女性としてこれからのキャリアについて悩むSTORY世代。’22年に女性活躍推進法が改定されてからはますます女性の活躍が期待され始め、徐々に女性管理職比率も高くなってきています。個人として評価され活躍される女性リーダーの方々には、キャリアの狭間で自身の生き方を見つめ、可能性を信じてチャレンジする姿がありました。今回ご登場いただくのは、スリーエム ジャパン株式会社で社長として活躍されている宮崎裕子さんです。(全2回の1回目)
宮崎 裕子さん
スリーエム ジャパン株式会社 代表取締役社長
1992年3月、慶応義塾大学法学部卒。翌’93年司法試験合格。2004年、第一子出産後に家族を帯同してワシントン大学法科大学院へ留学し、知的財産法・政策学コースを修了。法律事務所や外資系企業の企業法務を経て、2017年にスリーエム ジャパンの法務及び知財的財産部門 ジェネラルカウンセルとして入社。2021年6月から現職。日本国およびニューヨーク州の弁護士資格を保有。趣味はマラソン、ドラゴンボート。
STORY編集部(以下同)――スリーエム ジャパン株式会社の社長として活躍されている宮崎さん。子どもの頃はどのようなお子さんだったのでしょうか?
活発な子どもだったようです。母の日記に「裕子はいつも元気で育てやすい」と書いてありました。走ることが大好きで、中学は陸上、高校はボートと部活に注力していたスポーツ少女でした。中学時代は中距離選手として関東大会に埼玉県代表として出場したほど。もともと自分は短距離の選手だという固定概念がありましたが、先生に800メートルの中距離選手として上を目指してみないかと言われ、中距離に転向し、結果を出すことができたんです。
中距離は、スピードと持久力の組み合わせの競技で、その両方が必要です。だからなかなか皆さんやらない。そういうところに、先生が目をつけてやってみないかって言われました。子どものころから、柔軟に何か新しいことを挑戦することが好きだったんだと思います。一つの分野に深化し斬新的に向上していくということだけが進む道ではなく、リスクがあったとしても新しい機会を柔軟に捉えて飛躍することを実感した体験でした。思い返すと、このころ「自分の可能性に蓋をしない」ということを体感したのだと思います。
――弁護士を目指した理由は何だったのでしょう?
幼少期から法律家を目指していたわけではなく、法律学に出会ったのは偶然でした。というのは、ボート部の練習に専念したかったので、推薦入学を選び、その推薦があったのが法学部法律学科だったからです。
選んだのは偶然だったのですが、いざ入ってみると法律に夢中になり、この道を極めたいと思い、司法試験を受けて法曹資格を取りました。 最初は裁判官志望でしたが、弁護士のほうが仕事の選択肢が多いと考えるようになり、弁護士になることを決めました。
――弁護士として働いていた頃の働き方を教えてください。
金融、倒産、M&A、特許、国際訴訟、国際契約、独占禁止法、知的財産法、租税分野すべての分野においてリサーチ、メモランダムの作成、文書の下書き、打ち合わせと様々な仕事に幅広く取り組みました。それぞれの分野で一流の先生からマンツーマンで指導を受け、多岐にわたる分野を経験できたことは、その後、企業の法務部でジェネラリストとして仕事をする上でかけがえのない財産になりました。
――結婚・出産・育児と仕事の両立はどのようにされていましたか?
’96年に弁護士になり、2001年に出産。半年ほど仕事をお休みしました。当時は、何時間働いたかが評価基準の中でも重要視されていて、できる限り長い時間を仕事に使うことが良しとされていました。子どもを持つ以前の働き方では、両立は無理でした。なので子どもと一緒に時間を過ごすことができ、かつ、自分を成長させるためにどうしたらよいかを考え、仕事よりも自分の裁量で時間をコントロールできる留学を2003年にすることにしました。幸い、家族でいろいろな体験を楽しみ、また、自分も新しい環境で成長することができました。留学後、働いた米国の法律事務所でも、自分の裁量で好きな時間に働くことができ、子どもと過ごす時間をとれました。
帰国後は戻った事務所で、柔軟な働き方と成長とを両立できるかどうか模索しましたが難しかったので、成果で評価してもらえる組織に転職しました。
子育てがひと段落している現在においても、生き生きと働くためには、家族と過ごす時間や自分のための時間はとても大事で必須であると考えています。会社でも「Work Your Way」と呼ぶ柔軟な働き方の制度を採り入れています。
――近年、学び直しなどいわれてきていますが、子どもが小さい頃は時間がなく、40代50代になっていざ時間ができたときに何をしていいかわからない、という話をよく耳にします。
「何かを始めたい」という気持ちは大事にしたらよいと思います。何を始めるかは人それぞれだと思うのですが、何かに取り組んでみて、興味がもてなかったら、また違うことに挑戦するということでもいいのかなと思います。私も今の自分のポジションの社長にならないかといわれた時も、自分はそういうタイプでないから、社長にふさわしくないと思っていました。でも、自分で自分の可能性を狭めていても仕方がない、と思ったんです。自分で自分を縛るのはやめてみると、一歩を踏み出せるのかなと思います。
――スリーエム ジャパンに入社したきっかけを教えてください。
前職の同僚で、スリーエム ジャパンに移っていたアジア統括に勧められました。スリーエム ジャパンは歴史があり、成長をし続けている会社です。そのイノベーションの秘密を中に入って知りたかったということと、また、日本に根付いているグローバルカンパニーの会社の法務として自分を試してみたかったので、入社を決めました。
入社後にイノベーションの秘密は、「人」なんだな、と分かりました。自他共栄の精神を持ち、社員の自主性を尊重し、徹底した顧客志向を持っています。どのような人と働くかは非常に大事だと思います。尊敬できるリーダー達と働くことができて非常に幸運に思っています。
――社長に就任するお話はどのような経緯であったのでしょうか?
「社長候補の面接を受けてみないか」と打診され、挑戦しました。面接は対話型で、自分が社長になったら何を実現したいかなどを説明しました。また、今の自分に足りないところはどういうところか、逆に自分が今までやってきたことをどう活かせるかなど、自己分析をする過程で、自分の可能性を客観的に見ることができました。
――弁護士と現在の社長業との働き方で、共通するところと、違いを教えてください。
今振り返ってみると、弁護士時代は他人のために仕事をしていて、依頼者と自分は真の意味では仲間ではなかったと思います。一方で今は、組織の一員として、仲間のために働いていると実感していることが違いです。
ただ、弁護士時代に培ったスキルと現在の社長業で使うスキルは共通しています。物事を多角的かつ第三者的に見る力、課題を解決するために一つの価値観を基軸にして社内外の人々を調整する力、そして、論理力。弁護士は、論理を組み立てて裁判所や相手方を説得する職業。グローバル企業も論理で議論をするので、論理力は強みかと思います。
――これだけはブレたくない、ご自身が最も大切にされていることは何ですか?
常に学び続けること。仕事をしていると、様々な課題が降ってくるように感じることがありますが、その課題は自分に何を問うているのか、自分はどのような行動をとって応えていく責任があるかを常に考え、実践し、上手くいかなかったら、学びとして次に活かすようにしています。
(後編に続く)
撮影/BOCO 取材/加藤景子