、まず今の仕組みを学ぶために、経済学を専攻しました。
在学中も、メキシコで物乞いをしていた子どもたちの姿が頭から離れることはなく、経済的に不利な立場にある国や、人々の現状を変えたいという気持ちは強まるばかり。ビジネスを通じて社会の仕組みを変えられる可能性がある、総合商社へ入社しました。
(中編に続く)
撮影/BOCO 取材/篠原亜由美