女性の社会進出すら遅れている日本の中で、トランスジェンダーたちは自分らしく生きるためにどれだけ苦悩し、つらい経験をしてきたのでしょうか。そして、家族たちはどのような思いだったのでしょうか。LGBTQを本当に理解するためには、そばで支えてきた人たちの声にこそ耳を傾けるべきなのかもしれません。
ともさん 26歳 / 母・カウエン真由美さん 55歳 ともに大阪府在住
女として生きたいなら
覚悟を決めなさい。堂々と自分らしく
生きたらいいよ。それが娘を守ると
決めたときにかけた言葉です
覚悟を決めなさい。堂々と自分らしく
生きたらいいよ。それが娘を守ると
決めたときにかけた言葉です
「実は男の子だったけど手術もして女の子になった娘がいます」と周囲にもすぐに打ち明けているカウエン真由美さん。
「幼稚園の頃はキスしたい相手が男子で、かわいい物が大好き」。性自認の違いを自覚したともさんがドレスやキティちゃんの下着を欲しがれば、楽しんで買った真由美さん。「周囲もそんな娘を受け入れてくれて、中学では吐き気がして学ランが着れなくなり相談すると、先生方はカーディガンでの登校を認めてくれました」。
けれども高校で環境が一変。周囲の心ない言葉に自分が否定された気持ちになり、ともさんは学校に行けなくなりました。学校にはともさんの個性を説明するも、あまりに辛そうで「行かなくていいよ」と声をかけていたそう。「再婚したアメリカ人の夫は、『LGBTQはアメリカでは普通だよ』と理解がありました。彼自身が人種差別を体験していて、『娘を一緒に守っていこう』と言ってくれました」。
しかし「高校をやめる」と落ち込むともさんに、ある日真由美さんは言いました。「女の子で生きたいならいじめはずっとあるよ。女として生きたいなら覚悟を決めなさい。堂々と自分らしく生きたらいいよ」。
その言葉が響き、前向きになったともさん。学校で自分らしく楽しく過ごし始めると、逆に周囲から「ヒゲが生えているよ」と言われ、男子トイレに行けば、「お前はこっち違うやろ」と言われるなど、環境が変わっていったと言います。「違う者がいるぞと思ったら最初はみんな拒否反応を示しますよね。でもその中で何とか生きる術を見つけ出さないと。娘は人に恵まれていると思います」。
けれども一旦前向きになったものの「男性器を見るのも嫌だ、苦しい」と心が不安定になり荒れたことも。18歳で病院へ行き、性同一性障害の診断を受けました。「22歳で性別適合手術を受ける前は、まだどんな性的体験が合うかわからないのに、命を落としかねない手術をするのは早くないか、と心配で聞きました。『女として扱われたい』と言ったので、手術も傍で支えようと決めました」。
家庭の事情や考えは違うから同じではないけれど、親には唯一の味方になってほしいと真由美さん。「人との違いは武器にすればいいと思います。欠点と思わず良いものと思って輝かせてほしい。受け入れられない人達の気持ちをぶつけられても変えることはせず、LGBTQにかかわらずお互いがリスペクトし合う世の中になったらいいなと思います」。
撮影/前川政明 取材/孫 理奈 ※情報は2023年5月号掲載時のものです。