元、なでしこリーグで女子サッカー選手だった3人が、現在は男性として生きている様子を発信している『ミュータントウェーブ。』。前回のインタビューでは、なぜ活動を始めたのかということについて伺いましたが、今回からはお1人ずつの話を聞いていきます。まずはまささんこと、大川政美さんの幼少期から今までにフィーチャーします。ご自身の性自認を両親に打ち明けたときの葛藤やご両親の反応、どのように理解してもらったのかをお聞きしました。
★ メディアに取り上げてもらえるようになってから、父も理解してくれるように
★ 書道家の母から学んだ書と、ご自身のアートセンスを掛け合わせて社会貢献に
さんざん迷惑をかけたけど、母の助言のおかげでサッカー選手に
幼稚園のころサッカーを始めたというまささんは、自分がLGBTQだという自覚を強く持っていなかったと言います。
「姉のおさがりやピンクやフリルの服は嫌だったけれど、見た目がまるで男の子で、そもそも似合わなかったので、親も着せようとはしなかったんですよね。幼稚園のころからサッカーを始めて、中学まで男子と一緒にクラブチームでプレイしていました」。
でも、中学時代は制服が嫌で、ジャージで登校。「ジャージに救われましたね」。高校はサッカーの強豪校に進学。「学校に行くとすぐにジャージに着替えてました。でも、逆にスカートをうんと短くして、振り切って遊びに行くこともあったんですよ」。
サッカー推薦で大学に入学しましたが、監督とそりが合わず、退部。大学は2年で中退し、フリーターとして働きながらお金を貯め、20歳で胸の切除手術を受けると決心しました。
それまで、自分の性自認について、ご両親に話してこなかったまささんでしたが「そのとき初めて、母に電話で話しました」。お母さんは、まささんには直接は言わなかったものの、自分の育て方が悪かったのではないかと悩んだようだったと言います。「それはそうですよね。女として育ててきたのに、突然手術するなんて言われたら。それまでずっと好き勝手やって、さんざん迷惑かけて。大学では唯一続けていたサッカーまでやめてしまった。きっと母が悲しむと思うと、それが嫌で言い出せなかったんですよね」。
そんなまささんにお母さんは「あなたはサッカーしかしてこなかった。もしかしたら、またサッカーをするチャンスが来るかもしれないから、ホルモン治療はまだやめておきなさい」と手紙をくれたのだそう。すると、まるでお母さんの予言があたったかのように、京都のサッカーチームから声がかかり、なでしこリーグでプレイするチャンスが巡ってきたのです。「母に感謝しましたね」。
メディアに取り上げてもらえるようになってから、父も理解してくれるように
引退後、性適合手術を受け、まささんは戸籍も変更しました。お父さんは当時は「俺には理解できない」と言っていたそうです。実は、まささん自身もLGBTQ当事者でありながら、啓蒙活動に熱心な人たちを「引いて見ていた」のだと言います。「自分とは関係ない、がんばって、みたいに思っていたんです。LGBTQについて、勉強したことも知識もなかった。でも、3人で会うようになって、色々教えてもらったんです。今思うと、気にしすぎていたからこそ、避けて気にしないようにしていたのかもしれないです」。
その後、YouTuber『ミュータントウェーブ。』として活動し、新聞などのメディアに取り上げられるようになると、お父さんも「こういうことなのか」とだんだん理解してくれるように。「父親は、知らなかったから理解できなかったんですよね。だから、知ってもらうことが大切なんだと思うようになりました」。
書道家の母から学んだ書と、ご自身のアートセンスを掛け合わせて社会貢献に
今は、チームとしての活動をするかたわら、書道家のお母さんのもとで、もう一度書道を学んでいます。「先日、新国立美術館に母の作品が展示されて、見に行ってきたんです。こんなにいい先生がそばにいるんだから、やろうと思って」。もともとのアートのセンスもあり、まささんの制作した墨絵グラフィックは、ファッションブランドCRAFSTOのバッグ等のモチーフに採用されました。
CRAFSTOがローンチしたLGBTQ支援コレクション「Future prism collection」。LGBTQの若者の自殺防止に取り組む団体Trevor Projectに、売上の一部を寄付する。FPCミニショルダーバッグwithミュータントウェーブ¥24,800、FPCフラグメントケース with ミュータントウェーブ¥19,800(ともにCRAFSTO)
今、お母さんは乳がんの治療中で、自由に筆が持てない状態なのだそう。「苦労かけたと思うので、恩返ししたいと思っています」。
撮影協力/MINT 撮影/西あかり 取材/秋元恵美